「お金を使った記憶が保持できず、完全に喪失してしまう。そんな方から見た世界では、『家族がお金を盗ったかもしれない』はかなり確度の高い推論なのです」と語る筧 裕介氏

85歳以上の3人にひとりが患うとされる認知症。高齢化が続く日本では今や身近な病気だ。家族や自分が将来認知症になる可能性は否定できないし、身の回りに認知症のある人がいる方も多いだろう。

ところで、だんだんとコミュニケーションが難しくなる認知症の当事者は、いったいどういう世界を生きているのだろう? どうして不思議なことを言いだしたり、理解しがたい行動をとったりするのだろう?

認知症の当事者から見た世界を仮想体験することでそんな疑問に答える本『認知症世界の歩き方』が売れている。案内人は医師ではなく、デザイナーを本業とする筧裕介(かけい・ゆうすけ)さんだ。

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――なぜデザイナーである筧さんがこの本を?

 もともと僕は代表理事を務めるNPO法人issue+designで、デザインを用いて医療、介護、地域創生などいろいろな社会課題の解決に取り組んでおり、認知症にも前から興味を持っていたんです。

そんなときにこの本の監修を務めた「認知症未来共創ハブ」の立ち上げに僕らの団体も参加することになり、それがこの本を作るきっかけになりました。

――「認知症の人の日常を仮想体験する」という珍しいコンセプトの本ですね。

 認知症のある人が、その人なりの論理に従って行動していることがわかると思います。認知症を「物忘れがひどくなった状態」と思っている方も多いですが、違います。認知症は「認知機能が働きにくくなったために、生活上の問題が生じ、暮らしづらくなっている状態」と定義されています。

認知機能が弱ると、例えば「ヤカンを火にかけた」という情報を脳に保持できなくなったり、「3F」という文字とビルの「3階」とを結びつけて想起することが難しくなってしまったりする。だから火を消し忘れたり、道に迷ってしまったりするんです。

認知症のある方が「家族にお金を盗まれた」などと言いだすのにもちゃんと理由があります。お金を使ったのにその記憶を保持できず、完全に喪失した人がいるとします。

その人が家で財布の中を見ると、お金が減っている。本当はさっき自分で使ったのですが、その記憶はもうない。もしそのタイミングで家にいたのは家族だけだとしたら......、「あなたが盗んだんでしょう?」と疑ってしまうわけです。

このように、認知症の人の世界ではちゃんと論理がつながっています。周囲からは理解が難しい言動も、当事者にとっては合理的な理由がある。もし自分の親が認知症になっても、彼らがどういう世界を生きているかを知れば、適切に向き合うことができるのではないでしょうか。

ある程度以上の年齢なら認知症になるのは自然なことでもありますから、向き合い方を知っておくのは決して無駄ではないはずです。

――この本はアイコンやイラストを多用したデザインですよね。認知症とデザインにどういう関係があるんでしょうか。

 わかりやすいデザインは認知症の方の負担を減らせるんです。この本も認知症の当事者の方が読んでくれることを期待して読みやすい大きなフォントや判別しやすい色を使っています。わかりやすいデザインになったと思います、編集者とはだいぶやり合いましたけれど(笑)。高度な認知機能を必要としないデザインです。

対照的に、今の日本の都市は高度な認知機能を前提としたデザインばかりになっています。いい例が大都市のオフィスビル。上層階の目的地にたどり着くまでに、発券し、ゲートをくぐり、複数あるエレベーターを乗り継いで......と、すごく高度な判断を要求されてしまう。あるいは家電ひとつとっても、ボタンや機能が多かったりして操作が難しすぎる。

もちろん健常な人や若者ならそれでいいでしょう。でも、認知症のある人にとっては違う。今のデザインは健常者には便利で効率的かもしれませんが、認知症のある方を含めて、加齢や障害で認知機能が低下した方のことを見落としているんです。

――確かにこの本を読むと、実は現代社会はかなり高度な認知機能がないと生きるのが難しいと感じます。

 認知症のある方にとって、都市に限らず、今のデザインはとても親切とはいえません。

でも、さっき言った認知症の定義を思い出してください。認知症=「認知機能が働きにくくなった状態」ではありません。「そのせいで暮らしづらくなった状態」なんですよ。つまり極端な話、認知症のある人たちでも使いやすいデザインが増えて暮らしづらさがなくなれば認知症はなくなるんです。

完全になくすのは無理でも、デザインによって認知症のある人を楽にすることはできる。僕が認知症についての本を書いた意味はそこにあります。

――どうして認知症のある人が理解しづらいデザインがあふれてしまっているのでしょうか。

 社会が経済効率性ばかりを追求しているからです。経済的な効率だけを考えるなら、デザインは機能性、利便性、コスト、スピードを追求することになる。でも、そんな社会は高齢者や障害を持つ方には住みにくい社会です。

少し話は変わりますが、僕が地方創生の仕事をしているのも同じ動機からです。地方には昔ながらの手仕事、商店、芸能など、経済性・効率性とは縁遠い魅力的なものがたくさん残っているんですよね。

僕はそういう、東京にはない豊かさに魅力を感じていて、そこにデザインでアプローチしたいんです。もちろん東京には東京の魅力があるのも事実ですが。

――広告業界からキャリアをスタートされた筧さんが、経済効率性から離れようとしているのは面白いですね。

 いや、僕は最初からまったくなじめませんでしたよ(笑)。広告の仕事はエキサイティングで楽しかったし、いろいろなことを学べたのは事実ですが、「この飲料をたくさん売って、それでどうなるんだろう?」みたいなことはずっと考えていました。

僕が認知症の課題解決に関心を持ったのも根っこは一緒です。経済効率性とは関係がなく、誰もが豊かに生きるために大切なことに目を向けたかったからです。みんなが長生きするようになれば認知症は当たり前になる。そんな時代に、認知症のある方を想定しないデザインはまったく「持続可能」じゃないですよね。

●筧 裕介(かけい・ゆうすけ)
issue+design代表、慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科特任教授。1975年生まれ。一橋大学社会学部卒業。東京工業大学大学院修了、東京大学大学院工学系研究科修了(工学博士)。2008年、ソーシャルデザインに取り組む特定非営利活動法人issue+designを創業。社会課題解決のためのデザイン領域の研究、実践に取り組む。グッドデザイン賞BEST100、カンヌライオンズほか受賞多数。著書に『持続可能な地域のつくり方』(英治出版)など

■『認知症世界の歩き方』
筧 裕介・著、認知症未来共創ハブ 監修
ライツ社 2090円(税込)
認知症を知る一番の近道は、当事者の視点で理解すること。同書は約100名へのインタビューを基に彼らの体験を旅行記形式で構成。乗るとだんだん記憶をなくす「ミステリーバス」、人の顔がわからなくなる「顔無し族の村」など、13のスポットへの旅を通じて、自分が当たり前のようにできていた認知機能を失う体験を疑似体験できる。彼らの不可解な行動をきっと理解できるようになるはず。9月の発売から重版が続き、9万部を突破

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