「さらば!平成」第4回は、狩野舞子。インスタでは「#DJマイコ」のハッシュタグと共にオススメ音楽の紹介も。意外とUKロック多し

今年度に30歳を迎える"黄金世代"の半生と共に平成をふり返る連載企画 『さらば平成!』。第4回は元バレーボール日本代表・狩野舞子

ケガと隣り合わせだった狩野のバレー人生。前編でふり返った度重なる不運から辛抱強く立ち上がり、五輪日本代表をつかみ取った彼女の"現在"とは――。

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今年1月。千駄ケ谷・東京体育館で行なわれた春高バレー(全日本高校バレー選手権大会)。女子の準々決勝、八王子実践vs東九州龍谷(りゅうこく)の試合はフルセットの末、東九州龍谷に軍配が上がった。

コートにくずれ落ちる緑のユニフォーム・八王子実践の選手の姿に、9年前を思い出したバレーファンも多いのではないか――そう狩野に問いかけると、「見ててくれたんですね」とわずかに彼女の頬が緩んだ。

「狩野舞子の春はここで終わってしまうのか?」という実況でファンの記憶に刻まれる2006年の春高バレー。超高校級プレーヤーとして当時から全国区であった狩野は、八王子実践のエースとして東九州龍谷と3回戦で対戦する。惜しくも敗れ全国制覇はならなかったものの、社会人の強豪・久光製薬スプリングスへ華々しく入団。初年度から触れ込みどおりの活躍でレギュラーに定着する、腰に抱えた爆弾を感じさせない活躍だった。少なくとも、中継や観客席からは。

この頃はフィジカル面でのトレーニングを始めたこともあり、どんどん状態が上がっていった時期ですね。レギュラーで使ってもらえたこともあり、試合の中で自分が成長していく実感がありました

言葉とは裏腹に、久光入団後のライフグラフは乱高下を見せる。2008年、アキレス腱を断裂する大ケガ。選手生命を断たれかねない負傷、しかもこの年は北京五輪を夏に控えたオリンピックイヤーだった。

久光製薬では1年目からレギュラーで使ってもらっていて、『姉(狩野美雪)と一緒に日本代表になれるかも』って思いもあったんです。調子も良くて試合にも出られていたなかでの大ケガだったので、かなりびっくりしました

狩野に書いてもらったものを元に作成した「ライフグラフ」。縦軸は気分(上に行くほど調子がいい)、横軸は年齢

またしてもケガで逃がした2度目の五輪。当時日本女子バレーは、木村沙織、髙橋みゆき、栗原恵らスター選手が活躍。北京五輪では5位入賞という躍進を遂げ、国内には久方ぶりの女子バレー旋風が巻き起こっていた。そのコートに自分がいないということに、焦(あせ)りや悔いはなかったのだろうか。

『まだ早いよ』『まだ五輪に行けるレベルじゃないよ』って言われてるのかな、とも思いました。バレーの神様...のようなものに

さらりと口にした"バレーの神様"とはしかし、とことん残酷な存在らしかった。リハビリを経た2年後の2010年、彼女は再びアキレス腱の断裂に見舞われる。2年後にはロンドン五輪が控えていた。21歳、選手として脂の乗った時期の大ケガには、さしもの狩野も相当堪えたのではないか。

いえ、2本目切ったときは、『この感じならまだ(五輪に)間に合うな』って真っ先に思いました。『うわー、またかー』とは思いましたけど、1本目切った感覚があるので、『はい、リハビリー』ってすぐ切り替えられましたね

少しおどけたような口調の後、「まあ、今でこそこう(軽く)言えますけど」と狩野はつけ加える。しかし彼女の"1本目切った感覚"は正しかった。2012年、再度の復活を遂げた狩野は眞鍋ジャパンの一員としてロンドン五輪への切符を勝ち取る。初めて狩野が五輪候補に選出されてから9年。彼女が中学3年生当時、まだプロジェクト段階だった東京スカイツリーがこの年の春に開業している。

念願のオリンピックにおいて印象深い試合を尋ねると、狩野は意外にも「予選のタイ戦」と答えた。正確には、五輪世界最終予選を兼ねたアジア大陸予選大会。本大会出場は最低ラインの日本にとって、この試合は絶対に落とせない一戦だった。

当時、日本代表では"2枚替え"でセッターと一緒に(試合に)出ていたんですけど。このときのタイ戦では、毎セットブロックが止まったんです

本大会・予選通じて出場時間こそ短いものの、眞鍋政義監督の標榜する高速バレーの一端を担っていた狩野。当時の正セッター・竹下佳江(よしえ)が前衛に回ったケースでのブロック力および攻撃力の低下を回避する戦術が"2枚替え"である。

竹下に代わってウイングスパイカーの狩野が前衛に入り、後衛ライトにサブセッター・中道瞳を投入。前衛の攻撃カードを一挙3枚に増やす、狩野・中道の"2枚替え"が眞鍋ジャパンの切り札だった。が無論、短い出場時間で試合にフィットすることが難しいのはバレーボールもまた例外ではない。

このときも途中出場だったので、出場時間はいくらもないんですけど。でも、不思議とすごく自分のところにボールが来て

俗な言葉で表せば「ゾーン」だろうか。この試合、狩野が記録したブロック得点4は途中出場ながらチームトップだ。木村沙織、後にPFUブルーキャッツで共に戦う江畑幸子のスパイクも冴えを見せ、前試合で古豪セルビアを下したタイに競り勝つ。本大会出場に大きく近づく勝利だった。

『今、私チームに貢献できているな』と思えた瞬間でしたね

タイ戦のストレート勝ちで波に乗った日本は最終予選を突破。ロンドン五輪では前回北京大会の戦績を上回る銅メダルを獲得する。本大会での狩野は得点こそ3にとどまるものの、オリンピック史上初めて中国を下した準々決勝でも、中道と共に逆転への流れを引き寄せる活躍を見せた。

五輪後、トルコリーグを退団し久光製薬に復帰。2015年に引退後1年間の充電期間を経て、V・プレミアリーグ昇格を果たしたばかりのPFUでコートに帰ってきた狩野。今年春、"完全に"引退しバレー人生に終止符を打ったのはインタビュー前編で述べたとおりだ。コートを離れた彼女は、現在のバレーシーンをどう見るのか?

昔に比べて...って、引退したばかりの私が言うのもなんなんですけど(笑)。ポジション的にも技術的にも、まんべんなくこなせる選手が増えましたよね。絶対的なエースというよりも、いろいろなことがこなせるプレーヤーが多いと思います。日本の伝統的なスタイルに、海外選手のパワーや動きが合わさってきているのかも

前回のリオ五輪で日本は準決勝進出を逃し、長年エースとして代表を支えた木村沙織が引退。V・プレミアリーグでは外国人コーチを抱えるチームも増え、日本バレー界は転換期を迎えている。それは社会人だけでなく学生も同じらしい。

母校(八王子実践)にこの前行ったんですけど、昔みたいな厳しさはないですね。選手より指導者のほうに戸惑いがあるんじゃないかな? でも、スポーツを取り巻く環境が変わっていくのは、選手だけじゃなくて指導者にとってもいいこと。特に学生スポーツでは、指導者は何十年も続けられますが、選手は毎年新しい子が入ってきますから

指導者の道へ進むことは考えていないのか?と尋ねると、「今はまだ、いろんなことをやりたい時期」だという。「エクササイズとか、肉体改造とかもやりたいんです。太りたくないし...」と冗談とも本気ともつかぬつぶやきと共に視線を手元に向ける狩野。細く長い流麗な指先に、青と銀のネイルが光る。何気なくそれを話題に上げると、

あ、これ結構前に塗ったんです

なぜだか少し早口になった。一瞬意味がつかめず凝視した指先、ほんの少しだけ表面がはげている。

取材のときって、指先見られますよね......

恥ずかしそうにわずかに指を丸めるあたり、とことん几帳面な狩野らしかった。インタビュー後、「これからネイルサロンに行く」という彼女は、屋外での撮影を終え軽やかな足取りで雨の銀座へ消えていった。

取材から数時間後。さっそく更新された狩野のインスタグラムには、塗りたての爪先の写真が投稿されていた。十指(じっし)を彩るのは、サンリオの「ぐでたま」ネイル。

かつて何百本ものスパイクをコートに突き刺してきた指先にゆるキャラ――「本当に狩野さん本人のインスタですか?」と言われる由縁がわかった気がした。ロンドン五輪から7年、幾多の困難を乗り越えてきた稀代のウイングスパイカーは今、確かな足取りで次のステージへと進んでいる。

狩野舞子かのう・まいこ
1988年7月15日生まれ、東京都出身。バレーボール元女子日本代表。八王子実践高校を経て2007年久光製薬スプリングス入団、ウイングスパイカーとして活躍。12年ロンドン五輪代表として銅メダルを獲得。イタリア・セリエA1、トルコリーグ1部などでのプレーを経て、16年PFUブルーキャッツ入団。18年PFUを退団し現役引退。公式Instagram【@kanochan715】