リフレッシュした「60歳の若大将」原辰徳監督(手前)が「レジェンド左腕」江夏豊氏に「巨人軍再建」への思いを語る!

4年ぶりに現場復帰した"名将"は実にすがすがしい表情を浮かべていた。今オフには大型補強を敢行し、日本一奪還が至上命令とされるが、気負う様子はまったくない。

『週刊プレイボーイ』本誌で「江夏 豊のアウトロー野球論」を連載中の"レジェンド左腕"江夏豊氏が、自然体の"若大将"原辰徳監督に現在の心境を問う!

■新米監督の気持ちでやろうと誓った

江夏 まずは、3度目の監督就任、おめでとう。

 ありがとうございます。ただ、おめでたいんだかどうだか、自分自身ではよくわかりませんが(笑)。

江夏 現場を離れていた3年間、あなたは巨人というチームをどう見ていた?

 それはもう高橋由伸という若きリーダーにバトンを渡しましたから、一ファン、一OBの目で見てましたね。だから、また現場に帰るなんて頭の片隅にもなかったです。ある種、エンジョイしながら、というような3年間でした。

江夏 じゃあ、すごくいいリフレッシュができた?

 もう、すっごく! フレッシュになりましたよ。

江夏 実際に監督を引き受けることになったとき、あなたの心境はどうだったの?

 「また監督を頼む」と命が下りまして、少し考えました。オーナーと3時間ほどお話しするなかで考えを整理しましてね。僕が引き受けて、どういうチームをつくらなければいけないのか。

それ以前にどういう目的で自分が呼ばれたのか。あらゆることを考えた上で、「受けさせていただきます」と答えました。

江夏 1度目に監督就任したときと今回と何が違った?

 1度目は長嶋茂雄監督の下で3年間、ヘッドコーチを務めて就任したんです。今回は完全に離れていましたから、全然違います。

江夏 ひとつのレールの上に乗っかっていったと。

 ですね。でも今回、自分がフレッシュになって、監督としての心構えでひとつ思ったのは、「自分にはそこそこのキャリアがある」という自負があることでして。

江夏 実績は十分と思うよ。

 しかし、3度目の監督就任に際して、自分のキャリアを前面に出した状態で選手と向き合ったら、何もいいことはないと思ったんですね。ですから、新米監督という気持ちでやろうと誓いました。

江夏 それはあくまでも、原監督としての心構え?

 はい。僕自身だけです。

江夏 でも、現場の人間にしてみたらどうだろう。

 例えば、選手から何か聞かれたら、きちんと答えようと思ってます。しかし、自らそういう話は絶対に言うまいと。言う気持ちにならないですしね。

江夏 なるほど。3年間の空白をすごくいい形で利用できたわけだね。ただ、あなたのことだから、たとえ現場から離れていても100パーセントは野球を忘れていないと思うよ。監督になるならないは別にしてどう生活するにしても、必ずどこかに野球があったと思う。

 それは本当にそうです。

江夏 やっぱり野球人だからね。

■今年、61歳。人生2回転目が始まる

江夏 それにしても、2度目の監督就任後は10年間で6回のリーグ優勝があって、1度目を含めれば3回の日本一があるんだよね。指揮官として申し分のない数字を残しているのは素晴らしいことだよ。

 でも、日本シリーズはあと2回勝てました。

江夏 ふっふっふ。それはもう、監督が悪かったから勝てなかったんだろ?(笑)

 いや、ほんっとにそうです。やっぱり、2008年に西武と戦ったときと13年に楽天と戦ったときは......。どちらも勝てた!と思いますね。その理由もいろんな要素がありますけど、どちらも3勝4敗なんですよ。ギリギリの勝負をしたという表れで、これは非常に悔しかったですね。

江夏 でもね、負けた経験のひとつひとつが肥やしになっていったんだから。あなた自身、とってもいい状態で野球ができるんじゃないかな。

 なんか、すごい新鮮なんですよ。昨年、還暦を迎えましてね。還暦というのは、人生1回転目が終わったと、昔の人は言ったそうですね。で、2回転目が始まるのがまさに今年、61歳から。

江夏 若大将も61歳か(笑)。

 いやっ、はっはっはっは。タイミング的にもそういうことがあって、そしてまた元号も変わりますから。

江夏 平成も終わりか。

 いろんな意味で新鮮な気持ちですよ。そこで選手たちにまずメッセージを送ったのは、とにかくのびのびと。

江夏 明るく、だよな。

 はい、明るく戦おうと。しかし、目的は勝つことであると。これは譲れないけれども、のびのびと戦うんだと。今まで僕、のびのびなんて言葉は頭の片隅にもなかったんですね。そんなものは当たり前じゃないか、のびのび戦えないヤツがなんでプロ野球で活躍できる?という思いがありましたから。

江夏 考え方が変わった?

 はい。3年間でフレッシュになって、のびのびという言葉が自然に出てくるほどに変わったんでしょうね。日本にアメリカからベースボールが入ってきて「野球」と名づけられた明治の時代、各地に野球少年が増え始めた。

彼らがね、お母さんに裁縫で作ってもらったグラブとボールを持ってグラウンドに行くときはもう、楽しくてしょうがなかったと思うんです。打とうが打つまいが本当に野球を楽しんだ。そういう原点に自分も返るような、そんな気持ちになったんです。

★後編⇒原辰徳監督が江夏豊氏に語る「巨人軍再建」への思い「僕は今、『よーし、また一発やったるぜ!』と叫びたいような心境です」

●江夏豊(えなつ・ゆたか)
1948年生まれ、兵庫県出身。阪神、南海、広島、日本ハム、西武などで活躍し、年間401奪三振、オールスター9連続奪三振などのプロ野球記録を持つ、伝説の名投手。通算成績は206勝158敗193セーブ

●原辰徳(はら・たつのり)
1958年生まれ、福岡県出身。東海大相模高校、東海大学を経て、81年にドラフト1位で巨人に入団。22本塁打で新人王に輝く。83年には打点王を獲得し、リーグMVPを受賞。02年シーズン、巨人の監督に就任するといきなりリーグ優勝、日本一を達成。06年から再び監督に就任し、リーグ優勝6回、日本一2回を記録。18年、4年ぶりに現場復帰。監督通算成績は947勝712敗56分け