川崎フロンターレU-12時代の板倉滉

板倉をはじめ、三笘薫や田中碧ら日本代表を数多く輩出し、今や名門と称される川崎フロンターレ・ジュニア(U-12)。1期生として憧れのクラブに入れた喜びもつかの間、板倉少年を待ち構えていたのは、とてつもない練習量と規律だった。

■憧れのユニフォームに袖を通して大喜び

アジア杯が幕を開けた。元日に行なわれた日本代表の国際親善試合・タイ戦は大事を取って出場せず、ドイツにすぐさま戻りメディカルチェックを受けた。

万全の態勢は整いつつある。ファンの方々はぜひ、完全復活を楽しみにしていてほしい。

今回は、僕が小学生時代に所属していた川崎フロンターレのアカデミーについて。

僕のほかに三笘薫(イングランド1部・ブライトン)、田中碧(ドイツ2部・デュッセルドルフ)、三好康児(イングランド2部・バーミンガム)ら、日本代表選手を多く輩出しており、今や〝エリート育成組織〟として注目を集めているようだけど、実際はどうだったのか。

記憶をたどり、2回にわたって語りたい。

2005年、06年度の新小学3、4年生を対象にジュニア(U-12)1期生の募集が告知された。その情報を見つけてきた母が「やってみたら?」と勧めてくれたのが始まりだった。

まず翌年1月の終わりに1次、2次と計2日のセレクションを受けた。僕はFWとして参加。試験会場は富士通川崎グラウンド(神奈川・下野毛)だったと思う。人工芝のグラウンドでひたすらミニゲームをやらされた。

数百人規模の応募があったらしく、1次と2次はやたらと人数が多かったことを覚えている。僕としてはピリピリした空気は感じず、いつもどおり楽しくサッカーをやりに行く、くらいの感覚だったのが良かったのかもしれない。

周りの子に比べると身長が高く、やたらと点も決めるため、ぶっちゃけ1次、2次はかなり目立っていた(笑)。2次では得点王だった気がする。

ゲームが終わり、しばらくしたところでコーチ陣から、その場で通過が伝えられた。その後、最終となる3次を経て、1期生に選ばれたのは僕を含めて14人。

最終的な合否発表は電話での連絡だった。1次、2次は余裕だった僕も、さすがに最終は緊張していた。が、ある日、学校から帰ってきたところで母から合格を伝えられたときは大はしゃぎだった。

何せ、当時は普段からトップチームの出待ちをしていたほど、フロンターレが好きだったからだ。選手たちが配ってくれる直筆サイン入りカードや写真を楽しみにしていた。

ユニフォームを支給されたときのことは今でも忘れられない。トップチームと同じデザイン。めちゃめちゃうれしかったし、フロンターレの一員になれたという実感が湧いた。

始動は4月。練習場所は麻生グラウンドにある小さな人工芝のコートで、すぐ横では、トップチームの選手たちが汗を流していた。

川島永嗣さんや鄭大世さん、我那覇(和樹)さん。時間さえあれば、第一線で活躍する先輩たちのプレーをかぶりつくように見ていた。

■足が擦りむけるまで徹底的な基礎練習

プロクラブの下部組織というと、どのような環境を想像されるだろうか? フロンターレは、それまで所属していたチームとは比較にならないほど厳格だった。正直、恐怖を覚えるほどに。

まず、練習では徹底的に基礎をやらされた。例えばリフティングであれば、ただ回数をこなすのではなく、インステップ(足の甲)、インサイド、アウトサイド、太もも、肩など、ひとつの部位だけを駆使して、集中的にやらされる。

しかも、ボールは通常球ではなくリフティング用の小さなタイプをはだしで扱う。宿題でノルマの回数を定められて、できなければ恐ろしいペナルティが待っている。足の皮が擦りむけるまで必死に練習したのが懐かしい。

ピッチ外での規律も厳しかった。練習場や試合会場までは、親の同行が認められず、自分たちで駅に集合、時刻を調べて、電車やバスで移動した。

"キッズ携帯"は必需品で、親やクラブとの安全確認や連絡も自分でこなしていた。ひとりの選手として自立することを求められていた。

何よりも怖かったのは、当時の監督・髙﨑(康嗣)さんだ。全員から帰宅報告メールが届いたところで、一斉送信により、その日の反省点や次への課題が長文で送られてくるのだけど、誰かひとりでも帰宅報告が遅れたり、忘れたりすると、いつまでたっても監督からのメールは送られてこない。

そして次の練習の際、全員が連帯責任として烈火のごとく怒られた。

"サッカーノート"というものも存在して、毎日の反省点や課題、目標を記入する。それとは別に体調管理などを細かく項目ごとに振り分けたチェックシートの提出も義務づけられていた。

2週間に1回出す決まりで、こちらがしっかりと書いていれば、監督からも1ページずつ真っ赤っかになるぐらいの丁寧なアドバイスが記入されて返ってくる。だが、手を抜いて適当に書いたりすれば、監督からノートが戻ってくることはない。

僕の場合は後者だった(笑)。夏休みの宿題と同じで、ギリギリまで何もせず、提出の前夜に慌てて、あたかも毎日書いたかのように、1日ごとに違う色のペンを使って、薄っぺらい内容を記述していた。当然髙﨑さんには即バレして、毎回怒られていた。

とにかく、忘れ物や遅刻といったサッカー以前のミスを犯すと、監督をはじめコーチ陣からは本気でキレられて、泣く選手も。そんなアカデミー時代の思い出と学びについて、次回も語ろうと思う。

板倉滉

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板倉 滉

板倉 滉いたくら・こう

1997年1月27日生まれ、神奈川県出身。日本代表CB。川崎Fでプロ入り、2019年に1シーズン在籍したベガルタ仙台からイングランド1部マンチェスター・Cへ移籍。その後、オランダ1部フローニンゲン、ドイツ2部シャルケを経て、現在はドイツ1部のボルシアMGに在籍

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