「HSAが目指すのは、人間力を磨く“社会学校”であることです」と話す田中勉社長

介護業界の離職率は16.5%と、他の業界より高い水準にある。その理由の多くは長時間労働や低賃金といった労働環境によるものだ。(※離職率は2015年度、正規・非正規職員の合計値。公益財団法人・介護労働安定センター調べ)

だが、訪問介護や通所介護、障がい者就労支援、介護タクシーなどの福祉サービスを展開している株式会社エイチ・エス・エー(以下、HSA)は、そんな業界の逆をいく。

過去5年間の平均離職率では2.7%を記録したことがあり、残業時間は社員平均で1時間未満。給与も業界平均より高く、職員全員がやりがいを感じて働いている。

よほど優秀な人材を集めているのだろうか? そうではない。HSAは「当社で働きたい人はすべて採用する」方針を持っており、中には入社時点で読み書きもろくにできない若者もいるという。彼らは皆、働きながら優秀な人材に育っていくのだ。

これだけ書けば、かなりの“まっとうな会社”に思える。だが、田中勉社長は「いやぁ、まっとうな会社じゃないです。僕が関心あるのは『組織づくり』。いかにすれば、社員自ら、もっともっと前向きに仕事に取り組める組織が作れるかをいつも考えています」

●サラリーマン時代、「ノルマの先には何もなかった」

90年代までは、いわゆるやり手のサラリーマンだった田中社長。自動車関連や大手広告代理店の子会社に勤め、会社から示された売り上げノルマは必ず達成。そのためには長時間労働は当たり前で、がむしゃらに働き続けた。

だが、ある時、部下のひとりにこう尋ねられたという。

「こんな状態が一体いつまで続くんですか?」

その発言に対し、田中さんはこう一喝する。

「何言ってんだ。これが仕事だ!」

だが、この問答がいつまでも頭に残った。思わずそう言ってはみたものの、「なんの答えにもなっていない」と感じていたのだ。仕事をすることで会社や顧客がこうなるとのビジョンを示すべきなのに、それを持ち得なかった自分が情けなかった。

“ノルマを追うだけの仕事の先に何があるのか?”

それからは自分の働き方を見つめ直し、その答えを探し求めるように著名人のセミナーや自己啓発セミナーに積極的に参加する。

だが、役には立たなかった。セミナー自体はとても刺激的で、その時は感動し、涙も出る。だが涙のあとには「で、自分は何をするの?」と疑問を抱くばかり…。

次に田中さんは大きな書店の社会学コーナーを回り、今まで読んでいない本を片っ端から読んだ。そこで痛感したのは、社会をあまりにも知らなさ過ぎたということ。ビジョンもなく、ただただ上司に課されたノルマに心身を傾ける自分を突きつけられた。

そして、“社会のためになる会社をつくろう”と決心することになる。

1999年、顧客と直接関わるサービス業に照準を絞り、在宅マッサージ事業を開始。社員は自分を入れて3人だけ。そしてすぐに転機がやってくる。この翌年から介護保険制度の導入が決まったことで、利用者からも介護保険を利用できるサービスはないものかとの問い合わせが続いたのだ。

社長は無給!?

そこから冒頭のような多岐にわたる福祉サービスを展開することになるのだが、今では従業員の給料も業界では「上」クラス。たとえば、業界内でのケアマネージャーの平均年収は360万円前後だが、HSAでは入社2年目の35歳職員で約421万円。それでも毎年、黒字経営を続けている。

現在に至るまで、いかにしてこれほど優良な企業に育ったのかーー。

●決定権は社長ではなく社員にある

HSAは創業から赤字になったことはないが、最初の3年間、会社を軌道に乗せるため、田中さんは無給だったという。生活はサラリーマン時代の貯金を原資にアパート経営や投資で乗り切っていた。

今は社長としての給与を得ているが、話を聞くと、これもいつゼロになってもおかしくないという。

「ウチでは、会社の利益に対し社長のサラリーは何%と決められているんです。だから赤字だったら僕のサラリーはゼロになる。でも、社長が無給であっても、必要な事業であれば必ず成立する、維持できる。それでいいと思っています」

HSAの特色のひとつは、社長自身に決定権がないことだ。

決定権は役員5名で構成する「最高経営会議」が持つ。ところが、そこに田中社長の名前はない。事業内容を決めるのは社長ではなく、社員なのだ。

「ウチでは社長はトップではありません。トップは『基本理念』です。日本でいえば、憲法の下に天皇も総理大臣もいる。ウチもそうです。憲法に該当する『基本理念』に社長の僕も従うんです。それが本当の民主主義です」

その基本理念にはこう書かれている。

『理念の前では皆平等、多様な才能と自由な議論』

「HSAが目指すのは人間力を学ぶ『社会学校』であることです。お互いが仕事を通じて人間力を高めていける会社。働く人が“生きがい、働きがい”を感じられる会社づくりをしていきたいと考えています。

人が成長するのは『できないことに挑戦するとき』や『考えの違う人にであったとき』です。今できることだけをやっていたら、成長などありません。できないことをやるからこそ、成長できます。変わるからこそ、成長できます。自分と同じ意見を持った人同士が固まっていたら成長はできません。

価値観の違う人を否定するのではなく、理解しようと努力し、意見を交わすから成長できるのです。HSAはそんな変化と多様性を大切にできる『社会学校』を目指しています」

事業内容を決めるのは社長ではなく、社員

HSAの高齢者デイサービスの様子。介護事業者にありがちな、職員がバタバタ走り回る姿はない。ゆとりを持って仕事をしているのが印象的だった

この基本理念からも窺えるように、最低限の指示以外、従業員への押し付けも一切ない。田中社長がいうところの『選択制民主主義』がすべてに優先する。ただ、事業立ち上げなどに決定権がない田中社長が唯一、手掛ける仕事がある。新人研修だ。

「ウチは研修や勉強会が通年にわたりびっしりとあります。マナー接遇から発達障害の方、障がい児への対応、車いす操作…さらには感染症や認知症、介護保険に関する知識まで新人研修でしっかりと見につけてもらいます。それを吸収しなければ、到底、一人前にはなれません。また、新人はデイサービスや老人ホームなど全現場を回りながら、9ヵ月に及ぶ研修を受けますが、僕はそこで『選択制民主主義』を教えます」

選択制民主主義とは何か? そう尋ねると「簡潔にいえば、『自己決定』。自分で選んで決めてくれということです」。

例えば、研修が終わる。そこでどの部署で働くかを決めるのは会社ではない。本人だ。その部署でどういう仕事をしたいのか、そのために何が必要かを表明するのも本人である。

というのは、社長に決定権がない以上、それぞれの事業での計画立案はすべて各事業部に一任されている。大きな部署では管理職以上のスタッフのみがそれに携わるが、小規模な施設などの小さな部署ではパートスタッフまで巻き込んで計画を立てているという。

「新規事業の立ち上げも、スタッフ自らが3名の賛同者を集めて発案して、かつ実行できる制度があります。最終的なOKが出れば、コンサルタントを入れるなどして本人たちが実行に移します。失敗したら? その時は会社が責任を持ちます」

もちろん、全員が正社員として入社するわけではない。むしろ、小さい子供がいる女性など、パートスタッフとして働く職員が多数派だ。そこで、非正規職とはいえ、本人のできることに合わせて時給が上がる仕組みを用意している。例えば、「マイスタープログラム」という研修制度に参加することでグレードが上がり、時給も上がる。

一例を出せば、マナー接遇や移乗・移動介助など、約半年間の研修を受けたあと、昇給テストが行なわれ、その判定で賃金の改定がなされる。また、正社員に空きが出たら、内部募集を掛ける。昇給テストも社員募集も、受けるかどうかはパートスタッフの自由だ。

なぜ、選択制民主主義にこだわるのか?

「逆に、社長の号令の下、皆が一糸乱れずに働くのがまっとうかといえば、僕は違うと思う。そもそも『一致団結』って重いじゃないですか。元々、考え方の違う人たちが集まっているのが会社なのに、それを強引に一致団結で束ねるのは疲れます。だったら、みんなで違う意見を出し合って、自分の希望を伝えて、とことん話し合えばいい。それで悪い結果が出るはずがないんです」

実際、HSAではどんな事業でも多数決は採らない。会議で「全員一致」するまで議論して方針を決めている。これも「基本理念」通りである。

(取材・文/樫田秀樹)

●後編⇒「来るもの拒まず」の採用方針で離職率は2%台。劣悪な介護業界で異彩を放つHSAの魅力とは

■企業DATA企業名:株式会社エイチ・エス・エー 所在地:神奈川県小田原市 設立:1999年 従業員数:283名 主な事業:介護、障がい者就労支援、福祉タクシー、障がい児デイサービス