若い世代にとっては、左派野党よりも自民党のほうが「リベラル」?

「日本人の5人に1人しか文章を正しく理解できない」

「親がいくら説教してもいじめはなくならない」

「ゴマはすればするほど得をする」

「日本の官庁には『専門家』がいない」

......など、目を疑いたくなるような「事実(ファクト)」が満載の新著『事実vs本能 目を背けたいファクトにも理由がある』(集英社)を上梓した作家の橘 玲(たちばな・あきら)氏。ベストセラー『言ってはいけない』『もっと言ってはいけない』(共に新潮新書)でも話題となったエビデンスベースの"不都合な事実"をもとに、複雑で残酷な現代社会のタブーに切り込んでいる。

第2回「年金も生活保護も『偏差値60』を前提にした仕組み」に続く刊行記念インタビュー第3回のテーマは、「日本の『リベラル』はどこがヤバいのか?」。リベラリストを自任する橘氏が、日本における「リベラル」の低迷理由をズバリ指摘する。

* * *

――『事実vs本能』では、日本の若者が自民党のことを民進党(調査当時)や共産党よりも「リベラル寄り」と考えているという話が紹介されています。これは早稲田大学社会科学総合学術院・遠藤晶久准教授らの研究をもとにしていますが、特に年配の左派の人たちにとってはかなり衝撃的な話でしょうね。

 遠藤さんたちの研究が明らかにしたのは、日本の若者も諸外国と同様にリベラル化していて、変化や革新を求めているということ。そして、若い世代の安倍政権に対する支持率が際だって高いというより、野党への支持が絶望的なまでに低いという「事実(ファクト)」です。

日本の「リベラル」政党は、若い世代の期待にまったく応えることができず、憲法から築地市場の移転まであらゆる変化(改革)に反対し、現状維持を強硬に主張する「守旧派」だと思われているのです。

むしろ、世界じゅうでリベラル化が進んでいることを敏感に察知し、有権者にうまく訴えかけているのは安倍政権のほうかもしれません。私の理解では、安倍政権は「右傾化」とリベラル政策を同時に進行させています。

――右と左に同時に手を広げている? どういうことでしょうか。

 日本で「右傾化」と呼ばれているものは嫌韓・反中の"反日"批判です。これはネトウヨを含む保守層のなかにある"日本人アイデンティティ"に沿ったもので、先日の参院選の前に韓国への輸出規制を決定したのも、右の支持者を固める選挙対策であることは間違いありません。

これに関して興味深いのは、最近は朝日新聞ですら韓国に対して厳しい論調に変わってきたことです。これは安倍政権を批判する「リベラル」層も、慰安婦問題や徴用工問題での最近の韓国の主張に理があるとは思わなくなったということでしょう。読者の変化を反映して、「侵略戦争や植民地支配を反省・謝罪せよ」とだけ言っているわけにはいなくなったのだと思います。

ただ、これは逆にいえば、"日本人アイデンティティ"と関係のない部分ではいくらリベラル化してもかまわないということでもあります。同一労働同一賃金、新卒の一括採用見直し、女性の社会進出促進、"事実上の移民政策"ともいえる外国人労働者の受け入れ拡大といった安倍政権が進める政策は、いずれも世界標準ではリベラルといわれるものです。それにもかかわらず、保守層がこぞって離反したなどという話は聞きません。

安倍政権が「リベラル化」する理由は2つあって、ひとつは自分より右に対抗勢力がいないのだから、左にウイングを伸ばして女性や若者、性的少数者(LGBT)などの票を狙ったほうが選挙に勝てるということ。もうひとつは、安倍首相が国際舞台で存在感を示すにはリベラルでなければならないということです。「右翼」「極右」のレッテルを貼られた指導者は、国際社会で相手にされませんから。

米オバマ前大統領を支持した世界的スターたちは「リバタニア」のルールに従っている

――『事実vs本能』のなかでも触れている、「リバタニア」と「ドメスティックス」の関係ですね。

 アメリカの例がいちばんわかりやすいと思いますが、オバマ大統領の就任式(2期目)で人気歌手のビヨンセがアメリカ国家を歌ったのに対し、トランプ大統領はすべてのミュージシャンから就任式に出ることを断られたのみならず、ザ・ローリング・ストーンズ、エアロスミス、アデルなどの人気ミュージシャンがトランプの集会で自分たちの曲を使わないよう求めました。

これは政治的イデオロギーの話ではなく、彼らが世界的なスターだからです。トランプ大統領が選挙に勝った国内では"アメリカファースト"の保守派(ドメスティックス)が優勢だとしても、グローバルなスターは70億人の市場を相手にしているのだから、せいぜい2億人程度のトランプ(共和党)支持者のために世界じゅうのファンを失うようなバカなことをするはずがありません。

保守的で愛国主義のドメスティックスは各国にバラバラに存在していますが、人種や性別、性的指向などでの差別を嫌うリベラルの理念はグローバルに広がっていて、世界的なスターやグローバル企業はこの「リバタニア」のルールに従うしかないのです。

『新潮45』の廃刊騒ぎで明らかになったように、これまでは日本語というガラパゴスな言語の障壁に守られてきた日本でも「リバタニア」の圧力は強まっています。アジア市場を狙うクリエイターや企業、メディアは「嫌韓・反中」のレッテルを貼られるわけにはいかなくなり、否応なくリベラル化していくでしょう。そうなれば、取り残された"日本人アイデンティティ主義者"(ドメスティックス)との間でより社会の分断が進んでいくのではないでしょうか。

――ところで、基本的にはこのまま世界じゅうで社会がリベラル化していくとすれば、行き着く先はどんな社会なのでしょうか?

『事実vs本能』のシリーズ前著にあたる『「リベラル」がうさんくさいのには理由がある』(集英社文庫)で、橘さんは自身をリベラリストと位置づけ、日本で「リベラル」を名乗る人とは相容れないとはっきり書かれていましたが。

 これは日本の「リベラル」があまり理解していないことだと思うんですが、高度化した知識社会においては、社会がリベラルになればなるほど個人個人のわずかな知能≒能力の差が拡張され、人生に大きな影響を及ぼすようになります。これは考えてみればきわめて当たり前の、単純な話です。

リベラルの根本理念は、生まれてきた以上すべての人は平等であり、人種、出自、性別、性的志向といった「本人の努力ではどうすることもできない属性」で差別することは許されない、ということです。ところが、何もかも「平等」では人を評価することができない。

冷戦期の壮大な社会実験の結果、共産主義・社会主義国家が無残に破綻したことで証明されたように、人を何かの基準で評価・選別しなければ組織的な経済活動は成り立ちません。

だったら「属性」以外の何で評価すればいいかというと、あとは「能力」しかない。これがメリトクラシー(能力主義/業績主義)で、学歴、資格、経験だけで(ほかの属性をいっさい考慮せず)個人を評価するのが理想の「リベラルな社会」です。

これは、裏を返せば究極の自己責任社会ということでもあります。あらゆる差別や不平等がなくなったにもかかわらず、頑張らない人、社会に参加しない人は、「自分で望んでそういう人生を選んだんでしょ」ということになっていく。なぜなら、頑張ろうと思えば(そのひとなりに)頑張れるはずだから。

自由と自己責任はコインの裏表であり、リベラル化が進むほど自己責任が問われるようになる。世界でもっともリベラルな北欧の国々で「反移民」の排外主義政党が得票を伸ばしているのは、移民が社会に参画せず社会保障にフリーライドしていると見なされているからです。

ところがPIAAC(国際成人力調査)は、リベラルな社会を支えているメリトクラシー(頑張ればできる)の神話を根底から崩壊させてしまう。ここに、ほんとうの衝撃があります(インタビュー第1回「なぜ『言ってはいけない』ことを書き続けるのか?」参照)。

「リベラルな社会」のデンマークでは、6月の総選挙で反移民を訴えた社会民主党が勝利

――「リベラルな社会は能力主義で自己責任の社会」というのは、確かに日本で「リベラル」を自任する左派の論調とはまったく違いますね。

 『ハーバード白熱教室』のマイケル・サンデルのような共同体主義者(コミュニタリアン)が自己責任論を否定するのは当然です。コミュニタリズムは、人間は共同体(コミュニティ)に包摂されているときがいちばん幸福であり、共同体を守るには個人の自由を一定程度制限するのもやむを得ないという立場ですから。

日本では「リベラル」と「リバタリアン(ネオリベ)」は敵対関係のように扱われますが、サンデルが指摘するように、共同体より個人の自由(Liberty)を優先するという意味で両者は双子のようなものです。

「生まれてきたことは選べないとしても、いったんこの世に生を受けた以上、すべての個人が自分の可能性を最大限発揮して生きていくべきだし、そのような社会をつくっていくべきだ」というのがリベラリズム(自由主義)で、それを突き詰めれば売春もドラッグも安楽死も、本人の自由な選択であれば(他人に迷惑をかけない範囲で)勝手にやればいい、という「自己実現=自己責任」の社会になる。

オランダや北欧のようなリベラルな社会は、どんどんこの方向に進んでいます。日本の「リベラル」はそこを誤魔化しているから、言っていることが曖昧で整合性がなく、若者やビジネスパーソンから見放されるのだと思います。

――言われてみれば、日本ではリベラルという言葉は「なんとなく左寄り」とか、「反自民党」とか、そのくらいの意味で使われているかもしれません。

 コミュニタリズムの「共同体を守らなければならない」という思想は、確かに物語としては美しい。しかし、一時期あれだけ大人気だったサンデルも、今やほとんど誰も言及しなくなりましたよね。これは単に飽きられたということではなく、社会のリベラル化=個人化が進んだからだと私は思っています。

今の若者に、「君は共同体に属しているんだから、自由に生きたいとか、個人として輝きたいとか、そういうことはある程度我慢しなさい」と言ったら、いったいなんの話をされているのか理解できないでしょう。リベラリズムは現代社会におけるもっとも強力なイデオロギーで、個人(自己実現)より共同体を優先するなどということは、もはや想像することすらできない。

こうして、一人ひとりが個人として自己実現を目指し、コミュニティは家族と親友の4、5人くらいまで最小化され、あとは広大なネットワークのゆるいつながりがあればいい、というリベラルな社会が到来する。――ちょっと前までは夢物語でしたが、こういった生き方がSNSとテクノロジーによって可能になりました。

これは世界的な現象ですが、日本でも同じことが起きているのは、PTAや町内会のような強制参加型のコミュニティに対する強烈な反発を見ても明らかでしょう。

●橘 玲(たちばな・あきら) 
作家。1959年生まれ。2002年、国際金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が累計30万部超、『言ってはいけない』(新潮新書)が50万部超のベストセラーになる。近著に『もっと言ってはいけない』(新潮新書)、『働き方2.0vs4.0』(PHP研究所)など

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