「『黄金世代』の仲間は、みんな自立していて、メンタルが強かった」と語る高田保則氏

1999年、フィリップ・トルシエ監督率いるU-20日本代表がワールドユース選手権(現U-20W杯)で準優勝した。世界の頂点まであと一歩――20年前、「黄金世代」と称された面々が刻んだ伝説である。

その激闘を主力選手たちが振り返る短期連載「ザ・黄金世代」。今回は、高田保則(たかだ・やすのり)氏が登場!

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この代表チームにまったく絡んでいなかった僕が、本大会に挑むチームに招集されたのは、その前年、国立競技場で行なわれた横浜フリューゲルス戦(1998年9月26日、Jリーグセカンドステージ第8節)でのプレーがポイントになったと思います。

当時、ブラジル代表のサンパイオと対峙(たいじ)して、積極的に仕掛けていってPKをもらったんですよ。それを(日本代表監督に就任したばかりの)トルシエ監督がたまたま見ていて、(その後、トルシエ監督がU-20日本代表監督を兼任することになって)最後の最後でメンバーに滑り込んだ感じですね。

自分がチームになじんできたかなって思えたのは、(グループリーグ第3戦の)イングランド戦からですね。後半32分から、時間稼ぎ要員みたいな感じで本山(雅志)に代わって出場したんです。

非常に暑くて、ほかの選手が体力的に厳しい状況となっているなかで、(自分は)必死に動き回って、相手からファールをもらったりして、チームの勝利に多少は貢献できたかなって、そこで手応えを感じられたんですよ。

途中出場でも懸命にプレーして、チームの勝利に貢献した高田(中央)

その試合後、ドーピング検査の対象になったんですけど、すぐに終わってバスに戻ったら、みんながいろいろとイジってくれて。それで、一気に(チームの)仲間に入れた気がしました。

この大会は、バンちゃん(播戸竜二)やウジ(氏家英行)の存在が大きかったですね。僕は、バンちゃんと同じ部屋だったけど、彼はネガティブな発言をまったくしなかった。

基本的にトルシエ監督はレギュラー組にしか話をしないので、僕らサブ組は自分たちで練習をがんばるしかない。そうなると、レギュラーとサブの間に"壁"ができそうだけど、バンちゃんがその垣根をなくしてチーム全体を盛り上げてくれた。

僕は中学生時代、日産FCジュニアユース(現横浜F・マリノス下部組織)に所属していて、3年間公式戦に出られなかったんです。そのせいで、ベンチにいるのが本当にいやで、試合に出ることだけに(選手としての)価値を見いだしていたんです。

でも、バンちゃんが試合に出られないなかでもやれることを示してくれて、それにすごく助けられましたね。

「黄金世代」の仲間は、みんな自立していて、メンタルが強かった。初戦に負けても落ち込まず、明るく挽回して勝ち上がっていく姿を見て、本当に芯の強さを感じました。

いろんな世代の選手を見てきたけど、今の選手はサッカーしか知らないせいもあってか、イレギュラーなことが起きたときに、柔軟に対応する力が足りない。うまいんですけど、なんか脆(もろ)さを感じます。

僕らは子供の頃から、(周囲に)叱ってくれる大人がいて、褒めてくれる大人がいて、"サッカーが楽しい"ということを教えてもらってきた。そのまま成長して、みんな、サッカー小僧のままプレーしていた。それが「黄金世代」なのかなって思います。

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●高田保則(たかだ・やすのり)
1979年2月22日生まれ、神奈川県出身。2011年に現役引退を発表。現役時は、動きだしの速さと優れたゴール感覚を武器に持つFWとして活躍した。ベルマーレ平塚ユース→ベルマーレ平塚(湘南ベルマーレ)→横浜FC→ザスパ草津