元阪急ブレーブスの弓岡敬二郎が指揮を執る、愛媛マンダリンパイレーツの応援団 元阪急ブレーブスの弓岡敬二郎が指揮を執る、愛媛マンダリンパイレーツの応援団

【連載・元NPB戦士の独立リーグ奮闘記】
第2章 愛媛マンダリンパイレーツ監督・弓岡敬二郎編 第14回

かつては華やかなNPBの舞台で活躍し、今は「独立リーグ」で奮闘する男たちの野球人生に迫るノンフィクション連載。第2章・第14回は、1980年代に阪急ブレーブスの名ショートとして名を馳せ、現在は独立リーグ屈指の名将として愛媛マンダリンパイレーツ(以下、愛媛MP)の指揮を執る弓岡敬二郎と地域の関係に注目した。練習グラウンドでチームを見守る人々の言葉からは、弓岡がこの地で築いてきた大切なものが伝わってくる。(文中敬称略)

■ファンにとっては神様、雲の上の監督さん

取材3日目──。

炎天下のグラウンドで練習する愛媛MPの選手たちの様子を、バックネット裏で見守る2人の男性がいた。

選手の調子などをいろいろ話しているものの、服装や雰囲気から判断するに球団関係者ではないようだ。熱心に見学する様子が気になり話しかけてみた。2人は長年、愛媛MPを応援する地元ファンだった。

松山市内在住で、建築関係の仕事をしている山本靖さん(60歳)は時々、営業の外回りの合間を見て、練習場に「ちょこちょこ元気をもらいに来ています」とのこと。試合になれば愛媛MPのユニフォームを着て、応援団員として活動している。

「もう12〜13年前かな。四国アイランドリーグができて、まだ数年という頃です。試合開催のお知らせチラシが自宅ポストに投函されていて、家族サービスで観戦に行こうとなりました。でも結局、嫁さんも子供もそこまで興味を示さず、ハマったのは私だけでした(笑)。

当時、浦川大輔という主力投手がいて、彼が格好良くてそれがきっかけでした。女性ファンみたいなこと言いますけど(笑)。浦川選手の登板を見るために、休日は家族サービスそっちのけで、1人でいろいろな球場、遠い所まで通うようになりました」

十数年にわたって愛媛MPを応援している山本靖さん 十数年にわたって愛媛MPを応援している山本靖さん

最初は、浦川投手の応援をするために1人で球場に通っていたという山本さん。ある時、愛媛MPの応援団員に声をかけられたことがきっかけでメンバーになり、チーム自体の応援をするようになった。そんな山本さんに、弓岡監督について聞いてみた。

「現役時代については知りません。でも最初に監督就任された時、総合優勝したり日本一に導いてくれて、今でも私たち愛媛MPのファンにとっては神様、雲の上の監督さんです。歴代でも一番、選手を安心して任せられる指導者やなと思いますし、1年でも長く、愛媛にいてほしいなと思っています」

弓岡が2016年シーズンの「完全優勝」を置き土産にオリックスに戻った時は、これまでの感謝と祝福の気持ちを抱いて送り出した一方、寂しさで胸がいっぱいになったそうだ。弓岡が去って以降、チームも優勝から遠ざかったことが余計、そうした喪失感を膨らませた。それだけに2022年シーズン、6年ぶりの復帰が決まった時は応援団も一般ファンも、「愛媛に良い流れが戻ってくる」と皆で喜びを分かち合った。

■自分で自分のオーラを消してくれる

「独立リーグの魅力は選手との距離の近さ。私は試合以上に、こうして練習見学するのが好きなんです。これ見ていたら、試合でミスしてもなんとなく納得ができるんです」と話すのは千葉則彦さん(71歳)。

千葉さんが愛媛MPを応援し始めたのは、弓岡が初めて監督に就任し、「独立リーグ日本一」に輝いた2015年だった。松山市の隣、砥部町にある温泉施設で働いていた時、入浴に来た選手たちと親しくなったことがきっかけだった。

「砥部町はシーズン中の2月から10月末まで、選手たちが無料で温泉に入れる覚書を交わしています。私は東京で公務員をしていたのですが、定年を迎えて戻ってきて、砥部温泉に夜のパートで勤めていました。せっかく選手と親しくなれたし、試合も観に行ってみようと。そこからどっぷり、応援沼にハマった感じです」

今は定年退職後の生活の楽しみとして、愛媛MPを応援するために、ワンボックスタイプの軽自動車で寝泊まりしながら四国中をまわっている。

「愛媛MPの応援が、いまや生き甲斐です。ビジター3連戦の時は家には戻らん(笑)。最近、"推し活"って話題になっているじゃないですか。まさに推し活そのものです。四国四県、試合を追いかけて行くんが楽しい。年金生活者やから金銭的にはそう余裕はないですけど、時間はあるから下道の旅をするんですけどね」

愛媛MPの試合観戦のため、軽自動車で寝泊まりしながら四国四県をまわっているという千葉則彦さん(手前) 愛媛MPの試合観戦のため、軽自動車で寝泊まりしながら四国四県をまわっているという千葉則彦さん(手前)

ご贔屓にしている選手はいますかと聞くと、千葉さんは「選手よりも弓岡監督のファンかもしれんですね。弓岡監督と初めて話したのはお風呂の脱衣所やったと思います」と笑顔で答えた。

「弓岡監督は、普段はただのおっちゃん(笑)。野球人としては凄い経歴の持ち主でしょうが、個人的に付き合ってみれば、面白い関西のおっちゃんですね。それ以上の意識を持ってしまえば付き合えません。監督には悪いですけど」

以前は野球にもさほど関心はなかった。阪急ブレーブスという球団名は知っていたが、"1980年代の名ショート・弓岡敬二郎"は知らなかった。親しくなったのち、インターネットで検索して驚いたが、「弓岡監督は過去の実績はおくびにも出さず、自分で自分のオーラを消してくれる」のだそうだ。

「一度監督に食事に誘っていただいたことがありますが、その時、私がお願いしたのは、ホームゲームは地元新聞社が取材して伝えてくれる。でもビジターの試合は結果しか載らない。それはファンとしては寂しい。自分は応援で四国中を回っているので、Twitter(X)で情報発信してファンに詳細も伝えたい。弓岡監督にもツイートしてもらい、試合の感想をコメントしていただけませんか、とお願いしました。無理を承知のお願いでしたが、快く引き受けてくださいました。そういう律儀なところも魅力ですし、素晴らしいなと思います。球団は嫌がっているかもしれませんけど(笑)」

応援歌の歌詞が書かれた選手の顔写真入りのボード 応援歌の歌詞が書かれた選手の顔写真入りのボード

■グラウンドでふるまわれた猪鍋

もうひとつ、こんなエピソードも教えてくれた。

「選手たちがまだ寒い自主トレの時期、ドラム缶に折れたバットを燃やして焚き火をしてました。近所の倉庫に廃材があったので、弓岡監督に『薪、用意しましょうか』と言うたら、『おお、助かるな』と喜んでくれた。運んできたら『4〜5年分あるかもしれんな』と言うから、私は『この薪がある間は監督をやってもらわないかんねんけど』と言いました。そしたら『う~ん、やらないかんかな』言うてくれたのがすごく心に残っています。まだ薪は残っているので、もうしばらく愛媛で監督してくれると思っています」

練習が終わったあと弓岡に、山本さん、千葉さんと話したことを伝えた。

弓岡は「1人、2人のファンかもしれないけど、あんなんして毎日来てくれる。ありがたいことです」と答え、こう続けた。

「温泉は、最近は選手が来るからあんま行かんようになったけど、前は家では風呂に入らず通っていた。地元の人と触れ合って『頑張ってくださいよ』と言われることが一番うれしい。最初に監督をした時、応援してくださっていた方が昔の友達いっぱい呼んできて、グラウンドで猪鍋を振る舞ってくれたこともあった。『今日はみんなで焼肉行くぞ』って、選手全員を招待してくださった方もいた。

独立リーグのチームにとって、地域密着は一番大事。オフシーズンに選手が児童の登校の見守り隊をしたり、野球教室をしたりね。そういう活動を常日頃しているから、地元の人たちも応援してくれるのだと思う」

愛媛MPは野球以外にさまざまな社会貢献活動に注力し、地元のファンとの絆を深めている 愛媛MPは野球以外にさまざまな社会貢献活動に注力し、地元のファンとの絆を深めている

NPB球団ならば、そこまで地道な社会貢献活動は求められない。本業の野球に注力し、結果を出すことでファンも喜び、お金もついてくるからだ。一方、収入源に乏しく、広告的価値も限られている独立リーグ球団の場合、野球と同じくらい社会貢献活動にも力を入れて、「公共財」としての価値を認められることで支援を受け、運営も成り立っている。それは同時に、単に経済的利益だけでは計れない独立リーグ球団の存在意義のような気もした。

取材最終日は、四国アイランドリーグplus公式戦、徳島インディゴソックスとの試合だった。「普段はただのおっちゃん」の弓岡は、鋭い目つきをした勝負師の顔でベンチに座っていた。

(第15回につづく)

■弓岡敬二郎(ゆみおか・けいじろう)
1958年生まれ、兵庫県出身。東洋大附属姫路高、新日本製鐵広畑を経て、1980年のドラフト会議で3位指名されて阪急ブレーブスに入団。91年の引退後はオリックスで一軍コーチ、二軍監督などを歴任。2014年から16年まで愛媛マンダリンパイレーツの監督を務め、チームを前後期と年間総合優勝すべてを達成する「完全優勝」や「独立リーグ日本一」に導いた。17年からオリックスに指導者として復帰した後、22年から再び愛媛に戻り指揮を執っている

会津泰成

会津泰成あいず・やすなり

1970年生まれ、長野県出身。93年、FBS福岡放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球、Jリーグなどスポーツ中継を担当。99年に退社し、ライター、放送作家に転身。東北楽天イーグルスの創設元年を追った漫画『ルーキー野球団』(週刊ヤングジャンプ連載)の原作を担当。主な著書に『マスクごしに見たメジャー 城島健司大リーグ挑戦日記』(集英社)、『歌舞伎の童「中村獅童」という生きかた』(講談社)、『不器用なドリブラー』(集英社クリエイティブ)など。

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