『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが考える、女性が権利を獲得するために必要なこととは――?

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女性の権利に関する問題と地球環境問題には、似たような構造があると思います。現状に大きな課題があることは明らかなのだけれども、決して少なくない人々は今ある「何か」を手放したくないがために、行動を起こすことなく「選択的無関心」を選んでしまう。

言い換えれば、短期的かつ利己的な視点で考える限りは、自らコストを払って取り組むことにあまりメリットが感じられない問題である――そんな共通項があるのではないでしょうか。

岸田文雄首相は年頭に「異次元の少子化対策」への挑戦を表明しましたが、若者が子供を産み育てたいと思える社会になっていない理由のひとつが、女性の権利の問題であることは間違いないでしょう。出産・育児のための社会的負担は自分でなんとかしろ、最低限の金だけは出す――そんな制度設計では解決に至るはずもない。

日本では育児(と家事)の大半を女性が担っているという現実、「女性がやるものである」という根強い価値観、それらにNOを突きつけるだけの権利を女性たちが獲得できていないこと。これが根本的な問題です。

また、男性の立場から申し上げるのは非常に難しいことですが、当事者である女性の中にも、短期的な損得勘定から、声を上げないほうが合理的だと判断している方が少なくないという印象があります。

もちろん日本でも昔から声を上げ続けている方がたくさんいることは存じています。しかし、得てして感情的な発露が強いタイプの方がフェミニストとして目立ってきたこと、その主張が広く浸透してこなかったことの背景には、本来ならその活動を援護射撃すべき女性たちの多くが、「自分は現実と折り合いをつけてやってきた」「あれと一緒にされたくない」と距離を置いてきたことと無関係ではないでしょう。

当然、その責任が当の女性たちだけにあるわけではありませんが、当事者意識の共有というのは権利を獲得するための重要な第一歩です。

北欧などでは、月経や出産、更年期など女性特有の健康問題を社会全体の課題ととらえ、生産性や雇用など経済の文脈でも長い時間をかけて議論することで多くの「問題をフレーミングする言葉(ボキャブラリー)」を獲得し、社会が変化してきました。

一方、日本では現在も、フェミニズムを議論する際の「言葉の共有」が決定的に欠けている。それゆえに共感が広がらず、社会全体で構造を変えていこうという機運が活発化しないという側面は間違いなくあるでしょう。

しかし、社会の一員として行儀よくしていればよりよい暮らしや安定が期待できた時代と、現代の社会状況とはまったく異なり、「選択的無関心=現状維持」を選ぶことのメリットも大きく目減りしている。

また、女性が権利を求めて立ち上がりやすい環境も、以前と比べれば整ってきている。忘れてはならないのは、そもそも女性は人口の半数を占めるマジョリティであり、当事者たちが本気で動けば十分勝てるゲームになりうるということです。

完全な形での"勝利の果実"をもぎ取れるのは1、2世代後になるかもしれませんが、怒りに任せた訴えよりもまっとうな議論を挑み続けることで、社会に変化が生まれる時代にはすでに入っていると私は考えています。

●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト、ミュージシャン。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。レギュラー出演中の『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(カンテレ)ほかメディア出演多数。富山県氷見市「きときと魚大使」を務める

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