2021年5月31日、U-24日本代表練習(JFA夢フィールド)にてA代表の練習を見つめる左から板倉滉、田中碧、三好康児、旗手怜央、三笘薫

連載第6回で語られ、反響を呼んだ板倉滉の幼少期の記憶。今回は神奈川県に移ってからの小学校高学年までのエピソードを大公開。W杯戦士を多く輩出する神奈川県のリアル、そこで板倉はいかにして育ったのか。

■父のお迎えとJリーグチップス

リハビリ期間も終わりが近づき、もうすぐ完全復活できそうだ。ケガをすると思うのは、やっぱりボールを蹴っていないと落ち着かないということ。去年もW杯直前のケガでサッカーのありがたみを思い知らされたけど、今もまた、それをしみじみと感じている。

僕がサッカーを始めるきっかけをつくってくれたのは、兵庫県西宮市にある高木小学校の高木SCだった。当時の思い出については、連載第6回で語らせてもらったけど、本格的にサッカーに打ち込み、今に至るまでの土台をつくってくれたのは、父の出生地である神奈川県だ。

小学2年で西宮から移ってきたのは、東急田園都市線沿線のとあるエリア。隣駅へのちょっとした引っ越しもするのだが、僕にとっては思い出深い場所だ。地元の人なら共感してくれると思うが、とにかく坂が多いエリアで、そこかしこに坂道がある。毎日夕方になると、坂道を歩いて駅まで父を迎えに行っていたのが懐かしい。

改札から出てきた父と合流したら、帰りに必ずJリーグチップスを買ってもらう。父を迎えに行く真の目的はこれだった(笑)。父もそれをわかっていたのだろう、いつも黙って買ってくれていた。カードの袋を開ける瞬間のワクワクは今でも忘れない。お目当ての選手を引き当てたときの喜びといったら......。

そんなこんなで、しょっちゅう坂道を歩き続けたことで足腰が鍛えられたのは間違いない(笑)。今でも神奈川県に来てからの思い出は鮮明に残っている。

■夢はロナウジーニョ、ドリブルざんまいの日々

小2からは駒サッカースクール(現在のMKサッカースクール)というところに通った。だいたい週2回。ここと並行してさぎぬまSCというクラブにも加入していた。

さぎぬまSCのOBには権田(修一)さんや(三笘)薫、そして(田中)碧らがいて、今となってはW杯出場選手を数多く輩出した名門とされているが、僕の中では、ゴリゴリのスパルタ指導をされた記憶はまったくない。それについては、薫も碧も同じことを言ってくれると思う。ちなみに、彼らは僕の1、2個下の学年で近しい年代なのだが、練習で関わるということはなかった。

当時、僕がはまっていた選手はブラジル出身のファンタジスタ、ロナウジーニョ。自分も得点を決めるたびに彼をマネて、前歯と歯ぐきをむき出しにして喜びを表現するパフォーマンスをしていた。

コーチ陣は大学生ぐらいの若手が多く、皆とても気さくだった。僕がロナウジーニョの熱烈なファンでしょっちゅうエラシコ(ドリブル時のフェイント)をトライしているのがわかると、どんどんドリブルの練習をさせてくれた。あれこれと指示を出すがんじがらめのトレーニングをさせられた覚えはない。スクールには、柔軟に楽しく学ぶモットーが根づいていたように思う。幼少期にとにかく楽しむ経験がいかに貴重だったか、今になって感じる。

1年ほど通ったのち、僕はさぎぬまSCからあざみ野FCに移った。駒サッカースクールは継続。ついでに言うと、この頃はまだ別の習い事にも取り組んでおり、スイミングスクールの選手養成コースにも通っていた。ちょうど、小3の頃だ。学校生活以外はサッカー漬け+水泳の過密スケジュール。もちろん、休みなんてなかったけれど、全然苦にならなかった。毎日が楽しくて仕方なかったから。

あざみ野FCに通い出した理由は小学校でできた、すごく仲の良い友達が通っていたから。それと、単純に地元でもずばぬけて〝強い〟という評判を聞いて、興味が湧いたからだ。確かにそうだった。歴史も古く、数多くのOBがJリーグ選手に成長した。とはいえ、このクラブも教え方が厳格だったわけではなく、伸び伸びプレーさせる方針だった。僕はひたすら楽しくサッカーをするだけ。ちなみに、現在二人三脚で僕のマネジメントを務めてくれている藤川誠人との出会いもあざみ野FCだった。

やがて小学4年のときに、川崎フロンターレのジュニア組織が立ち上がり、セレクションを行なうという情報を親がたまたまつかんできた。僕はその頃、自分が一番うまいと信じ込んでやっていたので、力試しというか、親の勧めもあって、受けることにした。これがその後の人生を決定づけることになるが、詳しくはまた別の回で話そう。

現在、神奈川県はサッカーが盛んだといわれている。その理由のひとつには、Jリーグのクラブが非常に多いことが挙げられると思う。川崎フロンターレ、横浜F・マリノス、横浜FC、湘南ベルマーレなど。これだけのクラブを抱えている地域はほかにはない。

必然的にサッカーに興味を持ち、観戦し、自らもプレーしたいという子は増える。サッカー人口が多ければ、それだけ選抜されて上がってくる子供たちのレベルも当然高い。僕も小学校高学年になり、神奈川県選抜の大会、そしてU-12世代の全国各エリアのトップを決める大会に出たとき、それを感じた。

県内のえりすぐりの子供たち、さらにJリーグの下部組織の子供たちが加わってしのぎを削る。ブラジルじゃないけれど、もはや、神奈川県は〝サッカー王国〟といってもいいのではないだろうか。

板倉滉プロフィール

●板倉滉(Ko ITAKURA) 
1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。日本代表CB。川崎Fでプロ入り、2019年に1シーズン在籍したベガルタ仙台からイングランド1部マンチェスター・Cへ移籍。その後、オランダ1部フローニンゲン、ドイツ2部シャルケへと移り、現在はドイツ1部のボルシアMGに在籍。現在は戦列復帰に向けてリハビリ中。

★不定期連載『板倉 滉のやるよ、俺は!』記事一覧★