これが『週刊プレイボーイ』昭和54年(1979年)10月2日号での本庶博士の登場シーン

10月1日、本庶 佑(ほんじょ・たすく)博士がノーベル医学生理学賞を受賞して、大きなニュースとなった。

で、今から39年前、なぜか『週刊プレイボーイ』は、当時37歳の本庶博士を、「科学大革命の先兵たち」として直撃していたのだった。その貴重な記事もふり返りつつ、博士の偉大な業績をざっくり説明する!

■30年前にノーベル賞を一度、逃してた!?

今から39年前。昭和54年(1979年)の10月2日号で、週プレは、当時37歳の本庶佑博士を直撃していた。

特集のタイトルは「〈PBサイエンス・スペシャル〉いま世界が最も注目する日本のビッグ・ターゲットⅡ 遺伝子操作・光通信に賭ける科学大革命の先兵たち」。

当時、脚光を浴び始めていた2大テクノロジーである、遺伝子操作と通信技術の最先端を走る、日本の若き研究者たちを取材した、めちゃくちゃハードな科学ルポである。

まず、写真の37歳の本庶博士が凜々(りり)しい。現在76歳の博士も、すごくステキなお顔だけれども。

この特集で37歳の本庶博士が語っているのは、「免疫」の元になる物質、「抗体」についてだ。抗体は、外から入ってきたバイ菌やウイルスといった「外敵」と戦ってくれるわけだが、当時(1970年代)、大きな疑問が存在した。

それは、外敵の種類はそれこそ無限にあるはずなのに、なぜ抗体は、その都度(つど)ちゃんと対応できるのか。さらに、免疫の基本である"二度なし現象"(例えば、麻疹[はしか]に一回かかると、その後かかりにくくなる)を可能にするメカニズムはなんなのか、だった。

つまり、「抗体の多様性と、より強力な抗体へ変化するメカニズムの解明」が、大きな研究テーマとなっていたのだ。

そこで博士が目をつけたのは、脊椎動物の全身を流れるリンパ球で抗体を生み出す細胞、いわゆる「B細胞」の機能だった。麻疹に一回かかると、その後かかりにくくなるのも、B細胞が麻疹の抗体をずっと作ってくれるからである。

そして博士は、(細かい説明は省略しちゃうけど)B細胞がDNAに働きかけ、遺伝子構造を組み換えることで、より強力な抗体のタイプに進化するメカニズムを解明したのだった!

当時、こうした研究は衝撃的なものだった。なぜなら遺伝子は「生命の設計図」とも呼ばれ、リンパ球の中では書き換えられないものだと思われていたからだ。

それなのにB細胞は、遺伝子を書き換えながら、体の免疫力を保つ働きがあるわけで、すると当然、こういう発想が生まれる。

「だったら遺伝子って、実は人間が操作できちゃうんじゃないの?」

こうして、人類にとって未知の領域が一気に広がったのである。博士もこの記事で、「新しい機能をもった遺伝子をつくることが可能になる」と語っている。

だが、この特集記事の後、微妙に残念なことが起きる。

実は当時、これに類似した「遺伝子レベルでの抗体の多様性獲得のメカニズム」の研究は、アメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)でも行なわれていたのだ。しかもその中心人物は同世代の日本人!

それが利根川進博士である。利根川博士はこの特集の8年後、昭和62年(1987年)に、ノーベル生理学・医学賞を48歳の若さで受賞する(ちなみに特集には、利根川博士の師匠である渡辺格博士も登場している)。

つまり本庶博士は、39年前に週プレで語った研究ではなく、その後の別の研究で今回のノーベル賞となったわけだが、そこがまた、なんだかとてもカッコいいじゃないか!!

■B細胞からT細胞の研究へ!

ところで免疫細胞は、大きく分けて2種類ある。ここまで説明したB細胞(液性免疫)ともうひとつ、「T細胞」(細胞性免疫)である。

ここで本庶博士は、T細胞の研究を本格化する。

そして博士は平成4年(1992年)、T細胞の表面に、T細胞の活動を抑える働きをもつ遺伝子「PD-1」を発見。だが、見つけた当初は、なんのために存在するのかわからなかった。だって、わざわざ免疫力にブレーキをかけてしまうのだから。

それでも研究は進む。それによって、例えばがんや慢性的な炎症などでリンパ球が長く戦い続けていると、炎症が続いて体そのものにダメージを与えてしまうため、「適切なところで疲弊化する(不活性化する)プログラム」が、細胞にはもともとインストールされていることがわかる。PD-1は、このプログラムの機能をもつわけだ。

さらに本庶博士と共同研究者たちは、(ここでも細かい説明は省いちゃうが)PD-1のブレーキを外す「ブロック抗体」を発見する。つまり、疲弊してがん細胞と戦えなくなったリンパ球を、もう一度活性化させる物質を手に入れたのだ! 

これを製品化したのが、今話題のがん治療薬、「オプジーボ」である。残念ながら、オプジーボはがんの「万能薬」ではない。がん細胞の種類によって効き目に差がある。しかし、従来の手術治療、抗がん剤治療、放射線治療とは異なる、「第4のがん治療法」として注目された。

そして、治験が始まって10年がたち、多くの治療現場で、その効果が証明されてきている。特に、白人に多い悪性黒色腫などのがんに優れた効果を発揮することがわかった。

こうしてオプジーボの評価がある程度、専門家の間でも確立したところで、今回の本庶博士のノーベル賞受賞となったわけである。

今後、がんの種類や部位ごとの「×年後の生存率」といった、細かなデータが集積されていくのは確実だ。また、薬のお値段も導入当初は「1年で3000万円」なんていわれていたが、今や急激に値下がりしてきている。

本庶佑博士は人類に大きな貢献をしたのである。

【39年前の本庶博士の登場シーンを抜粋&再録!】

「私にとって遺伝子工学はひとつのテクノロジーにすぎません。コンピューターを使うのと同じですね」

と、語るのは東大医学部栄養学の本庶佑博士(37)。講義の表まで出して説明してくれる。

「たとえば、抗体がまるでできない先天性異常の免疫欠損症という病気があり、遺伝子の欠損が原因と考えられている。

この抗体の遺伝子はたくさんありますが、私はその中のガンマー1と、ガンマー2Bの2つを特に詳しく調べて構造を明らかにしました。明らかにすると、もっとわかることが出てきます。

ひとつは、遺伝子の進化の足跡(遺伝子が進化するから生物は進化する)を知ることができる。さらに遺伝子の構造から逆にそれが作るたんぱく質の構造も類推できるようになったんです。

そして、抗体タンパク質には、定常部と可変部があって、可変部の種類によって、異物に対する反応が決まるから、この可変遺伝子をつないでやれば、新しい機能をもった遺伝子を作ることが可能になる(人工の抗体が作れる)。私はちかぢか、人の抗体をとって、この操作をしてみたい」

遺伝子工学は、すでに実用段階にせまっているのだ。