『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、日本のメディア業界の今後について語る。

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コロナによる"強制的なパラダイムシフト"は、日本のメディア業界にも及ぶのだろうか――。自宅でゆっくりと過ごす時間が増えた今、そんなことを考えることがあります。

長らく日本のエンターテインメント、特にテレビのエンタメは、芸能界という独特のムラ社会の中で作られてきたように思います。ドラマにしろバラエティにしろ、芸能界における事務所の序列がキャスティングに反映し、それが脚本にも影響を及ぼしてきた。

最近では芸能人がMCやコメンテーターを務める報道番組もあり、「庶民感覚に近い言葉でニュースを噛み砕く」役割を期待されているのでしょうが、ジャーナリズムやプロフェッショナリズムの観点からは相当異様なことです。

ニュース専門の「黒子チーム」がファクトチェックなどで「防弾チョッキ」を着せるでもなく、その場の勢いで発言することが常態化しています。

厳しい言い方をすれば、結局テレビの前の視聴者が見させられてきたのは、芸能界における「利権の誇示」という領域を超えない範囲のエンタメでした。それを過去にさかのぼって全否定するつもりはありませんが、いまだにその成功体験から脱却できず、"利権エンタメ"を再生産し続けているのが今のテレビ業界です。

外出自粛の影響でNetflixやHuluを見始めた人も多いと思いますが、例えばNetflixのオリジナルドラマには、フィクションでありながら宗教、格差、差別および麻薬の問題といった時代性をハードに盛り込んだ、ジャーナリズムとエンタメを兼ね備えた傑作が多数ある。

日本の地上波のテレビドラマを見比べて、「何か」を感じる人は少なくないはずです。視聴者は"本当にうまいすしの味"を知りつつある。鮮度の悪い魚を出し続けるのは無理があります。

報道も同じです。権力にべったりか、権力を感情的に叩くかという二極化したメディア空間(しかも国際社会に目が向いていない)は、もう賞味期限切れです。

コロナの報道にしても、決まったスタンスに沿って情報を集め、物語を紡ぐだけの報道が極めて多い。本質的な議論を避け、社会と対話する意思を感じないという点は、3・11のときも、原発再稼働のときも、辺野古基地移転問題のときも、豊洲市場移転問題のときもそうでした(新聞も同様です)。

例えば英BBCやガーディアン、米CNNは、コロナ問題に関連して、これまで自分たちが途上国にツケを回してきたのではといった問いかけまで含めた議論をしているのですが......。

メディアが機能しない社会は、健全な議論の末に"賢者の選択"をするという土壌がない社会です。しかし日本のメディア業界は現状維持を望んでおり、大きな変化を生み出す活力が残っているとは思えません。

今は混乱期だからこそ、そこに風穴をあける新興勢力の登場に期待したい気持ちもありますが、FacebookやTwitterがフェイクニュースの温床になったように、新興勢力が急激にマーケットを牛耳ると、環境そのものを自分の都合に合わせて改造してしまうリスクもある。

そう考えると、変われない既存メディアと、インモラルな新興勢力の"間"のあたりに新たなチャンスがあるように思います。具体的な姿は僕にもまだ見えていませんが、果たしてそれはどこからやって来るのでしょうか。

●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『水曜日のニュース・ロバートソン』(BSスカパー!)、『Morley Robertson Show』(Block.FM)などレギュラー出演多数。2年半に及ぶ本連載を大幅加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が好評発売中!

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