新日本プロレスの新社長、ハロルド・メイ氏が自身のプロレス愛とさらなる成長戦略を語る!

あっと驚く人事だ。国内で絶好調なのはもちろん、最近は海外でも注目度がぐんぐんアップしている新日本プロレス、その新社長に就任したのはまさかのオランダ人。

これまで数々の企業で辣腕を振るってきた日本通の"プロ経営者"ハロルド・メイ氏が、今後の戦略、さらには自身のプロレス愛を語ってくれた!

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東京・JR目黒駅横にそびえる複合ビルの16階。今年3月に移転してきたばかりの新日本プロレス本社でメイ社長はまず、幼き日のプロレスとの出会いから語り始めた。

「8歳だった1971年、家族でオランダから横浜に移り住みました。父が旧カネボウの本社に取締役として迎えられたからです。

私はインターナショナルスクールに通うことになったのですが、当初は英語も日本語も話せなかったため、学校でも街中でもまったく言葉がわからない。そして日本のモーレツ社員と同様、土日も出勤するほど働き詰めだった父とは触れ合う時間がなく、寂しい思いをしていました。

そんななか、数少ない父との接点が、夜、一緒にテレビのプロレス中継を見る時間だったんです。日本語がわからない父と私でも、動きだけで楽しめますからね」

画面の中ではザ・デストロイヤー、アブドーラ・ザ・ブッチャーらが死闘を繰り広げていた。

「父は試合に入り込んで『頑張れー』『うわ~』なんて声を上げるわけです。すると隣の私も、『僕だってお父さんと同じものが好きなんだ』と示したくて、同じように叫ぶ。

最初はただ父に合わせていただけでしたが、すぐに自分もプロレスファンになりました。父との絆(きずな)が深まったことも含め、日本で過ごした少年時代はプロレスに救われました」

13歳のとき、父の転勤でメイ氏はインドネシアへ。やがてアメリカの大学、大学院に進みマーケティングやブランディングを学んだが、大好きになった日本で将来働きたいと日本語の勉強を続けていた。

願いは叶(かな)い、ハイネケン ジャパンに就職。その後渡り歩いた数々の大企業で職務に没頭していた彼のプロレス熱が再燃したのは、10年ほど前のことだ。きっかけは日本人の奥さんだった。

「妻はいわゆる"プ女子"の先駆け。彼女に影響されて久々に新日本の試合を見てみると、『プロレスってこんなに進化してたのか!』と。昔は昔で面白かったんですが、近年の新日本にはさまざまな持ち味やキャラを持った選手があふれていて、本当にワクワクします。特にここ5、6年ほどは会場にも足を運ぶなどハマってましたね」

その一方、仕事面では「託されていた経営再建ミッションが達成できた」と、社長を務めていたタカラトミーを昨年いっぱいで退社。次のステージを検討していたところ、新日本の木谷高明オーナーから社長就任を打診される。

「上から目線の言い方だと誤解しないでいただきたいのですが、私のこれまでの経験やノウハウで新日本を『助けたい』と感じ、お受けしました」

どのような面で新日本を助けられると思ったのか。

「今はよいものをただ提供すれば物が売れる時代ではなく、『どんな会社が作っているのか』という企業マーケティングが重視されています。そのためにはまず選手に加えて、社長の顔も見えないと、顧客の信用につながらない。

ですから私は企業マーケティングの一環として社長就任後、取材を積極的に受けたり、試合会場の入り口でお客さまにご挨拶したりしています。こういう人間が新日本の社長なんだ、と少しでも多くの皆さんに知っていただきたいんですよ」

会場で観客に求められれば、サインや記念撮影にも応じる。新日本をもっとこうしてほしいという要望も耳に入ってくるので、市場調査にもなるという。

さらに新日本公式サイト内に「ハロルドの部屋」なるコラムを持ち、社長としての日常や思い、選手の素顔などを綴(つづ)っている。

日本語で執筆しているのだが、外国人にしてはという域を軽く超え、ここまで読む者の心をつかみ、しかもにやりと笑える文章を書ける50代の日本人経営者などめったにいないというレベル。イマドキのくだけた言い回しまで無理なく使いこなすのである。

「あのコラムも、経営者の意向を皆さんに伝えられる大切な場。楽しみながら書いています。若者言葉に関しては、日常的にSNSを利用しているからだと思います。さまざまな年齢層の興味や傾向を知るのも、マーケティングの基本ですからね」

ブランディングの上で最重要視しているのは、動画配信サービス「新日本プロレスワールド」の充実だという。

「地理的、日程的に会場で生観戦できないお客さまに新日本ファンになっていただくための大事なツールが、新日本プロレスワールドです。

ただ、試合映像は豊富なストックがあるのですが、その試合に至るまでの流れを追ったコンテンツがあまりに少ないのはなんとかしたい。今の状況を映画にたとえれば、ラスト10分のクライマックスシーンしか見られないようなもの。伏線になる背景や登場人物のキャラや両者の関係までわかれば、ヤマ場をより面白く楽しめるじゃないですか。

私はトップ選手だけでなく、ベテランや若手にも脚光を浴びてもらいたい。彼らの試合のバックグラウンドがわかるコンテンツを増やせば、ファンはもっとそれぞれの選手に感情移入できるし、選手たちのブランド価値も上がります。そう、新日本にとって彼らは大切なブランドなんです」

9月22日(土)発売の『週刊プレイボーイ』41号では、さらに海外進出の具体的な計画、彼に社長をオファーした木谷オーナーのインタビューも掲載している。

●ハロルド・メイ(HAROLD GEORGE MEIJ)
1963年生まれ、オランダ出身。87年に旧ハイネケン ジャパン入社。サンスター役員や日本コカ・コーラ副社長などを経て、2014年にタカラトミー入社。15年に社長就任。18年6月1日より現職