日本陸上界の期待を一身に背負って、東京五輪2020の100m、4×100mリレーに出場した小池祐貴(住友電工陸上競技部所属)。初めての五輪は予選敗退と途中棄権という苦い結果に。

"失敗"から学んだ多くのこと、そして明日への目標を、人気スポーツキャスター・中川絵美里(なかがわ・えみり)が聞く。

■日本選手権から五輪へ。ピーキングの難しさ

中川 東京五輪2020を終えて、今あらためて振り返ってみていかがですか?

小池 振り返ってみて......終わったことはあまり気にしない性格なんですけど、もし、文字で書き出してみたとしたら「何ひとつうまくいかなかった」。過去の世界大会を思い起こしてみても、ケガを除けば、何ひとつ成果を上げられなかったというのはほとんどなかったので......。何もいいところがなかったのが、正直なところですね。

中川 今まで出られた国際大会と比べてみて、感じたこと、新たな発見はありましたか?

小池 率直に言うと、スケールがやっぱり全然違いますね。

中川 それは注目度や影響力が、ですか?

小池 そうですね、例えば、メディアの取材希望本数ですとか。五輪出場自体、僕にとっては初めてのことなので、ほかとの比較は難しいんですが、社会的価値、商業的価値などは明らかに別次元だと感じました。これが世界最大規模のスポーツの祭典なのかと。周囲の反応も含めて、それは感じましたね。ただ、自分としてはそこまで浮かれることはなかったです。

中川 東京五輪へたどりつくまでの道のりは決して楽ではなかったと思うんですけど、いざ出場の切符を手にしたときの気持ちは?

小池 僕の中では、五輪の本番でどうするのかというのが最大の目標でした。6月の日本選手権で代表選考があったんですけど、そこでは必ずしもトップでなくてもいいから、とにもかくにも確実に代表出場権を獲得しようと。出場決定から1ヵ月の間にどういう準備をするか、それが一番大事なポイントでした。

中川 小池選手が活躍されている陸上競技、しかも100分の1秒を競う世界では、いつにピークを持っていくのか、コンディションづくりが非常に重要だと思うんです。どのように戦略を立てて臨んだのでしょうか?

小池 日本選手権には、1週間前から疲労をしっかり抜いて照準を合わせていった感じです。五輪本番のデモンストレーションといったとらえ方ですね。

中川 "小さなピーク"をつくる感じですか?

小池 そうですね。

中川 そこから"大きなピーク"である五輪本番までは約1ヵ月。重要度の違いはあるにせよ、日本選手権と五輪、どちらもピークですよね。陸上の場合、1ヵ月間ずっとテンションを保つことは可能なんでしょうか?

小池 僕はちょっと難しいですね。陸上界全体として見ても、難しいと思います。例えば、毎年初夏に開催される全米陸上競技選手権の決勝は、世界陸上と同等のレベルなんですね。選手は皆そこにピークを合わせてくるんです。そこで好記録を出した選手は、約1ヵ月後に行なわれる世界陸上や夏季五輪では、だいたいいいタイムは出せないんです。

中川 となると、日本選手権に向けてのピークの合わせ方を間違えると、五輪で失敗するという怖さもありますよね。

小池 そこはコーチが立てる戦略を信じるのみですね。日本選手権はもちろん日本一を決める重要な大会でありますが、僕としては今回の東京五輪に向けて、事実上の代表選考会ととらえて臨みました。手堅く、まずは3位以内に入って、代表権を獲得する。それに尽きました。

■コロナ禍での葛藤はずっとあった

中川 去年、パンデミックとなった新型コロナの影響で五輪は1年延期になりました。ただでさえ、陸上はピークの合わせ方が難しいのに、コロナ禍が重なって調整は困難を極めたのではないかと。

小池 そうですね......調整がうまくできなかったから、あのような結果だったわけです。

中川 残念ながら、メダルには届かなかったわけですね......。

小池 (コロナ禍という状況が)今までの人生ではなかったし、はっきりそれが原因かと問われたらわからないんですけど、各国のアスリートの成績を見ると、たった1年のタイムラグでも非常に影響するんだなと。それぐらい、皆、成績が芳しくないんです。なんでこのトップクラスの選手がこんなに走れなくなっているんだと。

逆にまったくノーマークだった無名選手が好記録を残したというケースも見られます。つまり、いかなる環境にも適応できる能力が実力に含まれるんだなと、今回の東京五輪で痛感しました。

中川 なるほど。ちょうど去年の4月の最初の緊急事態宣言の頃は、練習もままならなかったのではないですか?

小池 はい。僕が当時使わせていただいていたのは国の管理施設でしたので、当然クローズになりまして。外出自粛ということで外に出ませんでした。練習うんぬん以前に、まずはどんな生活行動を控えなければいけないのか、どのくらいのリスクなのかまったくわからなかったので。とにかく、家から出ないのが国民としてやるべきことだよなと。

中川 アスリートの方は、コンディションの維持はもちろん、メンタル面の調整も非常に重要になりますが、保つためにはどうしていましたか?

小池 延期からプラス1年ほど、ずっと緊張感をキープし続けるのはとうてい無理なので、一回リセットしました。 

中川 すべてゼロにしたわけですね。

小池 コロナ禍という状況で、そもそもスポーツ活動をしていいのかと。僕の職業は本当に必要なのかと考えましたね。

中川 葛藤があったんですね。

小池 はい。やはり、スポーツというのは平和な環境でないと開催できないじゃないですか。それをコロナ禍という環境で、毎日トレーニングしていいものなのか。でも、僕の職業は陸上選手ですし、僕らが好成績を収めることに対して支援、投資してくださる方々がいます。

ですから、「走るのはやめます」なんて無責任なことはできない。この1年、ずっと葛藤はありました。セルフマネジメントの難しさに直面しましたね。

中川 気持ちをリセットした上で、五輪に向けてはどう切り替えていきましたか?

小池 まず、自分ができることは何か、それは変な練習はしないことでした。例えば、アスファルトの上を走るのは足に負担がかかるので避ける。とにかく自分の心と体をマイナスに向かないようにする。現実に目を向けて、やるべきことをやるように心がけていましたね。

取材後、スタート時のフォームの再現撮影で、スタジオの滑る床に苦戦しながら何度もリテイクに付き合ってくれた。風呂上がりの体温低下、免疫力低下を抑えるためにノンアルコールビールをたしなむなど、コンディショニングの研究にも余念がない

■短距離選手は感覚派が強い

中川 そして、いよいよ五輪の本番。100mの予選は4位で、惜しくも準決勝進出はなりませんでした。

小池 自分のできる走りはしたと思いますけど、結果的にはコンディション不足。今持っている実力をすべて出し切ったかと問われたら、そうではなかった。敗れた理由は、たぶん自分の中で取り組みを失敗したために実力が下がり、気持ちが不安定となって、外的要因も受けやすくなったのかと。

中川 先ほどからお話をお聞きしていてすごいと思ったのは、ここまで冷静に自己分析できるアスリートはなかなかいないな、と。

小池 いや、でもこの性格がけっこう足を引っ張っているのかもしれません(苦笑)。

中川 考えすぎ、ということですか?

小池 ええ。陸上というのは、よーいドンで何も考えずに走り切る選手のほうが強い気がします。団体戦の球技だったら、チームメイトもいるし、戦略的に考えて動く能力も必要ですけど。

中川 それこそ、小池選手が小中学校時代に打ち込んだ野球はまさにそうですよね。

小池 そうですね。僕にとって、野球は「考える」スポーツだったなと。あらゆる予測を立てて臨むという意味で。当日の体の調子によって、技術面などでいろいろ修正を加えたり。

中川 でも、陸上はよーいドンの後、一発で決まる勝負ですよね。途中での修正は利かない。

小池 そのとおりです。陸上の場合は本番当日、大会会場に来るまでに準備ができていなかったら、そこでおしまいです。技術よりも、体のコンディショニングにかかる部分が大きい。ですから、陸上は能動的かつ感覚的、野球は受動的かつ思考的スポーツなのかな、と。

中川 そもそも、小池選手はなぜ野球から陸上に転向したんですか?

小池 野球は純粋に楽しかったからのめり込んでいたんです。まだ小さかったですしね。でも、何かできちんと結果を残したいと考えたとき、野球じゃないなと。だったら、何がいいのか、行きついたのが陸上でした。ですから、陸上に関しては楽しむというよりも、結果を残すことしか常に考えていなかったです。

中川 思考的スポーツの野球から感覚的スポーツの陸上との間にはかなりギャップがあるように思えます。転向してから、どうやって勝者のメンタリティを培っていったのでしょう? やはり経験の積み重ねですか?

小池 失敗から学ぶこと、ですかね。大会で失敗して、何がダメだったのか、今までのやり方や取り組み方を再検証して、次に生かすという。

中川 では、今回の東京五輪も学びは多かったわけですね。

小池 ええ。野球は一対一の勝負でどちらかが必ず勝ちますけど、陸上の場合、何十人も出場して、勝てるのはたったひとりじゃないですか。いわば、「ほとんど負ける」スポーツなんですよね。

一番の選手に勝つにはどうしたらいいのか、あの大会のあの選手の記録にどうしたら追いつけるのか、常に試行錯誤するというか。なので、失敗から学ぶことが多いわけです。

■コーチは優勝タイムをピッタリ予想していた

中川 「学び」という点では、4×100mリレーに出場されたことも大きな財産になったのではないですか。200mの代表権を辞退されて、リレーを選んだ思いについていま一度聞かせてください。

小池 僕はリレーでの代表経験がさほどないので、過去との比較や思いというのは語れる立場にないのですが......でも、期待が大きい種目である分、プロとして、日本代表としてそれに応えたい気持ちは強かったです。100mは個人に寄っていますが、リレーに関して言えば、日本陸上界を背負って走るという意識でした。

東京五輪では、日本選手権で優勝した200mを辞退して4×100mリレーのアンカーを務めた。予選では1組3着に入り、決勝進出に貢献

中川 そして臨んだ予選。手応えを感じましたか?

小池 僕らは、「安全バトン」でいったんです。確実につながるように。しかし、予選が行なわれた8月5日の午前中はすでに酷暑で、アップの段階で各国の選手は皆、脱水症状気味でバテていました。なんとか着順通過(1組3位)できてよかったと、ひと安心していました。

中川 迎えた8月6日の決勝。まず、アンカーの小池選手から見て、1走の多田修平選手の走りはいかがでしたか?

小池 たぶん、(チームで)僕が一番よく見える位置にいたんですが、多田君が出た瞬間から「おお、体が動いてる、速い。これは期待できるぞ」と。

中川 予選の「安全バトン」から一転、決勝は賭けに出て「攻めのバトン」で勝負されました。これは具体的にはどういうことだったんでしょうか?

小池 「攻めのバトン」とは、バトンをもらう受け手の走者が背後を気にせずスタートを切って全速力で走りだすことが一番のポイントです。渡し手のことは一切気にしない。バトンがちゃんと自分に届くかなって、一瞬考えただけでもアウトです。足数や足長、風の影響も絡むのですが、攻めが成功すれば相当タイムが縮まります。

中川 まさに離れ業。お互いに信頼がないと難しいですよね。

小池 僕の場合、3走の桐生(きりゅう)(祥秀[よしひで])君とは直前に一本合わせたんですよ。確認はできていました。でも、僕らの判断というよりはコーチ陣の緻密な計算、分析、戦略によるところが大きいんです。最新技術を搭載したカメラで撮影して、何m何㎝の位置でバトンが手に渡るとか、すごく細かく解析するんですね。

中川 その領域になると、やはり選手自身は感覚でとらえるものですか?

小池 ええ。リレーのスタートのときはだいたい1秒当たり4.5回から5回ほど足踏みできるんですけど、言い換えれば、受け手が手を出してから、0.15秒から0.2秒が勝負。

そのわずかな間に渡し手が受け手の手に(バトンを)当てないとダメで。加速が落ちてしまうんです。頭の中にストップウオッチはないですから(笑)、秒数よりも歩数で感覚的にとらえますね。

中川 優勝したイタリアのタイムは37秒50。2位のイギリスは37秒51でした。日本代表としては、予想どおりでしたか?

小池 日本代表の土江寛裕(つちえ・ひろやす)強化コーチが、決勝前のミーティングで言っていました。「優勝するチームはおそらく37秒50だろう。だから、攻めのバトンで全員がちゃんと前を向いて走り切れば、計算上でタイムは出る。だから、金メダルは狙える」と。予想どおりで驚きましたね。

中川 すごいですね。結果としては途中棄権でしたが、試合後、チームでの反省や敗因分析は行なわれましたか?

小池 いや、フィードバックはなしですね。失敗したときは、いくらでも出てくるじゃないですか。あれがダメだった、これがダメだったと。個人種目の100mと違ってキリがないです。シンプルに、攻めのバトンに舵(かじ)を切って、それが失敗に終わったということです。

中川 ちなみに、どのくらいのリスクだったんですか?

小池 パーセンテージで表すのは難しいですが......でも、50%のリスクを取りに行ったというわけではないですね。ある程度、勝算のある賭けでした。もともと10~20%のリスクがあるところに、攻めのバトンという戦略を選択して、数%リスキーになるという認識でした。

中川 もうひとつ印象的だったのは、試合直後に小池選手と桐生選手が多田選手と山縣(やまがた)亮太選手のもとへ真っ先に駆け寄った場面でした。

「単純に、心配だった」と、決勝の失格後、真っ先に所属の住友電工の後輩でもある1走の多田(左)のもとに駆け寄った

小池 僕も過去にバトンミスの経験があって。そういうとき、渡し手というのは周囲からミスした張本人と見なされがちで、実際に本人も自分を責める傾向にあるんです。僕としては多田君は同じ会社の後輩、しかも本当にいい走りをしてくれた。2走の山縣さんのスタートも本当に速くて、つながらなかったけど、一瞬でも夢を見させてくれました。  

中川 あらためて、小池選手にとって、初めての五輪で得た教訓とはなんですか?

小池 リレーの決勝の後、4人でちょっと話したんです。結論、おのおのが本番で常に9秒台を走れるような走力をつけないとダメだよねって。各国も研究が進んで、バトンパスのアドバンテージはかつてより小さくなっている。攻めのバトンとかの技術に頼るのではなく、個々がトップスピードの走力を上げないといけないって。

中川 やはりそこが一番の課題ですか。100mも含めて。

小池 自分はもちろん、日本の永遠の課題だと思います。近年、トップの選手たちが安定した強さを見せている一方で、従来の非強豪国の選手たちが着実に力をつけてきています。つまり、世界全体のアベレージが上がっている。

今回の(100mの)準決勝も、決勝と思えるぐらいハイレベルな戦いでした。リレーも然(しか)りです。なので、僕らもレベルアップしないと。

中川 レベルアップのための策はありますか?

小池 ワールドスタンダードなやり方でいこうと。まずはレベルの高い試合にエントリーし、そこで結果を出す。大会のディレクターに目をつけてもらい、大きな試合に招待してもらう。そこでまた各国の強豪と肩を並べるか、先着して走れるようにする。

中川 より厳しい環境に身を置くということですね。

小池 はい。それと陸上の短距離走というのは、体を鍛えて体重を増やし、出力に向ける技術を身につければ、速くなるわけです。これをベースにして、海外の室内戦60m走に出場機会を求める。もちろん、すべて勝てるわけではないでしょうけど、そこでまた失敗から学び、世界レベルに持っていければ。

中川 その先には世界陸上、そしてパリ五輪がありますね。

小池 やはり僕らは、サポートしてくださる方々の期待に応えないとプロとはいえないです。その一番の期待はどこにかけられるのか。それは、4年に一度の五輪なんですよね。東京五輪での結果は重く受け止めています。応えられませんでしたから。次、パリ五輪で出場機会が得られたとしたら、今度こそ成功を収めたいです。

●小池祐貴(こいけ・ゆうき)
1995年5月13日生まれ 北海道出身 身長173㎝
〇高校入学後、野球から陸上競技に転向、100mと200mで頭角を現す。慶應義塾大学入学後はリレーでも注目の的に。2018年ジャカルタアジア大会では200mで金メダル。19年7月、100mで日本人3人目となる9秒台をマーク。東京五輪2020終了直後の9月、全日本実業団対抗選手権の100m、200mで2冠を達成した

●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ 静岡県出身。フリーキャスター。2017年より『Jリーグタイム』(NHK BS1)のキャスターを務めるほか、ラジオ番組『THE TRAD』(TOKYO FM)の水、木曜のアシスタントを担当

(スタイリング/武久真理江 ヘア&メイク/石岡悠希 衣装協力/COMPTOIR DES COTONNIERS KAORU 競技写真/JMPA代表撮影)

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