人気女子プロレス団体「スターダム」の社長・ロッシー小川氏が、自伝『【実録】昭和・平成女子プロレス秘史』を上梓した。

小川氏は、1978年、広報として全日本女子プロレス(全女)に入社。ビューティ・ペア、ミミ萩原ら人気選手の担当となり、やがてクラッシュギャルズのマネージャーへ。女子プロレスが栄華を極めた時代から、42年もの間女子プロ業界に身を置き続けてきた人物だ。

仕事として携わる中でも、10歳でプロレスに夢中になった好奇心を胸に、実体験として伝説のスターや女子プロレスの栄枯盛衰を見てきた同氏に、注目選手から女子プロレスの変遷を根掘り葉掘り聞いてみた!

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――以前から「今がいちばん面白い」とおっしゃっていたので、女子プロレスの歴史を振り返る本を書かれたのは正直驚きました。

小川 ただあったことを綴(つづ)っているだけなんですけどね。私が女子プロレスの世界に入ったのは40年前で、当時の関係者はもうみんなあの世に行ってしまったし。じっくり書いたわけでもなく、移動の飛行機の中や寝る前に携帯で打っていった、頭の中に記憶している断片的なことで、歴史のごく一部です。

プロレスって、言葉になっていなかったり表に出ていないものが山ほどあるんですよ。だからこの本も、氷山の一角。プロレスに限らず、世の中いろんな動きや流れがあって人間それぞれに歴史があるように、女子プロレスにもスターダムにもそれぞれの選手にも歴史があるから、いろんな人間関係も含めて、暇つぶしに読んでもらえれば。

――全女時代は広報として、人気絶頂のクラッシュギャルズをテレビ局に連れていったりと、過密なスケジュールだったそうですね。

小川 その時は同行してずっと出かけていて、たまに事務所に戻ってきた時にバーっと仕事の電話が入ってきて、またダーッと出ていってという、その繰り返しですよ。いろんな人がやるとダブルブッキングも出ちゃうだろうし、自分が全部調整していたので。当時は携帯もなく、今みたいに便利な時代じゃないから(笑)。

――携帯もないのに山のようなブッキングもこなすとは今では考えられないです......。小川さんはスター選手をつくる手腕も業界では評価が高く、"グラレスラー"愛川ゆず季や、今やWWE所属で世界に羽ばたく紫雷イオも、スターダムの出身です。

小川 自分で言うのもおかしいけど、スターメイカーなので(笑)。

――これまで見てきた中で一番の女子プロレスラーは?

小川 時代によって背景も尺度も違うので、誰が一番というのは一概には言えないですね。

――昔と今ではまったく違うんですね。

小川 俺は今が一番だと思ってますけど。過去にやってきたことでは、今は生きていけないから。それができるのはアントニオ猪木だけですよね。

――現在進行形で時代の変化に対応できた人だけが生きていけると。では現在、女子プロレスで期待の選手は?

小川 もう女子プロ界の一部になったのは林下詩美じゃないでしょうか。たった半年しかやっていない中で、もうスターダムの枠に収まらずいつでも女子プロレス大賞を獲れるところまで来てますね。

――デビュー4カ月でプロレス大賞新人賞を受賞と、なぜ半年でそこまで行けたのでしょう?

小川 周囲が期待して、それに応えたからじゃないでしょうか。"ビッグダディの三女"というバックボーンもそうだし、それに負けないものを持っていた。

彼女が入った時に思ったのは、売り出し方にしても何にしても我々が焦っちゃダメだということ。だから話題先行にならないよう、プロレスの基礎が固まった上で、プロテストというお披露目の機会を用意したんです。まだ野に放たれたばかりだし、洗練されるのはこれからですね。

実は彼女には最初、同時期に入門した施設出身の子とライバル関係が作れたら面白いと考えていたんです。でもその子は練習についていけなくて挫折したので、結果、プロレスという世界に突然放り込まれちゃったんです。でもそれも彼女のひとつの運命だったかな。

林下詩美、20歳。スターダム所属。昨年8月にリングデビュー(写真提供/スターダム)

――新人とは思えないデビュー戦で評価も高く、むしろ吉と出ましたね。

小川 デビュー戦を見た時に、これはプロレス大賞の新人賞だなと直感したんですよ。だからそういうチャンスを与えるわけです。そこへ持っていくためにストーリーを描き直して。

――そのストーリーは思い通り行かないことが多いと思いますが。

小川 行かないですよ。3ヶ月~半年ぐらい先までは考えていても、その都度変わっていますね。1年前に考えたことが、1年経ってその通りになったことがない。だぶん男のレスラーはよっぽどのことがない限り辞めたりしないから、ある程度プランニングできるけど、女子の場合は分からない。ケガもあるだろうし自分で見切りをつける人もいるだろうし、辞める可能性があるから。

――団体のスター選手をWWEに送り出してもいます。

小川 それはもう本人が行きたいと言うならしょうがないですよ。これは(全女の会長の)松永イズムなんですけど「来るものは拒まず、去るものは追わず」というスタンスで。辞めたいと言えば、そこに心がないということだから、どんな契約をしていたとしてもどうしようもないことなんです。

あと、辞めるという人は少なからず不満があるわけじゃないですか。まずそこまで行ってしまったことが問題だし、そういう人を会社の中で追い込んじゃいけないんですよ。

昨年、スターダム退団発表と同時にWWE入りを宣言した、日本女子プロレス界の至宝・紫雷イオ(写真提供/スターダム)

――本書には、以前は先輩レスラーにいじめられて辞めた子がいたことも書かれていましたが、それは今では変わりましたか?

小川 スターダムにも以前は、昔の上下関係とか変なしきたりとかを背負ってきた選手がいたけど、今は完全にそういうものはなくなって、ある意味クリーンというかいい状況になっていると思います。

――それも時代に合わせて変化した?

小川 というより、そういう選手はここにはもういられなくなったんです。終身トップ制というものはないから、ポジションがどんどん変わっていく中、自分が常に上にいたいと思うといられなくなるんです。昔の悪い習慣は、ここではもう通用しないということですよ。

――新しい時代の新しい団体という意識でやっている?

小川 今はそうなりましたね。そういう部分で、女子の選手が団体を率いているところは苦戦していますよね。みんな人数が少ない。現役の人も引退した人もいるけど、その選手を軸にした上下関係で成り立っているから、新しい子が入って来ないんです。

また、団体によってはやたら営業活動があるとか、試合よりもスポンサー相手の食事会が多かったりもありますが、スターダムは練習と試合だけで会社の仕事はやらせてないんですよ。本人が「自分の地元だから」と言う場合は別にして、何も営業活動は強制していない。プロレスラーはプロレスと広報活動を一生懸命やればいいと思う。SNSを一生懸命発信するとか。

――広報のやり方も変わってきているんですね。

小川 変わってきてますね。SNSは積み重ねだから1発じゃ効かないんですよ。ボクシングのジャブみたいに続けることで蓄積されていくので、発信し続けなきゃいけない。

あとフォロワーを増やしていかないと。新日本プロレスは30万人のフォロワーがいるから、つぶやいたことが30万人の人に届くんですよ。プロレスに限ったことじゃなく、トランプ大統領の方がどんな新聞よりもフォロワーが多いから、活字やテレビよりも彼の発信が影響力があることになる。

それと一緒で、プロレスは宣伝媒体がほぼなくなりつつある中、それまではプロレスの専門誌や雑誌に取材されることがステータスだったけど、今は取材されない人もいっぱいいて、その人達も自分で発信できる。ただ、便利になった一方で、自分で責任を持って発信していかなきゃいけないし、セルフプロデュースができないとという側面もありますけどね。

※後編⇒女子プロレス界の生き証人・ロッシー小川が語る、スポーツ界のセクハラ問題と女子プロレスの未来

ロッシー小川
1957年生まれ。千葉県出身。1978年、広報として全日本女子プロレス入社。ビューティ・ペア、ミミ萩原らの担当となり、その後、クラッシュギャルズのマネージャーを務める。その後、企画広報部長として活躍。その後、「アルシオン」「AtoZ」「JDスター」など数々の団体での活動を経て、2011年「スターダム」を旗揚げ。紫雷イオ、宝城カイリほか数々の人気女子レスラーを輩出した。2019年1月末に自叙伝『【実録】昭和・平成女子プロレス秘史』(彩図社)を上梓