鹿島と磐田の試合は、いつも高いレベルで激しくて見応えがあったと語るセルジオ越後氏

前回は僕が選ぶJリーグ歴代最強チームということで、1993年、94年のV川崎(現・東京V)を紹介したけど、今回はそのV川崎に続いて印象に残っているチームについて話をしたい。

それは97年の鹿島と磐田。いわゆる"2強"時代を築いた両チームだ。

前年にリーグ初優勝を達成した鹿島は、前年途中にパリ・サンジェルマンに移籍したレオナルドの穴を埋めるためにV川崎からビスマルクを、さらに平塚(現・湘南)から右サイドバックの名良橋を獲得した。これで盤石の布陣が出来上がった。

最終ラインは中央にパワフルな秋田とクレバーな奥野、両サイドに相馬と名良橋、その前にはジョルジーニョと本田のボランチコンビがいて、守備は鉄壁だった。一方、前線もビスマルクを中心にブラジル代表経験のあるマジーニョやこの年に新人王に輝いた柳沢など選手層が厚かった。

この年の鹿島は得意のサイド攻撃に磨きがかかり、MFのビスマルクもゴールを連発。ブラジル代表では右サイドバックを務めていたジョルジーニョは真ん中でもこんなにスゴいのかというプレーを見せた。名良橋が日本代表に復帰できたのも、本来右サイドバックだったジョルジーニョのアドバイスがあったんじゃないかな。

1stステージは優勝したものの、最終的にチャンピオンシップ(CS)で磐田に敗れ、リーグ連覇は逃したんだけど、チーム力は前年よりも上だと思う。ナビスコ杯(現・ルヴァン杯)、天皇杯も制し、年間勝ち点も1位。実にいいチームだった。

その鹿島をCSで倒したのが磐田だ。この年のMVPを獲得したドゥンガの存在は磐田にとって本当に大きかった。

彼は95年に磐田に加入して以降、強烈なリーダーシップを発揮。当時の磐田には名波、藤田、中山など地元・静岡出身の素晴らしい選手がたくさんいたけど、チームを仕切る選手がいなかった。そこに黙ってはいられない性格のブラジル代表キャプテンが加わり、チームメイトにプロ意識、勝つために必要なことをどんどん求めたんだ。

彼はいつも怒っていた印象がある。実際、僕と話すときもチームへの不満や疑問をよく口にしていた。それは試合中も一緒で、チームメイトに身ぶり手ぶりを交えながら指導をする。やられたほうはたまらないだろうけど、それでも文句を言わずについていって、チームは着実に強くなった。

後に名波も「うるさかったけど、ドゥンガの存在は大きかった。それは間違いない」と話していたね。

97年はドゥンガの来日3年目。チームも成熟し、彼も以前ほど怒らなくなっていた。もともとメンバーの充実していた前線に加え、守備陣にもアトランタ五輪に出場した田中、鈴木、服部などいい素材がそろっていた。結果、2ndステージを制し、CSではドゥンガを欠きながらも鹿島を破って優勝した。

この年の鹿島と磐田の試合はいつも高いレベルで激しくて見応えがあったし、まさに"2強"と呼ぶにふさわしかった。

その後、鹿島は2007年からリーグ3連覇を達成し、磐田も02年に史上初めて両ステージ優勝した。いずれも素晴らしいチームだったし、チームとしての完成度は97年より上だったかもしれない。でも、それも97年のチームが築いた土台があってこそだと僕は思う。

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