老若男女や貧富を問わず、われわれが生きていくのに必要不可欠な「水」。あまねく人々が平等に水資源を使えるように、つまり資本主義の暴走からこの大事な公共財を守るために私たちはいかにして意思決定し、動いていくべきなのだろうか?

共著者として名を連ねた新書『未来への大分岐 資本主義の終わりか、人間の終焉か?』がロングセラーを記録している、新進気鋭の若き経済思想家・斎藤幸平氏と、3月に刊行した著書『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』が話題の、政策シンクタンクNGOの研究員である岸本聡子氏が、世界各国の<コモン>を守る社会運動を紹介しながら、サステナブルな社会をつくっていくビジョンと可能性について語り合った対談の前編を配信する。

斎藤幸平氏(写真左)と岸本聡子氏

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■水から始まるクリエイティブな社会運動

斎藤 半年ほど前に『未来への大分岐』(集英社新書)という本を出し、5万部を超えるほど、たくさんの人に読んでもらったのですが、読者からの反響がもっとも大きかったのが、欧米の政治において、社会運動がいかに影響力をもっているかというポイントと、みんなの共用財・公共財<コモン>を広げていこうという提案でした。

岸本 私も読ませていただいて、とくに今、おっしゃった<コモン>の部分がものすごく楽しくて。おおいに刺激を受けたし、充実した内容を日本語で読める贅沢を堪能しました。

斎藤 ありがとうございます。私もベルリンに長く住んでいたので、反原発運動や労働運動のような欧州の社会運動については多少、関わりがありました。とはいえ、私はマルクス研究者で理論が専門です。『未来への大分岐』でも、現場の動きを紹介するところまではできませんでした。そのせいで、<コモン>を守り、広げていく実践がどういったものになるのか、少しイメージしにくいところがあったかもしれません。

それに対して、岸本さんは、アムステルダムにある政策NGOに籍を置き、水道の民営化が引き起こす問題を分析しながら、欧州各地で巻き起こる水道再公営化の運動の中心にいます。世界各地で運動する人々を結び付け、欧州全体の民主主義を元気にしている一人と言っていいくらいです。

その岸本さんの新著『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』(集英社新書)では、社会運動の現場を詳細に描き、人々の実践がどれほど政治を変えてきたかを紹介しています。この現場の話が滅法、面白い。『未来への大分岐』で私が念頭に置いていたことが、具体的事例として、展開されています。

岸本 生きていくためには絶対に必要な水こそが、<コモン>の中でももっとも重要なもののひとつです。ですから、欧州の人たちも必死。すごくクリエイティブな社会運動が展開されているのです。これをぜひ日本の人たちにも知ってほしかった。

斎藤 日本では水道法改正により、まさにこれから水道の民営化が推し進められる。民営化するか、しないかは各自治体が決めていくのですが、住民たちが反対運動を展開していく際に、この本はすごく分かりやすいし、なにより、具体例でヒントをもらうことで、自分も当事者として声をあげていこうという勇気がわいてきます。

共著者として名を連ねた新書『未来への大分岐 資本主義の終わりか、人間の終焉か?』がロングセラーを記録している、新進気鋭の若き経済思想家・斎藤幸平氏

■<コモン>が奪われるとどうなるか

斎藤 ところで岸本さんは、いつごろから水道民営化の問題に取り組んできたのですか。

岸本 もともと私は水の専門家ではなかったのですが、学生の頃にWTO(世界貿易機関)が設立され、世界貿易体制が確立されていく中で、貿易問題が私たちの生活を変質させるのではないかという危機感を持ちました。あらゆる物が貿易の対象となり、水までその対象になってしまうのではないか。そうなれば、いずれ収入や住んでいる地域によって水を利用できるかどうかが左右される世の中になってしまうのではないか。そうした危機感から水を守る運動に入っていきました。

当時は、<コモン>という言葉も知りませんでしたが、水が<コモン>であるという意識は強くあったのです。さらに言えば、食料よりもエネルギーよりもさらにシンプルな水を課題にすることで、人々の民主主義への意識を変えていけるんじゃないかという予感もありました。

斎藤 その予感は見事に当たりましたね。

岸本 欧州では水の運動の成果として、178件もの水道再公営化が達成されました。

もちろん、そんなに簡単に再公営化が進んだわけではありません。30年ほど続いた民営化の時代に、多くの地域で水道料金が高騰しました。なぜ民営化によって水道料金が高騰するかというと、民間企業では株主配当や役員報酬などが発生しますし、設備投資の際に金融市場から資金を調達するので、その利息も払わなければなりません。これらはすべて公営の頃には不要だったコストです。

また、水道事業は自然独占(消費者は水道管を選ぶことができないため、自然と地域一社独占になること)ですので、企業は一度運営権を手にすると、あとは誰とも競争する必要がなくなります。そのため、企業が水道料金の値上げを目指すのは当然なのです。

そうして水道料金が高騰した結果、欧州ではトイレの水洗やシャワーの回数を減らすなど、極端な節約を強いられる「水貧困」家庭が増えてしまいました。このままでは水を利用すること自体が富裕層の「特権」になってしまう。こうした状況に対して市民が怒りの声をあげ、水道再公営化を求める動きが広がっていったのです。

斎藤 ある意味まだ日本は恵まれていますよね。ただ、これも今後どうなるかわからない状況になってきている。タイムリーな本になっていると思います。

■効率化の罠

斎藤 日本にも竹中平蔵のように、民営化したほうが、市場での競争にさらされて、効率的な経営ができると考える人たちがたくさんいます。しかも、公務員バッシングも強く、公営に対する不信感がありますよね。でも、他方で、マリアナ・マッツカート(経済学者)の『企業家としての国家』で言われているように、ヨーロッパでは、国家がもたらすイノベーションの力が再評価されていますよね。iPhoneなんかも実は、税金が投入された研究開発成果を多く使っていて、いわば、それにただ乗りしている。

岸本 確かに公営は効率が悪くイノベーションがないというのは、当たっている部分もあると思います。私自身、公営の悪いところをたくさん知っています。

しかし、本の中でも紹介しましたが、私の知る水道局の職員たちは、日々安全な水を市民に届けるために献身的な仕事をしています。災害となれば自分や家族を顧みず、一刻も早い復旧のために危険な前線で体を張っています。水道を民営化すれば、こうした人たちがいなくなってしまいます。彼らがいなければ、いざというときの対応が後手に回ってしまいます。

斎藤 それは今回の新型コロナウイルスへの対応とも重なる話ですね。日本をはじめ先進各国でも感染がひろがっているのは、公共病院が縮小され、専門スタッフが削減され、基礎研究がないがしろにされたからでしょう。アメリカにいたっては公的保険もありませんから、医療にアクセスできる人は限られている。

本来、医療だって誰もが必要とする<コモン>のはずなのですが、市場原理があらゆるところにまで侵食するようになってきている。市場は、貨幣を持っている人にしか、財やサービスを提供しない。より儲かる方を選ぶので、アクセス権を一部の人に制限してしまうかもしれない。でも、人間の命が関わる時にそんなことはあってはならない。アメリカでも国民皆保険への声が高まっています。

岸本 もちろん、単に経営の主体を民間から公的セクターに戻せばいいわけでない。公のものとして、市民も参加しながら管理していくべきですよね。国や自治体職員任せにするのではない、再公営化が欧州各地で始まっています。

『未来への大分岐』の斎藤先生の言葉、「民主的な方法で〈コモン〉を管理するという経験が、民主的な政治と制度のための基礎になる」というのは、本当にその通りだと思います。

斎藤 いまのお話はすごく面白い。私がマルクスを持ち出して資本主義が気候変動をもたらしたことを批判すると、すぐに「それではソ連に戻ればいいのか」といった反応があります。しかし、ソ連でも環境破壊はありましたし、政界や財界は腐敗していました。ソ連が素晴らしい社会だったとは言えません。

私が『未来への大分岐』の中で言いたかったのは、資本主義がダメだから公営や国有化を進めるべきだということではなく、水や電気、医療といった人々の生活に絶対に欠かせないものは自分たちで意思決定し、自分たちで管理していくべきだということです。

岸本さんの本を読むと、世界各地でこうしたボトムアップ型の運動が起こっていることがよくわかります。それは日本で運動をしている人たちにとっても大きな刺激になるのではないかと思います。

『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』が話題の、政策シンクタンクNGOの研究員である岸本聡子氏

■「恐れぬ自治体」の反逆

岸本 そういう意味では、市民が地方自治にきちんと参画し、自ら公共サービスをコントロールしていく<コモン>という考え方はとても重要だと思います。

いま欧州では<コモン>の概念を重視する自治体が増えています。水道民営化に反対する自治体は、国境を超えて他の国の自治体とも協力し、「フィアレス・シティ」(恐れぬ自治体)と呼ばれる世界的な自治体運動ネットワークにまで発展しています。

財政規律の厳しい欧州では、国家やEUが民営化を押し付けてきます。それに対して恐れずにNOを言おうという趣旨です。最初に「フィアレス・シティ」を提唱したのはスペインのバルセロナ市ですが、今では世界中にネットワークはひろがり、77の自治体が参加しています。<コモン>をベースにした政治とは何かを考える会議も頻繁に開かれています。

そしてテーマは水道の脱・民営化/再公営化だけではありません。たとえば観光公害に苦しむアムステルダム市は、資本の力を「恐れず」Airbnbの規制に初めて踏み切りました。住民の環境や居住の権利という<コモン>を守るためです。

斎藤 面白い挑戦ですよね。今のお話で私がとくに重要だと思うのは、国境を超えるという視点です。

日本で水道民営化反対と言うと、堤未果さんの『日本が売られる』という本が話題になりましたが、私はこの本には不満がありました。堤さんのように「アメリカの保険・製薬会社が日本の医療を狙っている」とか「中国の企業が日本の土地を買収している」といったアプローチでは、日本の問題さえ解決すればいいという地点で止まってしまいます。ナショナリズムに回収されてしまう危険性がある。

単に自国の水と水道を守ればいいというわけではありません。もっと大きな視野が必要だということが、「フィアレス・シティ」の国際的ネットワークから学ぶことです。問題はグローバルだから、対策もグローバルにやらないといけない。

実際、気候変動は、水の問題を世界規模で深刻化させるでしょう。河川が国境を超える場合に顕著ですが、水の問題は国際政治にも発展する。水は民主主義の問題や環境の問題にも直結しているからこそ、単に自国の富を守るという問題に矮小化するのではなく、より公正で、民主的で、持続可能な社会を作るためのきっかけとしてとらえるべきなのです。

岸本 『未来への大分岐』では、地球環境そのものが<コモン>であるというお話がありました。地球環境を管理するのに、一国がよければそれでよし、ということはありえない。

斎藤 しかも人類の存亡がかかっている気候変動が深刻化し、一刻を争うような事態になっています。そのようなものを喫緊の課題とするには、国境を超えて市民が連帯することが不可欠です。

だから、『水道、再び公営化!』は水の問題を事例として扱っている本なのだけれども、水は<コモン>の一つなのであって、そこからもっと大きな課題と国際的連帯の可能性が見えてくるということが、岸本さんの主張だと私は解釈しました。

水の問題を通じて、国境を超えて資本主義システムに存在する不公正や不正義、不平等をみんなで変えていこうという姿勢が重要なのです。この点はなかなか日本では理解されていないので、あえて強調しておきたいと思います。

★「水」=<コモン>の管理から考える持続可能な社会をつくる方法とは? 斎藤幸平×岸本聡子<対談>【後編】

斎藤幸平(さいとう・こうへい)
1987年生まれの若き経済思想家。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。Karl Marx's Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economyで権威あるドイッチャー記念賞を史上最年少で受賞。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。

岸本聡子(きしもと・さとこ)
1974年、東京都生まれ。シンクタンク研究員。アムステルダムを本拠地とする、政策シンクタンクNGO「トランスナショナル研究所」に二〇〇三年より所属。新自由主義や市場原理主義に対抗する公共政策、水道政策のリサーチおよび世界中の市民運動と自治体をつなぐコーディネイトを行う。共著に『安易な民営化のつけはどこに』など。

『未来への大分岐 資本主義の終わりか、人間の終焉か?』
(集英社新書 本体980円+税)

『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと』
(集英社新書 本体820円+税)