ボンネットのキン肉マンが眩しいチーム週プレ号

初代ロードスター発売の1989年に始まったマツダのレースイベント「第29回メディア対抗ロードスター4時間耐久レース」。この伝統あるレースへ11年ぶりに復帰を果たした週プレチームの参戦までのドキュメントである。


■11年ぶりにメディア4耐に週プレが参戦!

マ、マジか? 週プレがココまでテキトーかつ無鉄砲だったとは! 正直、小沢コージは耳を疑った。それは担当Kの一言である。

「週プレが11年ぶりに『第29回メディア対抗ロードスター4時間耐久レース(メディア4耐)』に復活します。小沢さんがエースっつうかキャプテンでおなしゃす!」

仕事の鬼たる担当Kの見たことのないニヤけた顔が忘れられない。メディア4耐とは自動車メーカーのマツダが主催するレースだ。初代ロードスターが発売された1989年に始まり、この29年間一度も欠かさず夏の終わりに行われる伝統のモータースポーツイベントだ。自動車マスコミ業界の「夏の甲子園」と言っても決して大げさではない。

公式的には「普段クルマやレースを取材する側のメディアが、レーシングチームを組み、クルマの走る楽しさを自ら伝えるべくレース仕様のロードスターで4時間の耐久レースに挑む!」ってテイにはなっている、一応は。

だが、その実、走り自慢の自動車専門のメディアがプライドを賭けてガチで走りを競うバトルでもある。

要するに、とんでもない世界レベルのプロ助っ人が登場する大会であり、そもそも走ってナンボの自動車専門のレース系メディアは編集スタッフまで事実上のセミプロがズラ~リ。毎日のように筑波サーキットで走っているような連中に、素人丸出しの小沢コージが出場したところで太刀打ちできっこないのだ。

というか、小沢は自動車ジャーナリストと言っても立ち位置はバラエティ班である。クルマ回りのオカルトネタ、おバカな話を見つけるのは超得意だが、自慢じゃないが走りに関しては草野球レベルの素人だ。おっさんピッチャーのヘロヘロのタマを、ポテンヒットさせるのが得意技。甲子園で時速150㎞のボールをアルプススタンドに突き刺す能力なんぞはゼロである!

第1回会議をキャプテン小沢が自撮り。時計回りに二年目N、担当K、小沢、A部長
■実は名門(?)だった週プレ

担当Kが「復活」と口にしたように週プレはかつてメディア4耐に出ていた。第1回から14回参戦して優勝2回の超名門チームである。

それに比べれば小沢のメディア4耐の経歴はホントに鼻クソレベル。かつて在籍した自動車専門誌『NAVI』で第3編集者ドライバーとして出場。92年大会14位のトホホなリザルトを残したのみ。正直、いい思い出など残っておりません。当時の週プレに周回遅れにされた記憶しかない......。

あれから時代は移り変わり、週プレはメディア4耐からも撤退。

だが、2016年に王道のクルマ記事復活を宣言するや、何を思ったかバラエティ畑に生きる私、自動車ジャーナリスト小沢コージを起用。ほぼ毎週のごとくクルマ記事を量産。気がつけば16年12月、17年12月に『クルマプレイボーイ』を発売。同じく17年からは『日本カー・オブ・ザ・イヤー』の実行委員にもなり、ついに今年11年ぶりにメディア4耐へ復帰をはたしたのである。

ココまではオメデタイ話だが、ことはレーシングである。ガチのバトルだ。ロクにサーキットも走っていないし、そもそも国内A級ライセンスを失効中の小沢に4耐の復活計画をリードさせるのは無謀だ。しかも、「チーム週プレ4耐復活会議」に呼ばれた小沢コージは頭を抱えた。

なぜなら、出走スタッフはサーキット走行どころかMT車の運転も危うい担当K、50代半ばのA部長、そして2年目の若きクルマバカのN......。さらに言うと、会議の数日前に担当Kは取材で左手の薬指を骨折するアホさである。こんなポンコツどうにもならんよ......。

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