『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、日本社会の「ディベートなき10年」について語る。

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東日本大震災から10年間の日本の言論空間を、前回では「バイナリー」という言葉で総括しました。YESかNOかの二者択一的な物言いが跋扈(ばっこ)し、受け手もその中毒性に溺れている......という見方です。

この状況は、言い方を変えれば「ディベートなき言論空間」という表現もできるかもしれません。

震災発生時に民主党・菅直人政権で官房長官を務めていた現立憲民主党代表の枝野幸男氏が、つい先日、「3・11はまだ現在進行形で続いている。『振り返る』という発想はおかしい」という趣旨の発言をされていました。その点は完全に同意します。

ただ、同じタイミングで枝野氏が「原発ゼロのゴールまでには100年かかる」とも発言していたことには複雑な思いが込み上げました。最初からそう言っていれば、この10年の間にもっと中身のある議論が行なわれていたかもしれないのに―と。

震災に伴う福島第一原発事故の後、デモも含めた反原発運動が一気に盛り上がっていきました。「エネルギー問題は多面的な検証や状況認識が必要で、急な方向転換も現実的ではない」といった慎重かつ中立に近い意見でも、当時は"原発推進派"のレッテルを貼られ、ネット上では集中砲火を浴びるような状況でした。

今は大衆の興味はすっかり原発問題から遠ざかっていますが、それでも枝野氏の「原発ゼロまで100年」発言は、急進的な反原発派から突き上げを食らっています。

原発問題だけではありません。沖縄の米軍基地、安保法制、憲法改正、そして新型コロナ......。日本社会はことごとく本質的な議論を避け、「ディベートなき10年」を過ごしてきたように思います。

もちろん、一応の"議論らしきもの"はありました。特に3・11からの数年間は、当時はやり始めたツイッターを中心に"ネット論壇"が発信力を強め、意見が食い違う者同士の衝突があちこちで繰り広げられました。

しかしその多くは、着地点を見つけたり、状況をより立体的に浮かび上がらせたりするための建設的なディベートではなく、観客たちが熱狂しながら殴り合いを観戦(もしくは場外から石を投げて参戦)するための"祭り"でした。

僕自身もメディアやイベントに呼ばれ、"議論ふうの見世物"に参加させられそうになったり、他人の罵倒(ばとう)合戦に挟まれて居心地の悪い思いをしたりといった経験を何度もしています。

こうしたから騒ぎの後には、冷静で現実的な保守が世論を先導してくれるんじゃないかと期待したこともありましたが、残念ながらそうはなりませんでした。

米軍基地も原発も今すぐなくせると無邪気に叫ぶ左派をバカにしていたはずの右派もまた、長期化した安倍政権の「北方領土は4島必ず返ってくる」「憲法を変えれば日本は強くなる」といった詭弁(きべん)に溺れていったように見えます。

罵倒合戦や炎上のような見世物は、見る者にとってある種の中毒性を帯びたポルノグラフィーです。しかし、そのポルノグラフィーで満足してまともなディベートが行なわれない社会では、結局のところ既得権がそのまま温存されていく(これは独裁者がよくやる手口でもあります)。

そのことは社会の構成員ひとりひとりが、もっと当事者性をもって考えるべきではないでしょうか。

●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)ほかメディア出演多数。2年半に及ぶ本連載を大幅加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が発売中。

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