「半世紀以上前でもできたことだから、既存の技術や部品を組み合わせれば民間の限られた資本でも可能なはず」と語る袴田氏 「半世紀以上前でもできたことだから、既存の技術や部品を組み合わせれば民間の限られた資本でも可能なはず」と語る袴田氏

アポロ計画の終了から半世紀を経て、再び活発化し始めた各国の月面探査競争。今年NASA主導のアルテミス計画では月への有人飛行を予定しているし、JAXAの小型月着陸実証機・SLIMも、早ければ1月中に月面着陸に挑戦する。

一方で、イーロン・マスクのスペースXなど宇宙ベンチャー企業の存在感も増している。そんな月面探査レースの先頭をひた走る宇宙ベンチャー企業が、なんと日本にあった。昨年の失敗、そして今年の再挑戦について、代表取締役CEOの袴田武史(はかまだ・たけし)氏を直撃した。

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■民間初の月面着陸、再挑戦へ!

昨年、インドの無人月探査機チャンドラヤーン3号が世界で初めて「月の南極」への着陸に成功するなど、アポロ計画の終了から半世紀を経て、再び活発化し始めた各国の「月面探査」競争。

今年はアメリカのNASA(アメリカ航空宇宙局)が主導する国際プロジェクト「アルテミス計画」の一環としてアルテミス2号が打ち上げられ、4人のクルーを乗せた新開発の宇宙船・オリオンが月に向かう有人飛行を行なう予定だ。

また、日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)が「精度100m以内のピンポイント着陸」を目指した小型月着陸実証機・SLIMも、早ければ1月20日に月面着陸に挑戦するという。

一方、イーロン・マスク率いる「スペースX」や、アマゾン創業者のジェフ・ベゾスが立ち上げた「ブルー・オリジン」などの民間宇宙ベンチャー企業も、アルテミス計画などで使われる独自のロケットや「ランダー」と呼ばれる月着陸船の開発を着々と進めている。

そうした中、今年、注目したいのが、民間企業として初の月面着陸に挑む日本の宇宙ベンチャー企業、ispaceだ。ispaceの創業者でCEOの袴田武史氏はこう語る。

「私たちが取り組んでいる民間の月面探査プログラム『HAKUTO-R』のミッション2として、今年の冬に、ランダー『RESILIENCE』(「再起、復活」の意)が月面への着陸に挑む予定で、現在その準備を進めています。

今回は子会社のispace Europeが開発したマイクロローバー(小型月面探査車)も搭載し、月面の砂の採取を行なう計画です」

2023年4月、ミッション1のランダー(月着陸船)がとらえた月面と地球。着陸には失敗したものの、10段階あるマイルストーンの第8段階まで達成し、貴重な知見とデータを得た 2023年4月、ミッション1のランダー(月着陸船)がとらえた月面と地球。着陸には失敗したものの、10段階あるマイルストーンの第8段階まで達成し、貴重な知見とデータを得た

ちなみに、ispaceといえば、昨年4月に民間企業としては世界初の月面着陸を目指したミッション1が着陸の最終段階で失敗し、巨額の費用をかけた月着陸船が月面に衝突するという苦い過去がある。

今年のミッション2でも、基本的には前回と同じ仕様のシリーズのランダーを使用するというが、今回は本当に大丈夫なのだろうか?

「ミッション1が失敗に終わった直接の原因は、ランダーのシステムが高度を誤認識したことだとわかりました。

正確に言うと、着陸船のセンサー自体は高度を正しく認識していたのですが、着陸の前、高さが5㎞ほどある月のクレーターの縁の上を通った際に、高度が一気に3㎞も増えたというデータを、着陸船のプログラムが『エラー』だと判断して、センサーのデータを活用することをやめてしまったんです。

その結果、実際には着陸船から月面まで数㎞の距離が残っていたのに、ランダーのシステムが着陸の最終段階に入ったと誤認識して、降下速度を落とすために着陸用スラスターを噴射し続けた。しかし、当然なかなか月面までたどり着かず、上空で燃料が尽きてしまったのです。

実はもうひとつ〝遠因〟があって、それはわれわれが計画の途中で、月の着陸目標地点を変更したことでした。そのほうがミッションとしての価値が高くなると判断したのですが、その際、着陸船がクレーターの縁の上空を通過することの影響を見過ごしていた。それは開発管理面のミスで、ミッション1の失敗から学んだ大きな教訓です」

だが、そんなミッション1での悔しい失敗も、袴田氏や、それを支える投資家たちは、むしろ「ポジティブな一歩」と受け止めているという。

「ミッション1では、当初から『失敗か成功か』という二者択一の単純な評価ではなく、ランダーの月面着陸に必要な10段階のマイルストーンを設定し、それぞれに成功基準を設けていたのですが、残念ながら未達に終わった『月面着陸の完了』と『月面着陸後の安定状態の確立』以外の8つのサクセスについては、すべて達成することができました。

『独自の月着陸機を開発する』という目標を定めた2017年から5年という短期間で成し遂げられた成果として、前向きにとらえています。

また、われわれを支える投資家の方々も、単にミッション1の成否だけで判断するのではなく、今年、予定しているミッション2や、その先のミッションも含め『長期的なプログラムの一部』と理解していただいているという点も重要なポイントです」

スペースXのイーロン・マスクが新型ロケットの打ち上げに失敗した際も「失敗から得た技術的な収穫は多かった」と語っているように、宇宙開発は失敗も含めて、実際に経験してみないとわからないことも多い世界。

「失敗しないこと」ではなく「失敗の原因をしっかりと分析し、その教訓を次に生かす」という姿勢と、それを見越した長期的なビジョンが重要で、「ミッション1が失敗したら終わり」では、そもそも宇宙開発ベンチャーなんて成り立たないということか。

■「アポロの時代にできたことなら」

それにしても、ispaceはなぜ「民間企業初の月面着陸」という、一見無謀とも思える挑戦を目指したのか。しかも、テスラのイーロン・マスクが立ち上げたスペースXや、アマゾンのジェフ・ベゾスのブルー・オリジンのような、巨大IT企業の莫大な資金力を背景に持つ宇宙ベンチャーとは違い、ispaceのような日本のスタートアップ企業が月面資源開発という壮大なビジネスに参入するチャンスが本当にあるのだろうか?

「われわれが月を目指した理由は、そこに〝水〟という資源がある可能性が高いとわかったからです」

袴田氏は、自身が宇宙の引力に引き寄せられた歴史を振り返る。

「『スター・ウォーズ』の影響で、子供の頃から宇宙への興味や憧れはあって、『ミレニアム・ファルコンみたいな宇宙船を造りたい!』みたいな夢を見ていたのですが(笑)、実際に大学で航空宇宙工学を学び始めて、宇宙開発にめちゃくちゃお金がかかるということがわかると、そんな大きな宇宙船を造ってもいったいそのコストを誰が出し、誰が買うのか?と思ったわけです」

しかし、袴田氏はそこで思考を切り替える。

「『宇宙開発を本当に持続可能なものにするためには、経済的な合理性が必要なんじゃないか?』と思ったんです。つまり、宇宙開発への投資が『ビジネスとしてなんらかの意味を持つこと』が必要だと考えるようになった。

そこで注目したのが〝月の水〟です。月に水が存在するなら、その水を電気分解することで酸素と水素を作り出すことができ、それらは人類が月で活動するために必要なだけでなく、宇宙船の燃料として活用できる。

そうした月の水資源の開発と活用というニーズに応えることが、宇宙開発にビジネスとして一定の合理性をもたらすのではないかと考えたのです」

ただし、2013年にispaceを立ち上げた当初は、「ローバー(月面探査車)の開発が中心で、今のように自前のランダーを開発するつもりはなかった」と袴田氏は続ける。

「われわれが最初に取り組んだのはグーグル・ルナ・エックスプライズ(GLXP)という、グーグルがスポンサーとなって、2007年から18年にかけて開催された『民間による最初の月面無人探査レース』でした。

当初はヨーロッパのチームのランダーにわれわれのローバーを載せる形で。ヨーロッパのチームの計画が頓挫した後は、最終的にはインドのチームのランダーに相乗りさせてもらう形で月を目指したのですが、そのインドのチームも資金不足でロケットを打ち上げられず、結局、GLXPは参加全チームが計画を断念して〝勝者なし〟のまま終了しました。

その過程で『本気で月を目指すなら誰かの着陸船に相乗りするのではなく、自前で月面着陸を目指すほうがいいのではないか』と考えるようになり、独自のランダーを開発するという現在の形になったのです」

だが、月面を走行する探査車を造るのと、月という重力のある天体に宇宙船を着陸させるのでは、求められる技術レベルもまったく異なるのでは?

「確かにそう考える人もいますが、同時に理解すべきなのは、今から半世紀以上前の技術を使ったアポロ宇宙船でも月面着陸ができたという点です。

もちろん、原始的なコンピューターしか搭載していなかったアポロの時代には、宇宙飛行士が自分で操縦して月面に着陸していましたが、それ以前にもアメリカやロシア(ソ連)は無人探査機の月面着陸に成功しています。

その後、50年以上もの間の飛躍的な技術の進歩を考えれば、以前は国家的なプロジェクトでしか実現不可能だったことが、今では民間の限られた資本や限られた人材でも、既存の技術やコンポーネンツ(部品)を組み合わせることによって可能になっている。

その意味で、われわれは既存の技術を組み合わせてシステムを作り上げる一種のシステムインテグレーターだと考えています。

また、かつての宇宙開発のようにすべての部品を専用で独自に開発するのではなく、既存の技術や部品を活用することで、開発スピードとコスト面での経済的な合理性も大きく高まっているのです」

■月面開発は地球に返ってくる

現在、着々と準備を進めているミッション2にもすでに複数の顧客がいるようだ。

「ミッション2では、ランダーの上部に格納したマイクロローバーが、月面着陸後に展開機構を用いて月面へ着地しレゴリス(月の砂)を採取する計画で、そのレゴリスの所有権をNASAに譲渡する契約を結びました。

ローバーに搭載するレゴリスを採取するスコップに関しては、スウェーデンの重機メーカーであるエピロック製を使用する契約を結んでいるほか、高砂熱学工業の月面用水電解装置や、月面環境での食料生産実験を目指したユーグレナの自己完結型モジュール、台湾の国立中央大学宇宙科学工学科が開発する深宇宙放射線プローブ、バンダイナムコ研究所のGOI宇宙世紀憲章プレートなどをispaceのランダーで月面へ輸送する予定です」

2024年冬に打ち上げを計画しているミッション2のランダー(月着陸船)と、搭載予定のマイクロローバー(小型月面探査車)のイメージ。ローバーに搭載されたスコップで、レゴリス(月の砂)を採取し撮影する予定 2024年冬に打ち上げを計画しているミッション2のランダー(月着陸船)と、搭載予定のマイクロローバー(小型月面探査車)のイメージ。ローバーに搭載されたスコップで、レゴリス(月の砂)を採取し撮影する予定

また、これと並行して、冒頭にも紹介した月・火星探査を目指すNASA主導の国際プロジェクト「アルテミス計画」でも、アメリカのドレイパー研究所と共に「CLPS」と呼ばれる商業月面輸送サービスで、月の裏側への物資輸送を担うことが決まっており、新型の月着陸船「APEX1.0」はispaceがアメリカに開設したU.S.本社で開発中。

さらに、経済産業省が公募した「中小企業イノベーション創出推進事業」でも、宇宙分野の「月面ランダーの開発・運用実証」というテーマでispaceが5年間、最大120億円の助成対象に選ばれ、今後ペイロード(顧客の貨物)100㎏以上の次世代ランダーの開発にも着手する予定だ。袴田氏は「将来的には500㎏を目指したい」と話す。それほど月への輸送が重要になってくるのだ。

「近い将来、人類が月面に長期滞在する時代が来るでしょう。そのためには月の資源開発や資材の輸送、エネルギーや通信などのインフラ整備などが絶対に必要で、NASAのアルテミス計画がそうであるように、これからの宇宙開発は国と民間企業がお互いをうまく利用し合うような形で進んでいくことになると思います」

その先にあるのは、月がさまざまな宇宙開発の拠点となる時代だという。

「NASAやスペースXのイーロン・マスクは『月の次は月から火星を目指す』とアピールしていて、さらにスペースXは、月での燃料補給を想定せず、地球からも直接火星に向かう計画です。

僕も人類が火星に行くことは否定しませんし、月で水や酸素やロケットの燃料が供給できるようになれば、宇宙開発の中継地点として有用だと思います。

ただ、僕らは、〝月の向こう側〟よりも〝月の手前側〟、つまり地球の周りを回る低軌道の宇宙開発における前進基地としての月の価値の高さに、より注目をしています。

月を利用することで低軌道の宇宙利用が今より効率良くできるようになり、経済的合理性が高く、持続可能な宇宙開発が実現する『シスルナ(地球と月の間)経済圏』の構築。それは地球上にいるわれわれの暮らしに、より大きな恩恵をもたらしてくれると思うのです」

そんな夢の実現のためにも、ミッション2の月面着陸成功は重要なステップとなるはずだ。早ければ、中秋の名月の頃。空に浮かんだお月さまにispaceの「HAKUTO」(白兎)が無事、舞い降りることを期待したい。

●袴田武史(はかまだ・たけし) 
1979年生まれ、東京都出身。名古屋大学工学部を卒業後、米ジョージア工科大学で修士号(航空宇宙工学)を取得。外資系経営コンサルティングファーム勤務を経て、2010年に民間月面探査レースに参加した際に日本チーム「HAKUTO」を率いる。現在は史上初の民間月面探査プログラム「HAKUTO-R」を主導しながら、月面輸送を主とした民間宇宙ビジネスを推進中。

川喜田 研

川喜田 研かわきた・けん

ジャーナリスト/ライター。1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。自動車レース専門誌の編集者を経て、モータースポーツ・ジャーナリストとして活動の後、2012年からフリーの雑誌記者に転身。雑誌『週刊プレイボーイ』などを中心に国際政治、社会、経済、サイエンスから医療まで、幅広いテーマで取材・執筆活動を続け、新書の企画・構成なども手掛ける。著書に『さらば、ホンダF1 最強軍団はなぜ自壊したのか?』(2009年、集英社)がある。

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