「才能がなかろうがなんだろうが、卓球は僕の人生なんです。好きとか嫌いとか超越している」と語る岩城 禎

めぼしい実績はほぼゼロなのに妙に話題になっている卓球選手・岩城 禎(いわき・ただし)。35歳で初めて全日本選手権に出場した彼は、自他共に認める「卓球の才能ゼロ」の男である。

だが、それでも岩城は卓球ばかりやってきた。希代の「卓球バカ」が語る、ちょっと変だけど、ちょっとうらやましい"貫く"生き方!

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張本智和(17歳)や伊藤美誠(20歳)など10代前半から華々しい活躍をしている選手にスポットライトが当たる卓球の世界で、今35歳のベテラン・岩城 禎に妙な注目が集まっている。3月1日放送の『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)に出演したり、単行本の出版が予定されていたりと、メディアの引きが止まらないのだ。

話題になったのは常軌を逸した"卓球バカ"ぶり。小学5年生から卓球を始めた岩城は、すぐにこのスポーツにのめりこむ。

弁護士の父は、自分と同じ道を息子に歩ませたくて奈良の名門進学校に通わせるが、岩城少年は勉強ガン無視の卓球一直線。午後6時までの部活では満足できず、奈良から自宅の大阪までの帰路にある卓球クラブをすべて把握し、常にどこかで夜遅くまで練習をしていた。

いろんな所に現れてはひたすら卓球をやっているので、地域の卓球関係者の間でちょっとした有名人になったくらいだ。

父と弁護士になる約束をしていたため、全国模試で1位になるなどそれなりに体裁を整えつつ、卒業後は国立の神戸大学法学部に入学。だが、そこでも岩城は卓球ばかり。

大学卒業後、司法試験の勉強を始めるものの、やっぱり頭の中を占めるのは卓球。司法試験に受かる目途(めど)が立たず、とりあえず公務員になる選択をするものの、練習時間をもっと確保したくて2年で退職。今は投資である程度安定した収入を得つつ、練習場に入り浸る日々だ。

ただ、ここまで卓球に人生を捧(ささ)げても実績は乏しく、高校時代の奈良県ベスト8ぐらいが関の山だった。自他共に認める「才能なし」――そんな岩城が1月に開催された全日本卓球選手権に奈良県代表として初出場を果たしたのだ。

もちろん、それだけでは世間の耳目(じもく)を集めるには足りない。そこで岩城は行動に出た。卓球ライターの伊藤条太氏に自身の半生を綴(つづ)った長文メールを送りつけると、それを面白がった伊藤氏が、専門誌『卓球王国』に岩城のルポを執筆。その短縮版を『Yahoo! ニュース 個人コーナー』に投稿し、見事バズったのだ。

岩城は「才能がなかろうがなんだろうが、卓球は僕の人生なんです。好きとか嫌いとか超越している」と語る。彼を世に広めるきっかけをつくった伊藤条太氏が、あらためて岩城の生き様に迫った。

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■対戦相手が試合後の握手を拒否する

――1月14日の全日本選手権では、日本のホープ・松島輝空(13歳)と対戦しました。

岩城 18分で終わりましたけどね。試合会場に入ってコートに行くまでカメラがすーっとついてきて、ストレッチ中も横で撮られて。これまでそんな経験なかった。

ライブ配信されていることもあり、ラケットを構えたときは何万という視線を感じました。そんな緊張感があるなかで試合が始まったんで、もっとメチャクチャになるんじゃないかと思いましたけど、ちゃんと試合にはなりました。

――堂々としていましたよ。

岩城 堂々と負けてきました(笑)。でも、やるべきことは全部やった感じです。点が欲しくて強く打って入らないとかそういうことをしないで、これまで積み上げてきた、しつこく入れていくスタイルを貫けたのがよかった。

それにしても、松島は全然ミスらなかったですね。「これは1000回やっても勝てない」と思いました。

――松島選手は岩城さんのことを意識していたと思う?

岩城 情報収集はある程度していたとは思います。松島からしたら、大して強くもないのに、バズってるヤツに負けるのは癪(しゃく)じゃないですか。「何も考えず好きなようにやろう」っていう感じはなかったですね。

膨大な時間をかけて練習していることが、彼のプレーから伝わってきました。土日は一日10時間以上も練習しているって噂もある。僕より才能ある人がすさまじく努力したらこうなるんやなと思って、試合中に感動しましたよ。

――岩城さんはどのくらい練習しているんですか?

岩城 一日7時間くらい。ちなみに最近、累計の練習時間を計算してみたんですが、少なく見積もって大学卒業までに1万4000時間、現在までに3万500時間でした。

――卓球のトップ選手になるには、才能があっても1万時間の練習が必要だと言われているけど、その3倍! そこまでやっても、トップ層には手も足も出ないのだから、才能というのは残酷ですね。

岩城 卓球はスポーツの中で一番、僕に合ってないんだと思います(笑)。小学校5年生のときに学校で1番になったときの経験が自分の才能を見誤らせました。

ちなみに、才能がないというのは具体的に言うと、僕の場合はスイングが遅いこと。速いスイングをするためには体をバネのように使う必要があるんですが、体がメチャクチャ硬くて力む癖が直らないから、いくら練習してもどうにもなりませんでした。

朝から晩までひたすら練習を繰り返す日々(撮影/伊藤条太 協力/KOTO卓球スタジオ)

――神戸大学時代には毎日、朝から晩まで14時間以上も練習場に居座ったとか。

岩城 そうですね。でも、練習すればするほど、かえってへたになってるんちゃうかと思ったりもしましたよ。

大学2年のとき、部内戦で4人のレギュラーを決める試合で50人中の18位まで落ちたときは本当にへこんだ。それまでは普通にやっていたら勝てないから、ある戦法を駆使していたんですが、気づいたら部内全員に対応されていました。

――その戦法とは?

岩城 あえて遅くて山なりのボールを打つんです。チャンスボールに見えるし、実際チャンスボールなので、相手は強く打ち返してきますが、なぜか得点が取れない。

実は僕が打つ遅いボールは、さりげなく回転が多めにかかっていたりして、見た目ほどチャンスではないんです。そして、ラリーを続けるうち、相手は辛抱できなくなって、ついリスクを冒してミスります。

相手は首を傾(かし)げながらも、気持ちよく攻撃できるし、僕はへたに見える打ち方をしているので、得点を取られたのは偶然だとナメる。そうしているうちにいつの間にか僕が勝利する、という寸法です。

――負けた相手は悔しいだろうな。

岩城 試合後の握手を拒否されたことがよくありました(笑)。「今回はマグレ。次やったら勝てるからな」と言わんばかりの雰囲気でした。

――でも、その戦法はやがて部内では通用しなくなった。どう攻略された?

岩城 相手もチャンスボールで返すんです。「マネすんなや!」とアタマきましたね。僕は攻撃を仕掛けるのが苦手なんですが、ムキになって、ふんわりボールにまんまと飛びつき、カウンターを食らう、という自滅パターンに陥った。

18位に落ちたときは、われを忘れラケットを叩き折って練習場から出ていきました。「俺の卓球人生はこれでしまいや!」とまで思い詰めました。

でも、仲のいい先輩が泣きながら「やめたらアカン」って説得してくれたんです。それで、やるべきことはまだあると気を取り直しました。

そのときに自分の卓球を深めようと思ったのが、今の根本にありますね。それ以来、苦しいことがあると、乗り越えればもう一段アップできるんやと楽しみになるようになりました。

■温厚な父が怒ったあの日のこと

神戸大学4年生、最後のリーグ戦会場で父母と一緒に撮影した一枚(写真提供/岩城 禎)

――卓球に心血を注いできた岩城さんですが、お父さんは息子に弁護士になってほしかった。

岩城 親父は親子で一緒に弁護士事務所で働くのが夢でした。何かに熱中させることが、最終的には司法試験の勉強にも役立つだろうと、小さい頃の僕に将棋やボウリングといった遊びを教えてくれました。卓球もそのなかのひとつだったんです。

――それがマズかった。

岩城 テレビの取材で、親子3人で撮った写真はないかって言われて探したら、大学4年の最後のリーグ戦会場で撮った写真をおかんが持っていて、「最後の試合やと思って応援に行ったのに......むしろ始まりやった」と複雑な表情をしていました。

――(笑)。

岩城 27歳のとき、親父に「弁護士にはならない」と告げたんですが、「それは相談か報告か」と問われました。淡々としていますが明らかに怒っている。めったに怒らないんで、めっちゃ怖かったです。

――なんて答えた?

岩城 「報告や」って。親父は「ホンマにそれでいいんやな」と、勝手にしろという感じで出ていきました。僕は小さい頃から卒業文集なんかにも将来は弁護士になるって書いていましたから、期待を裏切る後ろめたさがありましたね。

ただ、最近は僕が世間に注目されることがうれしいみたいです。自分のフェイスブックに僕が載った新聞記事を全部上げてますし。

――卓球で生きていくことを認めてもらった?

岩城 どうかな。親父は今も時々「40歳過ぎて弁護士になる人もいる」って言ってきます。まあ、僕の今回の人生では、もう無理です(笑)。

■すべては卓球のため。岩城流「投資哲学」

「毎朝子供と看護師の奥さんを保育園と職場に送ったり、夜は子供を風呂に入れたり、家事もけっこうやっています。投資状況の確認(写真)などをして、寝るのはだいたい午前3時。寝不足は練習場に向かう電車の中で寝ることでカバーしています」(岩城、撮影/伊藤条太)

――岩城さんは投資で生計を立ててらっしゃるとのことですが、投資哲学みたいなのはありますか?

岩城 投資で暮らすのはラクではないです。僕はある先生に師事したのですが、そこで出された課題は、現実の相場を反映したシミュレーションアプリでトレーニングをすること。無収で1年間鍛えて、シミュレーション上は百戦錬磨と自信を持てるぐらいの実力を培いました。ところが、いざ自分のお金で投資すると、勝てないんですよ。

――どうして?

岩城 実際にお金がかかると頭でわかっていても「このボタンが押せない」ってなるんです。買った銘柄の値が落ちてきたら売らないといけないのに「もしかしたらこの後に上がるかも」と欲が出てきて売れない。

すると翌日さらに落ちる。取り返さなきゃと思って、また値上がりを待つ。気がついたときには、めっちゃ負けてます。逆に値が上がるときは、もっと大きく上がるまで売ったらあかんのに、下がるのが怖くて大して利益が出ない値で売ってしまう。

――確かにつらそうだ。

岩城 投資のことが頭から離れず、手は動かしてないけど精神的な労働負荷は24時間です。「こんな苦しい思いをするなら普通に働いたほうがいい」と諦める理由がどんどん出てくるんです。だから単に投資で稼ぎたいという気持ちだけだったら耐えられません。

――どうして岩城さんは耐えられたんでしょう?

岩城 "卓球漬け"の生活をしたかったからです。普通に働いていたら、十分な練習時間を確保できません。誰の支援もないなか、生きていくのに必要な収入をなるべく短い時間で得るためには、安定した資産運用が必須でした。

精神的負荷が大きくても、その苦しさのおかげで好きなだけ卓球ができると思えば頑張れる。投資で実現したい生活のビジョンがハッキリしているからこそ、投資は続けられるのだと思います。

――投資のスキルが卓球に生かされたことはありますか?

岩城 最初は卓球で学んだことが投資に生きました。「なんの意味があんねん」と思う積み上げが結果につながることが卓球でわかっていたのでトレーニングにも耐えられた。本番で練習どおりにできないことがひとつずつできるようになって勝てるようになるのも卓球と同じです。

逆に投資のスキルが卓球に生きたことは、小さく負けて大きく勝つ考え方。目の前の1点を捨てて3点取りに行く、トータルで勝てばいいという考え方は、投資から卓球に生かしています。

――では最後に、岩城さんの野望を教えてください。

岩城 直近の目標だと全日本選手権にもう一度出場して1勝、もっと先の話をするなら、全日本選手権の年代別の大会「マスターズ」で優勝することですね。30歳から85歳以上まで年代・年齢別のカテゴリーがあるので、一生目標には困らないです。

「85歳以上」の試合で100歳ぐらいの人が80代の人に負けて「若いもんは動きが違うな」って話したのを目にしまして、「めっちゃカッコいいやん」って思いましたね。あと、「世界ベテラン卓球選手権」ってのもあって、これはまだ日本人男性は優勝してないはず。40歳になったら積極的に出て優勝を目指そうかな。

――世界大会に出場するときは密着取材させてください。

岩城 ありがとうございます。思うに、これまでの僕は強くもないのに仕事もせず朝から晩まで卓球しまくってる頭のおかしいヤツって扱いで、他人の目なんか気にせず生きてきました。

でも、自分の考えを聞いてもらったり、それが発信されたりすると、今まで自分の中でたまっていたものが解放された感があります。僕は、自分の人生を誰かに認めてもらいたかったんですね。

●岩城 禎(いわき・ただし) 
1985年生まれ、大阪府堺市出身。今年、35歳にして全日本卓球選手権大会に初出場(奈良県代表)した「緑の館」所属の卓球選手。神戸大学法学部卒業後、弁護士である父親の勧めもあり司法試験の勉強をするが身が入らず、その後、市役所に就職する。働きながら全日本選手権を目指すものの結果が出ず、練習時間の確保のため退職。現在は投資家として生活費を稼ぎつつ、卓球に打ち込む。看護師の妻と1歳、3歳になる子供がふたりいる。