去る2月中旬、日によっては吹雪だった大分にて合宿を敢行した羽根田卓也。激流を下って、つるされたゲートを順に通過、そのタイムと技術を競うカヌー・スラロームは、常に死と隣り合わせの過酷な競技である

五輪開催の可否が連日取り沙汰されるなか、開催を見据えて鍛錬に励むアスリートたちがいる。

人気スポーツキャスター・中川絵美里が注目のアスリートを直撃する『週刊プレイボーイ』の不定期連載『中川絵美里のCheer UP』。今回、オンラインにて取材したのは、同種目でアジア人初の五輪メダリストとなったカヌーの貴公子・羽根田卓也(ミキハウス)。現在の心境を語り尽くしてくれた。

■メンタル鍛錬のカギは、「今を大切にしなさい」

中川 まずお聞きしたいのは、昨年からの新型コロナにより、多くのアスリートの方々は大会でも練習でもいろいろと活動が制限されてしまっています。羽根田選手にとっても、やはり新型コロナの影響は多分にありましたか?

羽根田 ありました。何よりも五輪の延期というのが、一番大きかったです。もちろん、皆さんと一緒で生活も一変して、ステイホームもしました。トレーニング環境も、練習施設の使用についてもいろいろと制限されましたね。

中川 本来、例年どおりであれば、スケジュールはどのような流れになりますか?

羽根田 この冬の時期であれば、夏場を迎えている南半球で合宿を行ないます。オーストラリアだとか。1ヵ月半~2ヵ月の長期合宿をこなして、4月からのシーズンインに向けて準備する流れです。ですが、現在はこういう状況ですから、海外にはなかなか行きづらい。いろいろ選択肢を考え、コーチとも相談して、国内でトレーニングしようと決めました。

中川 昨年、カヌー・スラロームのW杯が2戦行なわれました。10月のスロベニアでの大会は出場、11月のフランス大会は出場を辞退されましたが、コロナ禍になってから、実戦というのはどのくらいこなせたんでしょうか?

羽根田 去年はその大会だけ、1試合のみです。ですから、そのたった1試合に出られたというのは貴重でした。やっぱり試合でしか養えない緊張感ですとか態勢のつくり方があるので、それをインプットできたのは本当に幸運でした。何より、スロベニアでのW杯はヨーロッパで新型コロナがまさに感染拡大しているさなかに開催されたので、感染防止に努めながらの実戦経験が得られたのも大きな収穫でした。

中川 コロナ禍において、目標に向けてプランを立てていく、トレーニングを積むというのは、非常に難しいと思います。コンディションはもちろん、メンタル面を保つのが難しいかと思うのですが......。

羽根田 自分の中で、五輪というのは延期されたとしても(季節としては)7月末開催というのは決まっていることですから、そこに向かってやっていくだけです。ただ、東京五輪に向かうまでのW杯や調整のための大会が開催されるのかどうかまったく読めないので、もどかしさはあります。

毎日の練習に対してのモチベーションも然(しか)りです。去年からのコロナ禍でいろいろと考える時間は多かったです。日々の生活、これからのこと。そんななか、話は飛びますが......最近、「お茶」をやっていて。

中川 「お茶」とは、茶道のことでしょうか?

羽根田 ええ。もともと武士道や禅の世界など、日本の伝統や歴史が好きで。それで茶道にものめり込んだんです。最近ですと、時間を見つけては千利休に関する本を読んでいますね。ここ1年はまさにそういったところからヒントをいろいろと得ました。

中川 日本古来の文化がメンタルトレーニングに役立ったということですか。

羽根田 はい。実は2月に合宿地の大分で、お寺を訪れて座禅をしたんです。その際、和尚さんが説いてくださったのは、「自分の目の前の仏様を見なさい、今を見るのです」と。つまり、禅の考え方というのは、後悔や将来への不安を忘れて、今に集中すべし、ということだそうで。茶道も同じ考えなのだそうですね。

中川 さらにその考え方は、武士道もまた同じだと。

羽根田 武士の時世というのは、明日死ぬかもしれないシビアな時代だったと思うんです。「必死」とか、「明日死ぬつもりで今日を頑張れ」という言葉を地で行っていた時代だったんじゃないかと。

それは現在にも当てはまるような気がするんです。自分が大切にしている何かがこの先なくなってしまうかもしれない。われわれアスリートの立場ですと事実、五輪は延期になってしまったわけです。

ですから、未来への不安や迷いというのは意味のないこと、とにかく今に集中すること、今の幸せを噛かみ締めること、今を一生懸命生きることこそが、何よりも未来につながることであると。この1年、日本古来の文化に触れて、歴史小説を読みあさって、自分なりに得た考え方です。

中川 羽根田選手の精神面の強さというのは、そうした日本の伝統的なものや幼少期の経験、そしてたったひとりでのスロバキア留学によってベースが培われたのでしょうか?

羽根田 もともと、父がカヌーにおいて国体レベルの選手だったんです。ですから、僕のことは選手として育てたかったようで、小さい頃からスパルタ教育を受けてきました。最初はいやでしたね(笑)。夏はアウトドア気分で楽しさもあるんですが、冬場はとにかく寒くて。遊びたい盛りの小学生が、厳寒のなか激流でトレーニングですからね。寒い、つらい、怖い。なかなか受け入れられなかったです。

中川 意識が変わったのはいつ頃からでしたか?

羽根田 中学校に入る前後の時期でしたね。勝負する楽しさを知ったんですよ。競技に勝つ、何かに挑戦して打ち勝つ。その達成感を覚えてからは、ひたすら上を目指そうと。

中川 中学3年でジュニア世界大会に出場。世界を知り、その後、憧れであるミハル・マルティカン選手の母国でカヌー強豪国でもあるスロバキアへの単身留学に結びつくわけですね。

羽根田 ええ。なんのツテもなく、メール一本で飛び込みました。僕が行ったところは現地でもかなりの田舎町。アジア人は相当珍しいらしく、いつも好奇の視線を浴びていました。カヌークラブでの顔合わせ初日は今でも忘れられないですね。十数人の選手がジムでトレーニングしていて、そこで僕が挨拶したら、全員が僕の頭のてっぺんから爪先までジーッと凝視して、ひと言も発しなかったんです(笑)。

中川 歓迎ムードではなく、重い雰囲気だったと(笑)。

羽根田 第一印象は、気さくな感じではないんですよ、スロバキア人は。警戒心が強いというか。ですから、打ち解けるためにとにかく言語を覚えるしかなかったですね。

中川 まさに孤独との闘いだったと思うのですが、戸惑いやつらさはなかったですか?

羽根田 カヌーで強くなりたい、その一念でした。目標達成への意志が強かったのが、僕にとっての支えでした。初めの頃は練習がすごくハードで、なかなか受け入れてもらえない寂しさも多々ありました。でも、人は何かひとつ芯になるものがあると強いんじゃないかって。スロバキアで得た教訓です。

■トップを目指すには"水の呼吸"を読む

中川 羽根田選手は、SNSでいろいろなトレーニング動画を公開されていますよね。スキーや陸上、自転車競技による練習。そういったトレーニングはカヌー・スラロームにどのような効果を与えるのでしょう?

羽根田 そもそもカヌー・スラロームというのは、水の中で絶妙な加減でバランスを取ったり、普通じゃない体勢でゲートをくぐったり、あらゆるスキルが求められる競技なんです。そこには持久力も瞬発力も必要とされます。さまざまな運動能力が求められるスポーツなんですね。ですから、いろいろな競技の練習をこなすことで各々の競技の動きを体に覚えさせるわけです。

中川 あらゆる運動をこなすことで、体にインプットさせるわけですね。そんなマルチスキルが求められるカヌー・スラロームでトップを獲(と)るには、どんなことが強みになりますか?

羽根田 実際、僕が見てきたトップの選手は、なんでもできてしまう人ばかりでした。しかも、そういった総合的な運動能力はあくまでベース。カヌー・スラロームで最も重要なのは、激流における"水の呼吸"を読めるかどうか、なんです。

中川 "水の呼吸"とは? 具体的には川での激流、その自然の動きを読むということですか?

羽根田 ええ。激流とは、むしろ闘ってはいけないわけです。相手は自然ですしね。一見闘っているように映っていますが、実は違います。いかに自分の力を使わずして「水の力」を味方につけられるかどうかなんです。

当然ながら、水の流れというのは一定ではありません。常に変化し続けています。ですから体重移動やカヌーの傾け方、パドルの入れ方だとか、五感すべてを駆使して、なんなら第六感まで使って、水の流れを読んで臨機応変にカヌーを進めていくわけです。

中川 なるほど。そういったことを踏まえたうえで、それぞれ選手に個性や特徴はあるんでしょうか?

羽根田 すごくありますね。特徴の差を言うなら、"水の呼吸"をどれだけ読めるのか。そこの差なんですね。みんな同じ練習したからといって、呼吸が読めるようになれるわけではない。いくら練習しても、コイツにはかなわないっていう選手が存在します。

中川 感覚が傑出していると。

羽根田 ええ、"柱"みたいな選手がいるんですよ(笑)。練習すれば、水のとらえ方とか、カヌーの傾け方とかバランスというのは上達するんですけど、そういう"柱"みたいな選手に出くわすとやっぱりワクワクしますね。うまく水を使って、水の力に乗って、自分の力を使ってないのがすごくわかる。まるで流木のように。

でも、勝敗はそこだけで決まるわけじゃない。"水の呼吸"の読みを上回るぐらいのフィジカルやパワー、メンタルで補うことで、勝利を手に入れられます。

中川 羽根田選手のスタイルはどちらでしょうか?

羽根田 "柱"に近づける努力は日々行なっているんですけどね。でも、"水の呼吸"を感じきれないというのは自覚していて。そこを補うためにも、いろいろなスポーツの要素を取り入れた練習を行なっているのが実情です。

■自国開催は選手にとって別格

中川 延期された東京五輪開催予定日まで半年を切りました。今、さまざまなところで開催の可否について議論されていますが、羽根田選手はこの状況についてはどうお考えですか?

羽根田 選手としての立場でいえば、開催の可否についてはある意味、区切りがついています。自分があがいたところでどうにもなる部分ではない。今はひたすら、日々トレーニングを積み、東京五輪出場という目標に向かっていく。それとは別に、日本国民として、社会の一員として、思うところも正直ありますね......。

中川 どんなことを思われますか?

羽根田 言葉を選ばないといけないですね......。すべての現況を無視して、われわれアスリートだけが良ければそれでOKという考え方は、アスリートも五輪大会運営サイドも誰も持っていないと思います。今後の状況を見極めながら、理想的な道をみんなで導き出すというのが大事なのではないかと。

中川 道なき道をリオ五輪で切り開いてきた羽根田選手としては、五輪の重要性をひとしお感じていると思います。ずばり、ほかの国際大会との違いはなんでしょうか?

羽根田 五輪は、ほかの国際大会はまったく違います。カヌー・スラロームの国際大会の中継というのは、認知度の高い国では熱い視線が注がれますが、五輪は、カヌーにまったく興味のない人でもオリンピックの種目というだけで見てくれる。関心を一気に広げてくれるわけです。

それに五輪を見たことによって、人生が変わったという人はたくさんいます。僕もそのひとりです。五輪のおかげで自分も表彰台を目指そうと思った。アスリートだけに、ではありません。五輪は、前向きな姿勢や諦めないこと、チャレンジするという意識を人々に与えてくれるんです。

元来、スポーツは人から人へプラスのエネルギーを放てるし、受けられる場です。それを最大限可能にするのは、なんといっても五輪です。僕らアスリートは常々そう思っているし、皆さんだってそう思っているはず。ただ、今はコロナ禍で、開催については慎重にならざるをえないですが、そもそも五輪というのは、そういうものではないかと。

中川 羽根田選手にとって五輪は、よりカヌー・スラロームに惹(ひ)きつけられた大会であり、実際に出場を果たし、銅メダルも獲得されました。まさに人生の軸と言えますよね。

羽根田 五輪への目標があったからこそスロバキアへの単身留学も決断できたわけだし、挫折せずに生活できたわけです。自分がリオで表彰台に立ったとき、ある意味、五輪に恩返しができたというか。自分があの表彰台に立ったことで、人生観が変わったと言ってくれた方々が多かったと、後に聞きました。かつての僕のように。

中川 リオ五輪で表彰台に立ったことで、燃え尽きたという感情はなかったですか?

羽根田 銅メダルという、表彰台のなかでは一番低い順位ではあったけど、でも、そこへたどり着くまでに多くの支えがあったわけですから、胸を張って立つことができました。達成感ですね。ですが、4年後の東京五輪が決まっていたので、燃え尽きるということは決してなかったです。自国開催の五輪というのは、願っても出られるものではないので。

中川 羽根田選手は過去3度五輪に出場。それを凌駕(りょうが)するぐらい、自国開催に関しては思いが強いですか?

羽根田 自国開催の五輪出場というのは、すべてのアスリートにとってこの上ない「夢」です。やっぱり他国開催の五輪とは重みが違う。その幸せを噛み締めながら、挑戦できる喜びを認識しながら、ここまでやってきました。去年延期になっても、全然、自分の中の炎が小さくなることはなかったです。

中川 2019年には、ようやく日本国内初のカヌー・スラロームの人工コースが誕生しました。やはり、特別な思いがありましたか?

羽根田 非常にありました。あの瞬間は一生忘れられないですね。コース開きのテープカットを務めさせていただいたんですよ。初めてコースの水に浮かんで、ひとパドルこいだときの感動は、言葉にならなかったですね。あの施設は、僕にとって血のつながった家族のようなものです。それぐらい何十年も待ち焦がれた施設です。久々に練習で訪れたら、「ただいま」と声をかけたり、水を撫(な)でてみたりとか。

中川 それだけ思い入れが強いわけですね。

羽根田 ええ。それと、その施設は競技目的だけはなく、水難事故救助訓練の場としても活用できます。あらゆる使い道の可能性がある。このような施設が東京五輪を契機にできたのは感慨深いです。

中川 東京五輪が開催された場合、そこに向けた決意をあらためてお聞きしたいです。

羽根田 開催については先が見通せず、コロナ禍で不安を抱えた人々が多い今だからこそ、五輪の力、スポーツが持つポジティブな力が広がっていけるよう、自分も一端を担って頑張りたいです。

中川 羽根田選手は常にポジティブな姿勢で、そして発言にもパワーがありますよね。

羽根田 実はこの1年を通じて、自分の気持ちの中で変化がありまして。トレーニング動画を発信するのは、新型コロナの発生以前からのことなんですが、でも最近は「勇気をもらいました」とか「この状況でも変わらずに頑張っているんですね」といったコメントをそれまで以上にたくさんいただくようになりました。

で、ふと気づいたんです。毎日、自分が諦めずに前を向いてトレーニングし続けることが、人々に対してプラスの力となって伝播(でんぱ)するんだということを。

中川 スポーツが持つ力を再認識できたわけですね。

羽根田 ええ。正直、僕も弱音を吐いたり、腐ってしまうときはあります。でも、そういう部分は見せるべきではない。スポーツというのは、ただ単に競技のスコアを競い合うものではなく、姿勢を見せる場でもあります。

世界がどんなに弱気になっても、僕らアスリートというのは不屈の精神で前に向かっていく、それを見せ続けなければいけない。いわば、"最後の砦(とりで)"として存在しなければならないんです。だから、今後も変わらずポジティブなスタンスを貫いていきたいです。

●羽根田卓也(はねだ・たくや)
1987年7月17日生まれ、愛知県出身。身長175㎝。9歳よりカヌー・スラローム競技を始め、杜若高校卒業後、強豪国スロバキアへ単身留学。コメニウス大学大学院卒。カナディアンシングル種目で北京五輪14位、ロンドン五輪7位に入賞。リオ五輪ではついに銅メダルを獲得した。ミキハウス所属

●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。2017年より『Jリーグタイム』(NHK BS1)のキャスターを務め、同年4月から情報番組『Oha!4 NEWS LIVE』(日本テレビ系)にてスポーツキャスターも担当

スタイリング/武久真理江(中川) ヘア&メイク/小嶋絵美(中川)
衣装協力/ユニバーサルランゲージ ザ・スーツカンパニー 写真/ミキハウス(合宿写真)

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