思い出の巨人・阪神戦を語り合う王 貞治氏と江夏 豊氏 思い出の巨人・阪神戦を語り合う王 貞治氏と江夏 豊氏

江夏 豊氏が王 貞治氏から狙って三振を奪い、「シーズン奪三振記録」を塗り替えたのは、1968年9月17日のことだった――。

半世紀の時を超え、ふたりのレジェンドが伝説の名勝負を振り返った!

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江夏 僕は阪神時代、巨人戦で王さんと数多く対戦させてもらいました。精魂つめて勝負しにいきましたから、抑えたときは心底うれしかったですし、打たれたら悔しかった。自分の現役生活を振り返ってみると、やっぱり、王さんとの対決が一番鮮明に記憶に残ってるんですよね。

 当時阪神の監督だった藤本(定義)さんは最初、巨人戦にキミを使わなかったよね。

江夏 プロ1年目の昭和42(1967)年、開幕から5月の終わりまで、藤本のおじいちゃんは一回も放らしてくれなかったんですよ。

 こっちは「江夏というすごい投手が入ってきて、いいピッチングをしてる」と聞いてたから、「そろそろ、うちへ投げてくるかな」と思っていたんだけど全然投げてこなくてね。不思議だったのよ。

江夏 そうなんですよ。そのとき、ほかの4チームにはどこでも放らせてくれて、4チームすべてから勝ち星を挙げていたんです。ただ、巨人戦だけは順番が回ってこなかった。

5月31日に巨人戦初登板で勝ったときも、もともと僕は投げる予定ではなかったんです。あの試合は村山(実)さんが先発したんですが、血行障害で急に放れなくなった。たまたまブルペンで放ってるのが僕しかいなくて、それで藤本のおじいちゃんが「しゃあないから江夏を放らすか」となったらしいです。

その試合では、王さんとの初対決で三振を取らせてもらいました。そういう意味じゃ、巨人戦初登板も印象深いですが、自分にとって王さんとの対戦で一番の思い出は昭和43(1968)年9月17日。

 ああ、その日。

江夏 今から丸50年前ですね。

 50年になるんだねえ。

江夏 あのときの自分は、大先輩の王さんに対して大変失礼なことをしたんですよ。

 いや、いや、いや。こっちもね、一番脂が乗ってるときだったから。江夏という力のあるピッチャーに対して、「よし! 勝負だ」っていう気持ちでいったんだよ。

江夏 あの試合は残り8つで、稲尾(和久)さんの持つシーズン最多奪三振記録を塗り替えるというタイミングでした。それで1回にふたつ、2回にふたつ、3回にふたつと積み重ねていき、4回に8つ目を王さんから取って「よし新記録だ」と思ってベンチに帰ると、キャッチャーの"ダンプさん"こと辻 恭彦さんから「まだタイ記録だ」と言われまして。

 新記録じゃなかったんだ。

江夏 はい。残り8つというのは自分の計算違いでした。で、やっぱり、もう一回王さんの打席まで回したいと思いまして......。点を取られないように、なおかつ三振を取らないように打者を一巡させて、ついに7回に王さんまで回ってきました。あのとき、王さんはわかっていたと思うんですよね。自分から三振を取って記録を作ろうとしてるのが。

 うん。とにかくね、バッターは力負けするのがいやなんだよ。例えば、フォークボールとか変化球で三振を取られるのは悔しくもなんともないんだけど、真っすぐで空振りを取られて三振っていうのは、バッターのプライドが一番傷つく。まして自分みたいにホームランを打ってね、チームの看板を背負ってるバッターにとって、力負けするのが一番いやなんだよね。

そういった意味で、堂々と力で攻めてきたキミと勝負ができたのは、僕にとってもすごくいい思い出なんだよ。あの場面では最後に外角高めの球を空振りしたよね。三振は三振なんだけど、これはもう完全に力負けしたっていう感じの三振だったからね。別に三振を取られるのがいやだとか、そんな気は全然なかったよ。

江夏 ただ、王さんまで回ってきたときには当然、阪神ベンチ、巨人ベンチ、なおかつスタンドのファン、もうみんなわかってたと思うんですよね。あのときの王さんの形相、僕はマウンド上から見ていましたが、「この若造が!」っていう気持ちがかなり強かったように思うんですよ。

 でもね、本当に球に力があったから、そういう気持ちはなかったよ。しかもコントロールがよかったよね。インコース、アウトコース、高め、低めとか、そこまで球を操れるピッチャーは今でもあんまりいないもの。それでなおかつ球に力があるんだから、本当に芯で打たないと飛んでいかない。僕は大抵、ちょっと詰まり気味だろうが、先っぽに当たろうが、スタンドまで持っていけたんだけど、キミの球は芯で打たないとスタンドへ届かなかった。いい回転でね。

当時、トラックマンみたいに回転数を測れる機械があったら、ものすごい数字が出たろうね。回転といえば、江川(卓)の球もよかったけど、当たったら飛んでいっちゃう。でも、キミの場合は前進力が強くて、芯で打たないとバッターは力負けするってタイプのピッチャーだったね。

江夏 ありがとうございます。

『週刊プレイボーイ』で連載中の「江夏 豊 アウトロー野球論」。その連載が1000回を突破したことを記念し、実現した王 貞治氏とのスペシャル対談。9月22日発売の『週刊プレイボーイ41号』では、忘れられないふたりのもうひとつの対決、高校野球、そして王氏が語る"野球の華"についても熱く語り合っている。

●王 貞治(おう・さだはる)
1940年5月20日生まれ、東京都出身。独特の一本足打法を駆使してホームランを量産し、巨人の9年連続日本一に貢献した。国民栄誉賞受賞者第1号であり、2010年には文化功労者として顕彰された。通算本塁打868本の世界記録を保持。現在は福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長

●江夏 豊(えなつ・ゆたか)
1948年5月15日生まれ、兵庫県出身。大阪学院大学高校卒業。阪神、南海、広島、日本ハム、西武で活躍し、年間401奪三振、オールスター9連続奪三振などのプロ野球記録を持つ、伝説の名投手。通算成績は206勝158敗193セーブ