パリ・サンジェルマン戦でムバッペとマッチアップ。17分には相手のシザーズにバランスを崩され、膝と手を突かされてしまった。それでも昌子は「このレベルを知るために海外に来た」と前を向く

今年1月、満を持して初の海外挑戦を果たした昌子源(しょうじ・げん/フランス・トゥールーズ)。移籍直後からレギュラーを獲得し、毎試合フル出場を続ける日本代表CBは先日、W杯でフランス代表を優勝に導いた"怪童"ムバッペと対峙した。

鹿島アントラーズの番記者として、デビュー当時から追いかけ続ける田中滋氏が現地で直撃!

■春爛漫のトゥールーズで苦悩する昌子

南欧に位置するフランスのトゥールーズは、赤レンガの美しい街並みが特徴だ。日本では「令和」という新たな元号が発表された4月1日。街路樹は柔らかな緑に覆われ、この街にも春が来たことを告げていた。

しかし、そんな季節の変化に取り残されている男がいた。

「どうしたらいいんやろ」

今年になってこの街に来た昌子源は悩んでいた。

この日の対戦相手は、フランスで最も人気のあるクラブのひとつであるパリ・サンジェルマン。普段は空席が目立つトゥールーズのスタジアムにも、多くの観客が詰めかけた。それを見越したクラブは、チケット料金を倍額以上に設定していたが、それでも客足が遠のくことはなかった。

観客のお目当ては、フランス代表のエースを務める快足FWムバッペ。昌子の役目はその世界的ストライカーを抑えることだった。

ところが、最初のマッチアップで突破を許してしまう。昌子は相手のシザーズにバランスを崩され、膝と手をピッチに突いた。幸いシュートは外れたものの、1対1の勝負は相手の完勝だった。

「シザーズからの縦突破はめっちゃ速かった。今シザーズした?ってくらい、ササッときた。一瞬バランスを崩されるだけで、こうも無抵抗になるのかと知りました」

昌子は1対1の対応に自信を持っていた。Jリーグでは背後に広大なスペースがあっても抜かれる恐れはまったくなかった。スピードもパワーも昌子のほうが上であり、専門家が舌を巻くほど柔らかい下半身でボールをからめとる。

ロシアW杯でも唯一のJリーガーとしてピッチに立ち続けた。しかし、フランスではまったく歯が立たなかった。

「日本では絶対に経験できないこのレベルを知ることが海外に来た最大の理由です。リヨンのとき(3月4日)もデンベレにぶっちぎられて5失点しました。でも次の週の試合に向けて切り替える。自信をなくしたらもう終わりです」

自信をなくせば相手FWが怖くなる。相手を怖がるCBに試合に出る資格はない。ただ、タックルしても「岩にぶつかりに行くみたいでびくともしない」相手から、どうやって守ればいいのかは簡単には見えてこなかった。

■中途半端な自分への自覚とSNSでの批判

これまでもふとした瞬間、リヨン戦でデンベレに抜かれた場面が頭をよぎることがあった。これからはムバッペに抜かれた場面も浮かぶだろう。

「今はサッカー選手として超中途半端な感じがする。やっぱりこっちでもしっかり結果を残したいし、自信を失いたくない。でも、ちょっとずつ失ってるのを自分でも感じるんですよ。それを相談できる相手も今はいないから、暇さえあればなんか考える」

自分でもいいパフォーマンスが出せていないことはわかっている。期待が大きかった反動か、昌子のSNSには多くの批判の声が寄せられた。

当然、90分のなかで見れば、昌子がムバッペからボールを奪う場面は何度もあった。少し離れた位置からターンする瞬間にボールをとらえる対応は見事だった。

しかし、最終的にはムバッペが勝負を制する。クロスに対して風のように走り込む動きを繰り返していた"怪童"は、一転してゴール前で立ち止まると、ワントラップから狙い澄ましたシュートをゴール右に流し込んだ。

「ムバッペにぶっちぎられ、リヨンのときもデンベレにぶっちぎられて、言い訳とかないから」

批評や批判に対して気持ちはいら立った。しかし、昌子にできるのは、ふつふつと反骨心をたぎらせることだけ。決してエリートではない昌子にとって、反骨心こそが原動力だった。

ガンバ大阪の下部組織では宇佐美貴史らきら星のごとき才能に出会い、FWとしての能力のなさを痛感。一時はサッカーから足が遠のいた。しかし、高校時代にもう一度サッカーと向き合い、鹿島アントラーズに入団する。

鹿島で背番号3を背負うようになると前任の岩政大樹と比較され、コンビを組んだ植田直通とも比較された。ちょっとミスをすれば、「今のおまえなら植田のほうがいいぞ」と言われたことも一度や二度ではなかった。

その都度、悔しさをバネに成長を遂げてきたが、どうしても納得できないことがひとつだけあった。

「どうして植田と俺を比べるんですかね。ひとりのあかんところを引き出すのが相方の仕事。互いの長所を引き出して短所を隠すのがCBの仕事やのに、なんでここを天秤(てんびん)にかけるんやろ」

■吉田や冨安が持っていて自分にはないもの

3月、久しぶりに日本代表に復帰した昌子のパフォーマンスは決してよくなかった。コロンビア戦では先発としてピッチに立ったが、コンビを組んだ冨安健洋のほうがずっと安定していた。

「日本人の特性として誰かと誰かを比べるのがすごい好きなんで、今は間違いなく俺とトミ(冨安)、(吉田)麻也くんを比べてるんだろうなと思う。現段階で言ったら、トミのほうがいいプレーをしているし、麻也くんだってずっとプレミアでやっている。

『吉田と冨安のほうがいい』と言われてると思うけど、そんなの全然気にしなくなりました。自分のよさは自分がいちばんよくわかっている。そういう強い気持ちはずっと持っていたい」

批判があることは否定しない。しかし、今そこに引きずられると自信を失うだけでなく、自分自身をも見失いかねなかった。

昌子の身長は182cm。日本人のなかでは小さくないがトゥールーズにいると周りに埋もれてしまう。一方、吉田麻也は189cmあり、冨安健洋も187cmある。ポジションは同じCBだが、前提となる条件がまったく違う。昌子はふたりのことを「うらやましい。やっぱりいいなと思う」と言った。

「この身長、この体形でこっちに来たのは一種の賭けだと思う」

欧州にいれば小さな選手に入る。年齢的にももう若くはない。子供も生まれたばかりだった。それでも海外挑戦へと突き動かしたのは、外国人選手としのぎを削る経験が欲しかったからだ。

デンベレ、ムバッペ相手に手も足も出なかった昌子にとって、そうした経験は初めてではない。実は評価を高めたロシアW杯でも同じような感覚を味わっていた。

「W杯ではマスコミの皆さんからベルギーのルカク(マンチェスター・ユナイテッド)のことを聞かれたけど、僕のなかではセネガルのニヤング(レンヌ)のほうが衝撃的だった。でかいし、強いし、速い。びくともしなかった」

ニヤングとマッチアップしたときには、なるべく飛び込まずに我慢する守備を続けたが、それだけでは止めることができずズルズルと下がっている。そのやり方をフランスに来ても続けていたが、それだけでは守り切れないことに昌子は気づいていた。

3月のコロンビア戦では冨安健洋(左)とコンビを組んだ。比較されることも多いが、「自分のよさは自分がいちばんよくわかっている。そういう強い気持ちはずっと持っていたい」と自信をのぞかせた


■欧州と日本の違い。延長線上ではなく並行にある存在

ムバッペとのマッチアップでは、速い選手への対応のセオリーとして距離を取った。

「ムバッペ相手に縦をクソ空けました(笑)。絶対に中に行かしたらダメと思って。『あんなに縦空ける?』っていうくらい」

どこかのタイミングでスライディングに行こうと間合いを計ったが飛び込めない。逆に一発のフェイントでバランスを崩された。

「日本にいたときにはセルヒオ・ラモス(スペイン代表、レアル・マドリー)とかピケ(スペイン代表、バルセロナ)とか、世界トップ10くらいに入るCBのプレーに納得がいってなかったんですよ。すぐスライディングするし、言うたら軽い。

でも、こっちに来てわかりました。やっぱり彼らはすごい。それこそ、ムバッペ、ネイマール(ブラジル代表、パリ・サンジェルマン)、メッシ(アルゼンチン代表、バルセロナ)クラスの選手と毎試合やってるから、正対のディフェンスだと、いないのと同じ。それだけじゃ守りれない」

フランスに来てわかったことがあった。スライディングでかわされると、日本では「軽い」と言われたが、こちらでは抜いた選手が「うまい」と評価されるのだ。

「フランスに来る前は、日本の延長線上に海外があると思っていました。でも、こっちはまったく違う。完全に別の世界。どっちが上とか下じゃない。横にある感じ」

これは新たな挑戦なのだ。ひと昔前であればファビオ・カンナバーロ(元イタリア代表)やカルレス・プジョル(元スペイン代表)など、昌子よりも小さいCBが欧州チャンピオンズリーグの覇権を争うチームで活躍していた。

しかし近年、選手の大型化は顕著に進んでいる。そのなかで昌子が確かな足跡を海外で残すことができれば、ほかの日本人CBにも新たな道が拓(ひら)ける。

「見本がないんですよね。でも、それをやっていかないといけない世界に来た」

誰も歩いたことがない道を昌子は歩こうとしている。

●昌子源(しょうじ・げん)
1992年12月11日生まれ、兵庫県神戸市出身。2011年に鹿島アントラーズへ入団。昨年6月のロシアW杯ではレギュラーで唯一のJリーガーとして活躍し、国内外で評価を高めた。今年1月に満を持してフランス1部・トゥールーズへ移籍