認知症の人は身近な人でも名前を思い出すのが苦手になる。一方で、「安心する」など感情に結びついた記憶は定着しやすいのが特徴

ご飯を食べた直後に催促してきたり、家族に対して「金を盗とったな」と怒りだす。いずれも認知症の代表的な症状だが、そもそも彼らはなぜそんな行動を? 「ボケたから」と片づけるのは簡単だが、妙な行動はすべて合理的な判断だったと聞いたらどうだろう?

前編では実例とともに、認知症の人々が見ている世界をのぞいてみよう。老いゆく自分の親と接するときに必ず役に立つはずだ!

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■認知症の人の行動は合理的!?

85歳を超えた日本人の半数以上がかかる認知症。すでに親が高齢の読者なら、正月休みなどの帰省の際に「おや?」と感じた経験も少なくないはずだし、一緒に暮らしているとなかなか変化に気づきにくかったりもする。

では、認知症とはそもそもどういう病気なのか。認知症ケアに取り組む理学療法士で、『マンガでわかる! 認知症の人が見ている世界』(文響社)の著者である川畑 智さんはこう話す。

「まず知っていただきたいのは、認知症は病名ではないということ。認知機能が低下し、日常生活に支障を来している状態の総称なんですね。しかも、それぞれの症状に波があり、良いときと悪いときが交互にやって来るのが特徴です。

だから忘れないでいただきたいのですが、もし親御さんが認知症になったとしてもまったくの別人になってしまうわけではありません。確かにそう思える時間帯もあるかもしれませんが、波があるなかの調子が悪い時間帯であるというだけ。親御さんは最後まで親御さんなのです」

認知症になった親と接する上で大事なのは、彼らがどういう世界に生きているのかを理解することだという。

「外から見ると不可解な行動でも、実は彼らの中では合理的な選択をしているのです。こうしたことを知らないと、『親がまともじゃなくなってしまった』などと必要以上にショックを受けてしまいがち。

また、認知症になった親もプライドを傷つけられたり不安になったりして心を閉ざし、コミュニケーションが取れなくなってしまいます」

ここからは、川畑さんの解説とともに事例を見ていこう。

<ケース1> 息子の名前を忘れてしまう

Aさん、83歳。認知症が進み、しばしば息子の名前を忘れるようになってしまった。息子は非常に大きなショックを受け、どう接したらいいかわからない。

「『見当識障害(けんとうしきしょうがい)』というのですが、人や時間、場所を認識しづらくなる症状があります。多くの人は親に名前を忘れられると絶望的な気持ちになってしまうのですが、本人にとっては本当に思い出せないのです。

ただ、症状が進んで息子の名前がわからなくなったとしても、優しく接していれば『一緒にいると安心する人』と認識してもらえますし、そう思ってもらえればいい関係が築けるでしょう。認知症の人から見ると、息子かどうかはわからなくても優しく接してくれる人には好感を抱きますし、ふと息子であると思い出すこともあるはずです。

繰り返しになりますが、認知する力がゼロになるわけではありません。認知機能が落ちた部分ばかりを見てしまうと、そうでない部分が見えなくなってしまいます」

短期記憶の保持が難しくなった認知症当事者。ついさっきの食事の記憶は完全に消えてしまっている

<ケース2> 「食事はまだ?」と何度も催促

Bさん、79歳。食事をしたことを忘れてしまい、繰り返し催促してくる。当初は「もう食べたでしょう」と優しく伝えていたが、あまりにしつこいためつい怒鳴ってしまった。本人は悲しそうな顔をし、以降会話が減った。

「認知症で最も多いアルツハイマー型は、情報を取捨選択する海馬の萎縮から始まります。すると短期記憶が苦手になり、物覚えが悪くなってしまいます。

それが同じことを繰り返し言う原因なのですが、物忘れが激しい人との違いは言われてもまったく思い出せないこと。つまり、当人から見た現実は『本当にご飯を食べてない』なんです。なのに『もう食べたでしょ!』と怒られると、本人から見たら『理不尽なことを言われた』としか映らない。そうやって自分の殻に閉じこもっていく認知症の方は少なくありません」

理屈はわかった。とはいえ、何度も食事を与えるわけにもいかない。どうすればいい?

「僕はよく『説得よりも納得』と言うのですが、理詰めで論破しようとするのではなく、相手の感情に寄り添ってください。なぜなら、認知症の方にとって感情が結びついた記憶は覚えやすいからです。

具体的には、最初に『ごめんね』と言って手を握るとか、まず感情を動かしてからご飯を食べたことを伝える。それだけで覚えがまったく違います」

<ケース3> 「財布を盗られた」と怒りだす

Cさん、82歳。何度も「財布がない」と言い、そのたびに家族が探してあげている。ある日、いつものように財布のありかを聞かれたので「またかよ、いいかげんにしてくれ」と返すと、「あなたが財布を盗(と)ったんでしょ!」と怒りだした。

「自分のものが盗まれたと主張する『物盗られ妄想』は認知症の初期に多く見られます。これは本人がしまった場所を忘れてしまうことが原因。家族に頭ごなしに否定されると『いつもは探してくれるのに、怪しい』と感じ、怒ってしまうのです。

家族からすれば盗みを疑われるのはショックですが、ここで反論するとよけいに思い込みが強くなってしまう。話をしながら一緒に探すなどして、感情に寄り添った対応を心がけましょう」

<ケース4> 「バカにしやがって」と暴力を振るう

Dさん、86歳。家族で介護をしていたが、特に親身に世話をしている娘が「バカにしやがって!」などと暴言を吐かれるようになり、時には突き飛ばされたことも。

「いきなり暴言や暴力が出ることはありません。段階を経た結果です。まずは認知能力が落ちたことへの不安から始まり、やがて不安が不満になり、最後は不信や怒りに変わります。感情の記憶が残りやすいことの典型例ですね」

川畑さんによると、暴言や暴力の背景にあるのはプライドが傷つけられたことへの怒りだという。従って、この場合も感情に寄り添うことがカギを握る。

「声をかけるときに、感情を傷つけないための前置きを忘れないでください。例えば認知症の方が不審な行動をとっているとしても、いきなり『大丈夫?』はNG。侮られていると誤解しますからね。苦しそうならば『キツそうだね』とか、うつらうつらしていたら『眠いよね』とか、まずは相手の感情を読み取って、そこに対して声かけをするのがベターです」

われわれからしたら驚いてしまう幻視や錯視。口で「スーツだよ」と否定するのは悪手で、この事例であれば服を手に取って見せれば解消することが多い

<ケース5> 誰もいない空間に向かって挨拶

Eさん、84歳。誰もいない空間に向かって「何かご用ですか?」と話しかけたり、タオルを犬だと主張したりするようになった。

「認知症の方には、ないものが見える『幻視』や、見間違えたりする『錯視』が起きることがあります。誰もいない空間に向かって話しかけているのではなく、ハンガーにかかった服を見て人だと誤認したケースも少なくない。周囲は驚きますが、本人には実際に見えているため、むやみに否定してはいけません。

幻視や錯視があると本人の恐怖や不安が増すこともありますから、『怖いよね』というふうに優しく声をかけるといいでしょう。錯視に関しては、対象物に実際に触れてもらうと正しく認識できることもあります」

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コミュニケーションが取れなくなってしまったように見える認知症当事者だが、彼らなりの合理性に基づいて行動していることがわかる。しかし、それがわかったとしても、毎回彼らの感情に寄り添って声をかけるのはやっぱりキツいと思う人が大半だろう。

「もちろん、いくら行動原理を理解したからといって、認知症の方と付き合うのは簡単ではありません。どこかのタイミングでプロの協力を仰がないといけないでしょう」

◆後編⇒症状が進む前にすべきたったひとつのこととは? もし「親が認知症っぽいな」と思ったら

■『マンガでわかる! 認知症の人が見ている世界』 
左ページにケアする人が目の当たりにした認知症の人の行動を、右ページに認知症の人から見えている世界を並べ、不可解な行動の理由を解き明かす。現在10万部を突破。