これまでもさまざまな話題を振りまいてきたタイソン。54歳にして復帰戦に臨む

今年5月、SNSで「I'm back!」と宣言してトレーニング動画を公開。今年で54歳とは思えぬスピードと迫力あるミット打ちに、世界中のボクシングファンが震撼した。

ボクシング元統一ヘビー級王者マイク・タイソンが、15年ぶりにリングに上がる。

対戦相手は、51歳の元4階級制覇王者ロイ・ジョーンズ。11月28日(日本時間29日)、ロサンゼルスのステープルズ・センターにてエキシビションマッチが行なわれる。タイソンはどんな姿で我々の前に現れてくれるのか。その前に"アイアン"マイクの波乱に満ちた半生を振り返っておきたい。

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■デビューわずか1年8カ月、史上最年少で世界王者

ヘビー級にしては小柄な体躯ながら、抜群のスピードと圧巻のパンチ力で大男たちをなぎ倒す。全盛期のマイク・タイソンの強さに、人々は畏怖の念すら抱いた。

しかし、短すぎた全盛期がゆえに、識者たちの"最強"論争ではしばしば蚊帳の外、もしくは候補者の中のひとりにとどまる。ただ、言葉遊びではあるが"最恐"もしくは"最凶"を競うのであれば、タイソンは他の追随を許さないボクサーだった。

対戦相手の耳を噛みちぎり、自身の顔面にはニュージーランドの原住民マオリ族を思わせる入れ墨を入れる。購入した高級車は100台を超え、豪邸で3頭のホワイトタイガーを飼っていたこともある。ドラッグ、アルコールだけでなくセックス依存症に苦しみながら、キャリアを通して700億円を稼ぎ出すも、気づけば20億円を超す借金を抱えて自己破産。

アメリカンドリームの光と影をこれほど色濃く体現したボクサーは、ほかにいない。カムバック目前、ボクシング史上、最も愛され、最も憎まれたであろうボクサーは、どんな半生を歩んできたのか?

1966年、タイソンはニューヨークのブルックリンに生まれる。2013年に出版された『真相――マイク・タイソン自伝』によれば、2歳の時に父親は蒸発し、売春斡旋業を自宅で営んでいた母親は、子守唄の代わりに安物のアルコールを赤ん坊のタイソンに飲ませ寝かしつけた。

7歳の時に移り住んだのが、ブルックリン地区ブローンズビル。当時、ブローンズビルの治安の悪さは群を抜き、現地のジャーナリストによると「80年代、この地域の黒人男性の平均寿命は25歳だった」と言われたほど。幼くして麻薬の売人となるか、薬の過剰摂取もしくは強盗に入った際に撃ち殺されるのが、この町の日常だった。

御多分に漏れず、タイソンも10歳になるとあらゆるドラッグに手を染める。さらに、強盗や窃盗を繰り返し、9歳から12歳の間に逮捕された回数は51回に上った。13歳になる目前には、ニューヨーク市周辺で最も凶悪な少年たちが集まるトライオン少年院に収監されている。

そして、運命に導かれたのか、弄ばれたのか、ボクシングと出会う。もちろん、ボクシングで更生しようと考えたのではない。競技を始めたきっかけは「ストリートファイトで使える」だった。

劣悪な環境で生まれ育ったのは疑う余地はない。だが、自伝によればタイソンは根っからのワルだったわけではない。道を踏み外すきっかけとなったのは、小学1年生、7歳の時。近視のため眼鏡をかけ内向的だったタイソンは、近所の悪ガキの標的だった。

ある日の学校からの帰り道、カツアゲにあったタイソンはアルミ箔で包んだミートボールを奪われまいと抵抗する。すると、悪ガキはタイソンを殴りつけ、さらにかけていた眼鏡を奪い、トラックのガソリンタンクに沈めてしまった。その日を境に、タイソンは学校へは給食を食べるためだけに足を運び、教室へは一度も踏み入れていない。そして、徐々に仄暗い道へ足を踏み入れていった。

力に目覚めたのは11歳の時。大事にしていたハトを目の前で不良に殺された瞬間、臆病で喧嘩など一度もしたことがなかったタイソンは、その男を殴り倒す。以来、ストリートファイトが日常になった。

トライオン少年院でボクシングに出会い、その才能にいち早く気付いた教官は、名トレーナーのカス・ダマトにタイソンを紹介。その後、カスはタイソンの身元引受人となり、共同生活を始める。

カスによって才能を開花させたタイソンは、加速度的に成長していった。アマチュアとしてそのキャリアをスタートさせ、1985年3月に18歳でプロデビュー。それからわずか1年8カ月の間に28戦連勝でWBC世界ヘビー級王座まで駆け上がる。

■1秒で3000万円を稼ぎ、宝石をばらまく日々

20歳と5カ月での世界ヘビー級のベルト奪取は、史上最年少記録だった。さらに28戦を紐解くと、2度の判定勝ち以外はすべてKO勝ち。しかも、KO勝ちのうち15度は1ラウンドでのものだった。

初戴冠の翌年にはWBA世界ヘビー級タイトル、IBF世界ヘビー級タイトルを獲得して史上初の3団体統一に成功。デビューからこの間、わずか2年半の出来事だった。

時代の寵児となったタイソンは、唸るように大金が舞い込むことになる。

1988年6月のマイケル・スピンクス戦、タイソンのファイトマネーは当時の報道によると2200万ドル(当時の為替レートで約28億5000万円)。試合はわずか91秒でタイソンのKO勝ち。つまり1秒あたりタイソンは約3000万稼いだ計算になる。

ただ、この時すでに、終焉の足音は近づいていた。

厳密に言えば、恩師カス・ダマトがデビュー11連勝を飾った直後の1985年11月になくなった時点から、終焉の足音は忍び寄っていた。

自制が効かなくなったタイソンは、快楽に溺れる日々を過ごすようになる。

20万ドルするダイヤの腕時計をして、一晩のパーティーに40万ドル使い、取り巻きに宝石を配ることもざらだったとESPNはその放蕩ぶりを報じている。

常時50人近いガールフレンドがいたタイソンは、自伝で「裸になってチャンピオンベルトを巻いてセックスしたこともあった」と告白。スーパーモデルのナオミ・キャンベルとも浮名を流したこともあった。最初の妻、女優のロビン・ギブンズとの結婚生活は1年しか続かず。ロビンの浮気相手はブラッド・ピット。ゴシップ誌の格好の餌食となって当然の派手な生活を送った。

快楽に溺れたツケを、タイソンは支払うことになる。しかも、高く舞い上がった分だけ、その代償は大きい。

■世界を震撼させた「耳噛みちぎり事件」

1990年2月、2度目の来日となった東京ドームでのジェームス・ダグラス戦で初黒星を喫すると、坂道を転がり始める。

1991年には18歳の少女をホテルでレイプしたとして逮捕され、6年の懲役刑を言い渡され、3年の服役で仮釈放された。

復帰後、一度は王者に返り咲くも、1996年11月イベンダー・ホリフィールドにTKOで敗れ王座陥落。そして、翌1997年6月のホリフィールドとの再戦で、右耳を噛みちぎる大事件を起こす。そこにはもはや、全盛期のタイソンの面影はなかった。そして、2005年の試合を最後に引退する。

引退後は俳優などをして過ごすも、タイソンは転んだままでは終わらなかった。2018年、カリフォルニア州で大麻が合法化されると大麻ビジネスで大成功を収めている。

そして今年5月、SNSでトレーニング動画を公開。その引き締まったタイソンの肉体は、28日に行なわれるロイ・ジョーンズ・ジュニアとのエキシビションマッチが遊びではないことを物語っている。

現在、タイソンが54歳なのに対し、"90年代最高のボクサー"と称される対戦相手のロイ・ジョーンズ・ジュニアは51歳。しかも、タイソンが2005年に引退したのに対し、ジョーンズの引退は2018年。数字だけ並べれば、明らかにタイソンは不利だ。

そもそも、50代の引退したレジェンド同士のエキシビジョンマッチに、多くを期待するのは酷かもしれない。ただ、タイソンは自身のSNSでこうつぶやく。

「人生で何度か負ける事はあるかもしれないが、私は11月28日、決して負けない」

どんな結果が待ち受けようと、天国と地獄を知る"ビースト"の15年ぶりの本気の復帰戦、目に焼きつけておいたほうがいいのは間違いない。


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◎11/29(日)午後0:00 ※日本時間
生中継!エキサイトマッチSP 「マイク・タイソンvsロイ・ジョーンズ」

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