大晦日、RIZINのリングに五輪メダリストが上がる。2016年リオデジャネイロ五輪、男子レスリング・グレコローマンスタイル59kg級銀メダリストの太田忍(おおた・しのぶ/26歳)だ。

幼少時代からその名を全国に馳せ、五輪銀メダル、世界選手権金メダルと、レスリングエリートとしての道を歩んできた太田が、新たな闘いの場として選んだのが総合格闘技(MMA)だった。

東京五輪出場の夢が絶たれ、涙した日から1年。海外の選手から「忍者レスラー」と呼ばれ恐れられた太田は、RIZINのリングにどんな気持ちで上がるのか?

■ファイターとしての理想はハビブ・ヌルマゴメドフ

――大晦日の『RIZIN.26』で所英男戦が発表されました。まず、現在の心境から教えてください。

太田 まあ今は、「所さん優勢」っていう声が、ホントに9割くらいじゃないですか。僕がテイクダウンしたとしてもサブミッションでやられて1本負けってね。

――記者会見でもそれに近い質問がありましたね。

太田 あのときはさすがにイラッとしましたけどね。でも僕も練習していますし、負けるつもりはないです。別にMMAを甘く見ているわけではないですけど、見とけよって感じですね。

――太田選手のYouTubeチャンネル『太田忍Ota Shinobu』では、「今年は(五輪の予選で敗れて)いい年になるはずじゃなかったけど、大晦日、これで良い結果を出せばいい年で終われる」と話していました。

太田 もし今年、東京五輪が開催されていたら、レスリングのサポートをしてからMMA転向っていう流れを考えていたんです。本当は2020年の夏は、最大限に輝くはずだったんですけど、そこを逃してしまったので、「最後の最後に全部持って行ってやろう」と思ったのが、その言葉になったと思います。 

――RIZINからの対戦オファーがあったのは、いつ頃だったんですか?

太田 『RIZIN.25』(11月21日、大阪城ホール)のリング上で今回の所戦が発表されたんですけど、その5日くらい前かな。その前には違う選手の名前も挙がっていたんですけど、最終的には所さんっていう感じですね。

――最初に所英男の名前を聞いた時はどう思いましたか?

太田 僕はストライカーとやりたかったんです。よく、「レスラーが闘っちゃいけないのがグラップラー」と言われていたので、「一番やっちゃいけない選手だなあ」と。

でも、僕は所さんのことめっちゃ好きだし、大晦日に試合をするなら観たいと思っていたら、「相手は俺か」みたいな(笑)。

太田(左)は、所英男(右)相手に、どんなMMAデビュー戦を見せるか?

――太田選手は、「(所は)物腰は柔らかいけど、試合では潰しに来る」といった趣旨の話をしています。

太田 徹底的に効いている状態でも、エゲつない感じで(関節を)伸ばすような戦い方をしてきますよね。

――そもそも太田選手がMMAをやりたいと思い始めたのはいつ頃からなんでしょう?

太田 僕が自覚しているのは、2016年のリオ五輪が終わってRIZINを観るようになってからなんです。でもこの前、「2015年頃からやりたいって言っていたよ」って知人から聞いたので、その辺から興味はあったんじゃないですかね。まあ、興味はあっても五輪のレスリングが落ち着いてからだと思っていました。

――太田選手はレスリングのトップレベルにいる方だから、相手をタックルで倒すテイクダウンの技術は世界レベルだと思うんです。

太田 そうですね。

――ただ、そこからどう極めるのか。例えば山本美憂選手でもMMAでは、相手を倒してからどうするのか戸惑っているように感じる時期がありました。

太田 そこはすぐ身につくものじゃないし、やっていかなきゃいけないことなんでしょう。でも例えばの話、相手を倒してずーっとコントロールしていたら勝ちですから。

――そういう闘い方もありますね。

太田 上にいて負けることはない。特にRIZINは、テイクダウンに対してのポイントは大きい印象がありますしね。とはいっても、上から攻め続けるとか、隙を狙って極めに行く練習もずっとしています。

――MMAで目標とする選手は誰になりますか?

太田 理想はハビブ・ヌルマゴメドフ(ロシア/UFC世界ライト級王者)ですね。テイクダウン能力が高く、極められずにいいポジションを取っていく。相手をずっと塩漬けにするような闘い方は、見ていて強いのが分かる。絶対に負けないじゃないですか。

もちろん一発でボーンって倒したい気持ちはありますけど、負けたら話にならないので、彼みたいな闘い方が理想です。

■格闘家はアスリートではなくエンターテイナー

――レスリング出身の選手には、桜庭和志選手や藤田和之選手をはじめ、MMAで実績を残した日本人選手がたくさんいます。太田選手もMMAにすぐに順応できますか?

太田 これからサブミッションの動きをもっと覚えていけば、テイクダウンを取ってから極めにいくこともできると思うんですけど、今はまだ経験が浅いから、今やっている練習を遂行できれば、「今回の初戦に限っては」ですけどいいんじゃないかなと。

――太田選手は五輪の銀メダリスト。所選手に対し、「アスリートとしては俺が上だ」という意識はあるんじゃないですか。

太田 いや、レスリングとMMAは全く別物じゃないですか。格闘家ってアスリートとは少し違うと思うんですよ。

――格闘家はアスリートではない!?

太田 プロ格闘家ってエンターテイナーじゃないですけど、「魅せる」ことが大事で、たとえ負けても評価される場合がある。でも、アマチュアには絶対にそれはない。アマチュアの競技は、負けたら評価されないんですよ。それが本当のアスリートだと思っているので。

所さんは負けても評価される選手だから、「負けたら絶対に評価されない」っていう気持ちは、僕みたいにアマチュア競技、特にレスリングみたいな日本ではマイナーな競技をやってきた人間でないと知らない部分じゃないのかな、とは思いますけど。 

――所英男にはない部分を、太田忍は持っている自負があると。以前、五輪メダリストの方に聞いたことがあるんですが、メダリストとそれ以外では、かなり周りの扱いが違うと。

太田 五輪に出るか出ないか、メダルを獲るか獲らないか、もちろん違います。一番違うのは金と銀の違いですけどね。扱いにしても評価にしても。

――一番じゃなきゃ意味が無い、と。

太田 だって、銀と銅で扱いの違いは何もないんですよ。それに対人競技の場合、3位決定戦で勝ったら銅メダルですけど、銀メダルは決勝戦で負けてもらうメダル。だから、ひとつもうれしくないんですよね。

レスリングの世界では、男子は世界選手権でようやく優勝できるかくらいなのに、女子は吉田沙保里さんとか伊調馨さんをはじめ、金をけっこう獲っちゃう。だから「レスリングなのに銀なんでしょ?」って評価をされることもあって、面白くなかったですね。

■マイナーなレスリングの認識を変えたい

――太田選手はリオ五輪のとき、試合の3日前に亜脱臼をしたと聞きました。

太田 それでもやるしかないですからね。痛み止めの注射は打ちましたよ、関節に。それに試合の時は痛くないんですよ。だからケガをしてもなんとも思わなかったですね。

――すごい精神力ですね。あと、本番の試合会場に立ったときも、「こんなものかと思った」とYouTubeで話していました。

太田 確かに試合前は緊張するし、ゲロを吐きそうになるし不安にもなりますけど、いざ会場に来て始まってしまえば、そんなことを言うのはただの準備不足かなって思います。レスリングならホイッスル、格闘技ならゴングが鳴ったら、もう何も関係ないんじゃないですか。

――レスリングの場合、計量はいつだったんですか?

太田 リオ五輪までは前日計量だったんですけど、今回の五輪からは当日になりました。しかも大会日程が2日間になったから、勝ち進むと次の日の朝も計量する。レスリングの計量よりキツいものはないですよ。地獄です(苦笑)。だいたい計量が終わったら4kgぐらい体重は戻ってるんですよ。

――4kg!?

太田 だから試合が終わったら、そこからサウナスーツを着て動いて2kg落として、また動いて。サウナに行って2kg落として、1kgくらいリカバリーして寝る。朝起きたら計量して、試合までにリカバリーして試合をする、みたいに。

――2日の間に体重が何度も変わるんですね。そんな生活をいつから?

太田 中学生の時からかな。

――では、太田選手からすれば減量なんてお手のもの?

太田 格闘技の場合は、1日半くらいリカバリーの時間があるわけでしょ。そんなもの普段と一緒でしょ。

でも、計量に失敗しても、格闘技は試合をする場合があるじゃないですか。(勝っても)ノーコンテストで。

――相手が承諾すれば、やりますよね。興行だから。

太田 レスリングの場合はそもそも舞台に上れないですから、計量をクリアできないで試合するって、僕らの感覚では理解できないです。それって応援してくれている人を裏切っているし、相手選手に対しても失礼だし、しっかり計量をパスしてる自分以外の他の選手にも失礼じゃないですか。体重管理も含めて試合だと思うんです。

「SNS等で『MMAは甘くないぞ』と言われているが、僕自身(甘くないと)感じているし覚悟を持ってMMAに転向してきている。年末は負ける気はない」(12月2日の記者会見にて)

――ホントそうですね。また五輪の話に戻りますが、太田選手がリオで銀メダルを獲った日に、錦織圭選手もテニスで銅メダルを獲ったので、メディアの扱いが小さかったと聞きました。

太田 向こうはスター選手ですしね。しかもテニスは96年ぶりにメダルを獲ったとかで、そりゃそうなりますよ(苦笑)。ジョコビッチですらメダルを獲れなかったのに、圭さんは銅なわけだから。それがメジャー競技とマイナー競技の扱いの違いだと思いました。

――メジャー競技とレスリングの違いを感じた?

太田 僕がMMAをやりたいと思ったのも、日本でのレスリングの知名度はあんまりないなと思っていたからなんです。たとえば「五輪のレスリングでメダル獲ってる男子選手わかる?」って聞いたときと、「RIZINに出ている選手わかる?」って聞いたとき、どっちが多いのか。

そういう(世間の)認識を変えたいと思ったし、レスリングでがんばったらそういう舞台にも立てるし、違った可能性も見出せるじゃないですか。そういうビジネスモデルになりたいと思ったし、そのための挑戦ができると思ってMMAに転向したのもありますね。

――今回、階級をバンタム級(今回は61kg契約)と決めた理由は?

太田 (レスリング時代と)階級が近いから。しかも今、一番面白い階級じゃないですか。

――大晦日には朝倉海×堀口恭司のタイトル戦もあります。

太田 僕も、なる早でそこに行きたいと思っています。いつになるかわからないですけど、それまでは勝率を上げていきたいです。

――最後に、所戦に向けて少し挑発的なことを言ってもらうとしたらどうなりますかね?

太田 どうなんですかね? 所さんは経験値のある人だけど、だからこそもらっちゃう打撃や攻撃もあると思う。だから「素人のラッキーパンチに気をつけろ」って感じですかね(笑)。 

――もちろん、KOなり1本勝ちが理想ですもんね。

太田 KOならこのカタチ、TKOならこのカタチになるだろうっていうのは想定して練習していますよ。もし負けるとしたら1本を取られたときなんでしょうけど、もしかしたら僕が1本を取るかもしれないですしね(ニヤリ)。

コアなファンからすればフルラウンドやって判定勝ちしたほうが、ちゃんとMMAができると思うのかもしれないけど、年末に観たいのはそうじゃないと思います。でも、僕は負けるのが好きじゃないので、判定でも勝ちたいです。

太田忍(おおたしのぶ)。1993年12月28日生まれ、青森県出身。身長165cm、体重61kg。2016年8月のリオデジャネイロオリンピックでは59kg級に出場し、決勝で敗れたがグレコローマンスタイルでは00年シドニーオリンピックの永田克彦以来の銀メダル獲得という快挙を成し遂げた。その俊敏な身のこなしから海外では「忍者レスラー」と呼ばれるようになる。東京オリンピックは階級を上げ67kg級で代表を狙うも、全日本選手権で人生で初の初戦負けを喫し、東京五輪への道は閉ざされた。その後、ALSOKを退職し、MMAにチャレンジすることを決意。【Twitter: @Shinobu63no_1】【Instagram: shinobu63no_1】

『Yogibo presents RIZIN.26』
■日時/2020年12月31日(木)12:00開場(予定)14:00開始(予定)
※開場・開始時間は予定。決定次第RIZIN FFオフィシャルサイトにて案内。
■会場:さいたまスーパーアリーナ
■対戦カード:バンタム級タイトルマッチ/朝倉海vs.堀口恭司、女子スーパーアトム級タイトルマッチ/浜崎朱加vs.山本美憂、スペシャルワンマッチ/朝倉未来vs.弥益ドミネーター聡志、所英男vs.太田忍ほか