対談をおこなった内田樹氏(右)と姜尚中氏(左) 対談をおこなった内田樹氏(右)と姜尚中氏(左)

大好評発売中の『新世界秩序と日本の未来』(集英社新書)刊行記念トークイベント(9月8日に丸善ジュンク堂書店にて、池袋本店が配信)では、オリパラ後、いまだコロナ禍に苦しむ日本の再生に必要なことは何か、内田樹氏と姜尚中氏が語り合った。白熱の対談の模様をダイジェストでお届けする。

■なぜ政治家は空っぽの言葉しかしゃべれないのか

 コロナ禍の状況が予断を許さない中、自民党総裁選を経て、その後の総選挙が見込まれていますが、政治家たちの話を聞いていると、なぜこんなに彼らの言葉は届かないのか、と思ってしまいます。これは、与党だけではなく野党にも言えることですが。

内田 安倍・菅政権のこの約9年間で言葉が本当に空疎になってしまいましたね。その最大の理由は、そもそも政治家の側に自分たちの思いを国民に届かせようという気がなかったからだと思います。

投票率が50%を切っている中、今の選挙制度だと、有権者の25%程度の支持があれば選挙では圧勝し続けられます。それなら、全国民に支持を広げようと努力する必要はない。25%のコアの支持層だけに受ける話をしていれば勝てるんですから、残る75%については配慮する必要がない。

菅さんと政治部記者たちのやり取りはまさにそうでした。記者たちは一応は国民を代表して質問しているわけですけれども、菅さんからすると、不都合な質問をする記者は「不支持者」を代表して質問しているように見える。それなら、別に説得したり、同意を求めたりする必要はない。木で鼻をくくったような答えをして、記者たちが「まったく相手にされていない」という印象を与えればそれでいいんです。

あの答弁は、国民に対して「自分を支持しない人間は何も与えられない」ということを告知している符丁(ふちょう)(仲間内だけで通じる合言葉)なんですから、コミュニケーションが成立しないのは当然です。

 やはり、政治家が「日本の政治をどうしたら良いのか」という大きな視点を持たなければ、政党や派閥の中でコミュニケーションが閉じられてしまうということですよね。

今、符丁とおっしゃったけれども、あの無味乾燥な言葉は結局、官庁用語だと思うんですね。8月6日の広島平和記念式典で菅さんが読み飛ばしたスピーチなどが典型的ですが、ああいう形骸化した言葉を使いながら、政治家の側はその製造元である官僚を威圧し、人事を操るという構図がありました。

内田 菅さんも安倍さんも、権謀術数(けんぼうじゅっすう)が渦巻く世界を生き抜いて位人臣(くらいじんしん)を極めた人たちですから、実際にはもっとちゃんとした言葉、人を動かせる言葉を持っているはずなんです。たぶんプライベートで会って話をすれば、それなりに説得力のある言葉を語ると思います。

 そう思います。僕は官房長官時代の菅さんにインタビューをしたことがありますが、一般に流布されている、取り付く島もないような印象とはまったく違いました。人間臭い部分もあるし、けっこう言葉を知っている人でしたよ。

内田 でも、そういう私的な言葉と公的な場で喋る言葉の間につながりを作れないということが問題なんだと思います。今の政治家たちは内心の思いを、論理的で説得力のある言葉に変換する能力が非常に低い。だから、プライベートでは「話のわかる人」が、公的場面では定型句しか口にできないということが起きる。

■野党は「正しさ」への不信感に向き合え

 今の話で言うと、たとえば小渕恵三(おぶち・けいぞう)内閣が「富国有徳(ふこくゆうとく)論」というスローガンを掲げたときなどは、ドロドロの現実である「密教」的な言説をなんらかの理念、つまり「顕教(けんきょう)」に翻訳し、それを政治的言説として発信していました。ところが、安倍首相の打ち出した「美しい国」というビジョンはほとんど中身がないもので、結局、ありとあらゆるものが憲法改正に収斂(しゅうれん)していけばいいという、いわば「密教」的な自分の執念だけが濃密だったわけですよね。

逆に、野党は戦後民主主義の憲法に代表されるような顕教的言説に寄りかかりすぎていて、清濁併せ呑む「密教」の部分が見えてきません。

内田 野党の理想主義的な言葉づかいに対しては、「そういう『政治的正しさ』は、どうせ外来のものなんだろうから、どうしても信用できない」という不信感が大衆心理にはあるわけですよね。その警戒心をどうやって解除していって、政治的な理想主義を生活の現実に着地させるか、それが課題だと思うんですけれど、野党の場合には、自民党とは逆に、「顕教」から「密教」に翻訳することが苦手です。どうしても「きれいごと」に終始してしまって、人間の「ドロドロ」のところに踏み込まない。

与野党ともに言葉に問題を抱えている。自民党は「ドロドロ」の現実になじむばかりで、倫理的指南力を持つ公的な言葉を持っていない。野党は逆に理想は語るけれど、大衆の「政治的に正しくない」妄想や欲望やイデオロギーには目を向けない。ただ「生臭い」だけでもダメだし、ただ「きれいごと」だけでもダメで、その二つを架橋できる、厚みと奥行きのある言葉を持たないと政治的コミュニケーションは豊かなものにならないと思うんです。

でも、今の政治家たちにそれだけの言語能力がない。国権の最高機関である国会が機能しなくなっているひとつの原因は、そこで人を揺り動かすような力のある言葉が行き交わなくなったからだと思います。だから、立法府の機能が低下して、行政府に権限が集中するようになった。

 怖い事態になっていますよね。小泉政権の頃から、効率性やコストといったマーケット用語が政治を侵食してきて、国会で丁々発止(ちょうちょうはっし)議論すること自体が非効率だ、行政の執行権力だけあれば早く問題が解決できる、ということになっていったと思います。

内田 これは民主主義にとって本当に危機的な状況だと思います。言論の府がおろそかにされるというのは、議論なんてしなくていいから、採決のボタンが押せるロボットが議員になればいい、ということですからね。

■「見切る」ことができれば、簡単にはだまされない

 以前から内田さんは、今回のオリ・パラは日本社会が大きく方向転換するきっかけになるとおっしゃっていましたよね。オリ・パラが終わった今、状況をどう見ていらっしゃいますか。

内田 オリ・パラとコロナ対策の失敗で、「振り子」はほぼ振り切れたと思っています。自民党に十分な政権担当能力がなくなったことはもう明らかになった。だから、これから「振り子」が逆に振れるバックラッシュが始まると思います。

今の自民党総裁選をめぐって「メディアジャック」ということがよく指摘されます。「こういう疑似政権交代で世間の耳目を集めて自民党は延命してきた」という話が、いわば一般常識として語られていますね。僕はこれはメディアリテラシーがそれなりに成熟してきたことのあらわれだと思います。

テレビ用語では「見切れている」と言いますが、カメラ位置が下がると、書き割りの仕掛けが見えて、スタッフの出入りが見えて、照明やカメラが見えてしまう。別に、カメラ位置が下がっただけで、特に高度な批評性を発揮したというわけでもないんですけれど、それでも、そこで演じられているものがどういうふうに「仕込まれているか」の裏が見える。

自民党総裁選の仕掛けが「見切れた」のは、日本人のメディアリテラシーが劇的に上がったということではなく、本来なら画面に映らないものが映り込んでいるのが見えるようになったからです。だから、国民はこれまでほど簡単にはだまされなくなったんじゃないでしょうか。

 僕の周りでも、今まで「安倍さん、よくやっているんじゃないの」と言っていた人たちが、そういうメタ言説的なものの見方をポロッと話してくれるということが増えてきた気がします。「見切る」ことは、今後の世論にそれなりの影響を与えることになるかもしれません。

■政権交代すべき最大の理由とは

 ところで、内田さんは今後、政権交代はあるかどうかということについては、どう考えていますか。

内田 可能性はともかく、僕はとにかく政権交代してほしいです。メディアを蘇生させるためです。報道の自由ランキングで日本はいま世界71位ですが、政権交代したらたぶん一気に10位以内に入るんじゃないでしょうか。安倍・菅政権の下でこれまで抑圧されてきたメディアも、政権交代したら息を吹き返します。野党連合政権なんか、ぜんぜん怖くないから、容赦なく政権批判をする。失政を暴く。それでいいと思うんです。

報道の自由が回復すれば、官房機密費や森友・加計・桜、東北新社といった、この間隠蔽(いんぺい)されてきた情報だって明るみに出る。メディアが遠慮なく報道すると思ったら、官僚たちも積極的に内部告発をする。それだけでも政権交代する甲斐はあると思います(笑)。

 ある意味、究極の予測が出てきましたね(笑)。

内田 とにかく今はもう膿(うみ)が溜まりに溜まっているわけです。この膿を溜めたままでは日本は再生できません。膿を出すには外科手術が要るけれども、それには痛みを伴う。おそらく野党連合政権は迷走するし、失政も多いでしょうけれど、それは「膿を出し切るための外科手術の痛み」として甘受すべきだと思うんです。

 最近誰かが「政治を変えて幸せになろう」と言っていましたが、やはり政治を変えることで幸せに近づいていくことができるのだと思います。今はなかなか酒を飲みながらということはできないですけれども、幸せになるために、こうやって皆でどんどん日本の政治を語り合っていくということも必要ですね。
 
内田 これからも、姜さんと言いたいことを言っていきたいと思います(笑)。僕も姜さんも残りの人生はもう少なくなっていますが、なんとかして日本の民主主義の機能が回復するようにしていきたいですね。

『新世界秩序と日本の未来』(集英社新書)
現代を代表するふたりの「知の巨人」である内田樹氏・姜尚中氏が、コロナ後の歴史的大変革の時代を縦横無尽に論じ合った一冊。これからの国際社会はどう動くのか? 2020年代の見通しを大胆に提示する。

■イベント動画見逃し配信中!
9月8日に開催された対談イベントについては、丸善ジュンク堂書店オンラインイベントSHOPで動画の見逃し配信が行われております。詳しくは以下のURLをご確認ください。
https://online.maruzenjunkudo.co.jp/products/j70019-210908-re