高校時代は県ベスト32止まり、大学を経てプロ入りした、たたき上げの29歳

カタールW杯アジア最終予選で最悪のスタートを切った日本代表。その後の巻き返しの立役者となったのが、4戦連続ゴール中の伊東純也だ。オーストラリアとの大一番を前に話を聞いた。

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■「少しは注目され始めたのかな」

昨年9月に開幕したカタールW杯アジア最終予選。森保 一(もりやす・はじめ)監督率いる日本代表は初戦のオマーン戦(ホーム)で黒星がつき、続く中国戦(アウェー)には勝利したものの、第3戦のサウジアラビア戦(アウェー)に敗れ、序盤の3戦で1勝2敗。W杯出場権獲得に向けていきなり崖っぷちに立たされた。そのピンチを救ったのが伊東純也だ。

日本代表は続くオーストラリア戦(ホーム)に勝利すると、直近4戦での伊東の4試合連続ゴールもあって破竹の5連勝。残り2節でグループ2位まで浮上した。

「最初の3試合で2敗してしまって、もう引き分けも許されないプレッシャーのかかったなか、なんとかW杯出場圏内に戻ってこられて......。まずはよかったです。個人としてもゴールで勝利に貢献できただけでなく、チャンスに絡めているという部分で満足感はあります。

(所属する)チームでも4試合連続で点を取ったことはないですし、プロになってからはたぶん初めてじゃないかな。しかも、W杯最終予選という大事な試合ですから。普段はこんなにゴールを取るタイプじゃないので、うまくいきすぎです」

活躍により自身への注目度は一気にアップ。それについてはどう思っているのか。

昨年11月のベトナム戦(アウェー)では、DAZNの中継でゲスト解説を務めた元日本代表MF松井大輔が、日本のチャンスのほとんどが伊東経由で生まれていたことから「戦術・伊東君」とコメント。それがネット上で話題になったことも。

「戦術というか、自分のところにボールが来たら仕事をしているだけなんですけどね。結果的に俺が点を取ってはいますけど、それは周りが生かしてくれているから。点を取ったからって何か急に変わったことはないです。まあ、少しは皆さんに注目され始めたのかなとは思っていますけど(苦笑)」

また、厳しい戦いが予想された今年2月のサウジアラビアとの一戦(ホーム)でも、1得点1アシストと結果を出した伊東に、サッカー解説者の松木安太郎氏は自ら考案したニックネーム「イナズマ純也」を連呼し、称賛した。

「松木さんはニックネームをつけるのが好きみたいで。何個か候補はあったそうですが、イナズマと言われて悪い気はしません。それ以上の感想は特にないですし、ご自由にどうぞって感じです(笑)」

と、あくまで謙虚だ。

では、最悪のスタートを切ったW杯最終予選の序盤、チームの雰囲気はどうだったのだろう。

「自分は出場停止でしたけど(2敗目を喫したアウェーの)サウジ戦の前は、ピリピリした雰囲気はありましたね。しかも、そこでさらに負けてしまいましたから。盛り上げ役はやっぱり長友(佑都)さんとか。俺は前に出るタイプではないです」

「普段、試合で緊張することはほぼない」と言う伊東も、重圧を感じていた。

「(2敗後は)負けたらそこで終わるかもしれないですからね。W杯に行けなくなると考えると、まったくプレッシャーがなかったとは言えないです。いつもより判断が遅くなったり、体が重いと感じることはありました」

それでも続く10月のオーストラリア戦に勝利すると、日本代表はそこから一気に巻き返した。

「負けた試合も、相手にやられたというよりも自分たちがチャンスを外しまくってというパターンだったので、自分としても、よりゴールに直結するプレーを心がけたくらいですね。やるしかない状況でしたし、内容的に厳しい試合もありましたけど、W杯予選はとにかく勝つことが一番ですから。

ただ、残り2試合で2位につけているといっても、次のオーストラリア戦に負けたら得失点差で不利になります。大事なのは次です」

■「速いだけの選手だと思われるのはイヤ」

ここで伊東のキャリアを振り返ろう。

2015年に甲府(当時J1)に加入すると、翌年からは柏でプレーし、19年にベルギーのヘンクへ移籍。リーグ優勝をはじめ、すべての国内タイトルを獲得し、欧州チャンピオンズリーグ(CL)やヨーロッパリーグにも出場。順調そのものに見えるが、実はプロ入りまではエリートとは無縁の道を歩いてきた。

「高3のときは、(全国高校サッカー)選手権の神奈川県予選のベスト32で負けています。スカウトの目にも留まらなかったですし、自分ではプロサッカー選手になりたいとは思っていましたけど、周りは誰もなれるとは思っていなかったはず。

高校の同級生に横浜Fマ・ユースに所属していた小野裕二(現サガン鳥栖)がいて、彼は高3でJリーグにデビューしていて『スゲーな』とは思いましたけど、当時は差がありすぎて、悔しいとかそんな感じもなかったですね(笑)」

過去に見たW杯で強く印象に残っているのは、ちょうどその頃に見た10年南アフリカW杯だという。

「本田(圭佑)さんがデンマーク戦で決めたFKはよく覚えています。もちろん、そのときは将来自分が代表でプレーできるなんて思ってもいなかったですけどね」

日本代表には17年に初招集。それでも自らの18年ロシアW杯出場は現実味がなかったと話す。

「自分が招集されたときは国内組だけだったので、海外組を含めた(23人の本大会)メンバーには入らないかなって。

今となってはW杯出場に貢献したいとか、W杯に出て活躍したいという気持ちがありますけど、そう思ったのはベルギーに移籍してから。そのために海外に出たというか。それまでは完全に応援している側でした」

チャンスメーカーのイメージが強かった伊東だが、昨季はベルギーリーグでも11得点をマークするなど、ゴールへの意識が増したことが代表での結果にもつながっている。

「アシストはもちろん、プラスアルファでゴールも取れたらいいかなと。そういう意味で、最近は積極的に逆サイドからのクロスに詰めるとか、シュートへの意識は強くなったとは思います」

現代サッカーではサイドプレーヤーにも得点力が求められ、アタッカーは利き足とは逆のサイドに配置されることも多い。だが、右利きの伊東は右サイドで開き気味にプレーしながらも、ゴール前では中央に進入して対戦相手の脅威になっている。

「右が一番やりやすいポジションですし、代表では森保監督が『幅を取るように』と口グセのように言っているので、その役は自分が適任かなと思ってやっています。

ただ、スピード系の選手って、ただ速いだけに思われることもあるじゃないですか。ちょっとミスしただけでも『ヘタ』と言われるのは腹が立つので、そう思われないようなプレーは意識しています」

19-20シーズンにヘンクの一員としてCLにも出場した伊東は、「チームとして勝てる気はしなかったが、個人としては手応えがあった」と振り返る。クラブでのステップアップを狙うためには、まずはオーストラリアとの天王山でも結果を出し、カタールW杯のピッチに立つことが重要になる。

「(オーストラリアに勝ってW杯出場権を得られるグループ)2位になるか、(プレーオフに回る)3位になるかは全然違う。引き分け狙いの気持ちでいくと負けるので、勝ちにいきます。力は拮抗(きっこう)しているので、チャンスを決めきる部分だったり、セカンドボールの球際の勝負が大事になるかなと。

自分としては相手に引かれるよりも、バチバチにやり合う展開のほうが好きだし、特長は出しやすい。前回のオーストラリア戦はチャンスがありながら決められなかったので、今度はしっかり決めたいです」

過去、日本代表で伊東がゴールを決めた試合は8戦8勝というゲンのいいデータもある。5戦連続のゴールに期待しよう。

●伊東純也(いとう・じゅんや) 
1993年生まれ、神奈川県出身。逗葉高校、神奈川大学を経て2015年に甲府加入。その後、柏を経て、19年よりベルギーのヘンクに所属する快速ウイング。日本代表には17年に初招集。国際Aマッチ31試合出場9得点