集英社新書より上梓された『ダメなときほど「言葉」を磨こう』

70年代後半から80年代にかけて『欽ちゃんのどこまでやるの!』『欽ドン! 良い子悪い子普通の子』などの冠番組で合計視聴率が100%を超え、「視聴率100%男」の異名を取ったコメディアンの萩本欽一こと“欽ちゃん”。数々のタレントや構成作家を育て、芸能界でも「大将」と呼び、慕う人は多い。

そんな欽ちゃんが、仕事をする上で最も大切にしているのが「言葉」だという。曰く、「言葉遣いで仕事ができるヤツかどうかわかる」とのこと。そして、欽ちゃんが出演者を決めるオーディションで、必ず聞く質問があるという。それによって「才能」があるか、「伸びしろ」があるかわかるのだそうだ。

それは一体どんな「言葉」なのか? 本人に直撃した。

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―6月に上梓された『ダメなときほど「言葉」を磨こう』(集英社新書)には、何気ないひと言により人生が好転するといった内容が書かれています。

萩本 そう、人生って人とのつき合いで成り立っているから、言葉ってすごく大切。言葉によって、運も左右されるんです。誰でも一生のうち幸運と不運は50%ずつやってくる、というのが僕の持論だけど、言葉の使い方に気をつけている人は幸運の量がちょっぴり多くなる。

いい言葉には思わぬ幸運を手繰り寄せたり、人生をガラッといい方向に変える力があるんですよ。逆にいえば、言葉の選び方を間違えると、人に嫌われたり、仕事でしくじったり、不運のほうが多くなっちゃう。

―言葉の大切さに気づいたのはいつ頃ですか?

萩本 小学校の高学年になって、疎開先から東京の下町に戻ってきた時。近所に強烈なガキ大将がいたので、いじめられないよう必死でいい言葉を探したんです。子供同士で二手に分かれて遊ぶんだけど、ガキ大将のグループに入らないとひどい目に遭うから、どう言えばガキ大将に気に入られるかを考えなくてはいけない。

今思うと、あの時期に「ヨイショ」が身についたんだろうね。ヨイショというのは、言葉で人をいい気持ちにさせる術。だけど、心にもないことを言ったらダメ。1度はごまかせても、ウソは必ず見抜かれます。声のトーンや語尾に気持ちが出ちゃいますから。

そこで必要になるのは、相手の表情をよく見ること。顔にはその人のすべてが表れるんです。心にもない言葉を口にすると、目が笑っていなかったり、口元に緊張が見えたりする。手ぶりや歩き方で本当の感情がわかることだってある。表情やしぐさには、口に出せない言葉が隠されているんだよね。それも観察しながら相手の気持ちを考えると、ウソにならない範囲で相手を喜ばせる言葉が選べるようになるんじゃないかな。

―子供の頃から相手の気持ちを考えて言葉を選んでいた欽ちゃんは、高校卒業後に浅草の劇場でコメディアンの修行を始めた時には、すでに言葉遣いの達人?

萩本 とんでもない! 元々、僕は気が弱くて怯える体質だし、極端なあがり症でね。舞台に立つと声は震えちゃうし、先輩たちから「ダメだな、おまえは」「才能のかけらもないな」と言われても、心の中で「そうです、僕はダメです。才能もないです」と言い返しながら、ひたすら努力するしかなかった。修業時代は言葉の遣い方なんて、考えるゆとりもなかったですね。

僕が入った浅草の劇場では、どちらかといえば言葉より身体の動きで笑わせる軽演劇を上演していたんですけど、台詞も動きも僕には全く才能がなくてね。毎朝、誰もいない舞台で大声を出したり、リズム感を磨くためにジャズドラムの練習を続けているうち、少しずつ周囲の人が認めてくれるようになったんです。

あの言葉は確実に僕の人生を好転させた

―コント55号で大ブレークする前にそんな「我慢」の時代があったのですね。

萩本 そう、我慢って大事。言葉にしたって、我慢せずに感情をそのまますぐに表すと、乱暴な言い方になったりするでしょ。バンと人がぶつかってきた時、「バカヤロー!」と怒鳴ったら、「バカはそっちだろう!」とか「テメエがもたもたしてるからだ!」というイヤな言葉しか返ってこない。我慢しないで発した言葉からいい言葉が導かれることはないんです。そんなときは、「あ、ごめんなさい」とひと言添えると、相手も「いやいや、こっちこそすみません」って言葉が自然に出てくると思うんです。

だから賢くて自信がある人より、怯える人、気の弱い人のほうがいい言葉が返ってくる確率が高い。相手より一歩下がった目線で見るから、観察力がつくし、我慢も覚える。そういう人は、人生の節目で必ず誰かの素敵な言葉に出合えるんです。

―欽ちゃんにも人生を変えるような言葉との出合いがありましたか?

萩本 何回もありました。ひとつだけ言うと、コント55号で世間に知られるようになった頃、アメリカへ拠点を移そうと思ったことがあったんです。日本で成功したからアメリカでもコメディアンとして成功したいと本気で思って、日本テレビのディレクターだった井原高忠さんに打ち明けたら、やんわりと無謀な僕を諫(いさ)めてくれた。

「欽ちゃん、アメリカで誰か呼んでくれる人がいるの?」と聞かれたので、「いや、いないです」と答えると、こう言ってくれたんです。「えっ、呼んでくれる人もいないのに行くの? アメリカってね、世界中の選りすぐりを呼んでいる国。呼ばれてもいないのに行くと苦労する国なの」。

言葉の選び方がうまいでしょ? 普通の人なら「いきなり行ってもダメ!」って言うところを遠回しに諭(さと)してくれた。井原さんはさらに「欽ちゃん、まず日本でTV番組を作ったらどう? 素晴らしい番組を作れば、向こうから呼んでくれるよ」と言ってくれたので、僕は発奮して『欽どこ!』や『欽ドン!』を作った。それで新しい道が拓(ひら)けたし、あの言葉は確実に僕の人生を好転させた言葉のひとつですね。

(取材・文/浅野恵子)

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