2013年11月、国会周辺の公道で自動運転車に試乗した安倍首相。これをきっかけに道交法の運用が大幅に変更され、公道での実験が積極的に容認された。

前回配信記事(「技術と人間のジレンマ」「技術が進歩するほどシステムに依存する」)では、主にアメリカで3月に起きた自動運転中の2件の死亡事故を検証し、技術が向上すると人間がシステムを過信してしまうジレンマについて触れた。

では、実用化に向けた法整備の現状、そしてニーズはどこにあるのか。今回はより現実的な目で社会における自動運転のあり方に踏み込んでいく!

■イノベーション優先の「サンドボックス」

実用化に向けて、日米欧で激しい開発競争が続く「自動運転車」。しかし、今年3月にアメリカで立て続けに起きたウーバーとテスラの「死亡事故」は、最新技術の粋を集めた自動運転車の課題を示すとともに、なんらかの理由でシステムが正常に機能しなかったとき、人間がその状況に対応することの難しさを、あらためて浮かび上がらせた。

そして前回配信記事でも触れたように、こうした事故は決して「海の向こうで起こった人ごと」ではない。

なぜなら事故を起こしたウーバーの車両のようなレベル3以上(運転操作は基本的にシステムが行なう)の高度な自動運転の実証実験は、すでに日本各地の公道で行なわれているからだ。

それどころか、最近では遠隔での監視を前提に、人が運転席にすら乗らない「レベル4の無人自動運転車」の公道実験も解禁されている。

「日本政府はここ数年、『自動運転の研究開発』を成長戦略のひとつと位置づけ、内閣府のSIP(戦略的イノベーション創造プログラム)などを中心に産官学が一体となって進めてきました。その結果、自動運転の公道実験が、“世界で最もやりやすい国”と言われています」

そう語るのは、今年3月に新設された「明治大学自動運転社会総合研究所」の所長で、自動運転に関わる法整備の問題に取り組んでいる、同大学法科大学院の中山幸二教授だ。

「公道実験をめぐる状況が大きく転換したのは2013年末からです。その年の11月、安倍首相自ら国会周辺の公道でトヨタ、日産、ホンダの自動運転車に試乗するというデモンストレーションを行ないました。

それ以前は、たとえ自動運転の実験であっても、『手放し運転は違法』だというのが警察の見解でした。そもそも道路交通法70条では、ドライバーがペダルを踏み、ハンドルを操舵(そうだ)しなくてはならないと定めているからです。ところが、あの『安倍首相の試乗』を境に状況は一変します。それも、道路交通法などの法律が改正されたのではなく、法律の『運用』を大幅に変えるという形で、自動運転車の公道実験を積極的に容認する方向に舵(かじ)を切ったのです」(中山氏)

こうして法律は変えなくても、公道での実験は堂々とできるようになったわけだが、もちろん「野放し状態」だったというわけではない。

2016年には自動運転車の公道実験に関する最初の「ガイドライン」が警察庁によって策定され、実験を行なう主体(自動車メーカー、IT企業、大学の研究室など)や車両が安全基準を満たしていること、問題が起きた際に運転席にいる監視役のドライバーが対応することなどの基準が設けられた。現在、国内で行なわれている公道実験の多くはこのガイドラインに基づいている。

ただし、これはあくまでもガイドラインであって法的な拘束力はないという。前出の中山教授が説明する。

「極端に言えば、先ほどお話ししたように運用の一部を変えた道路交通法や道路運送車両法をしっかりと守ってさえいれば、たとえ実験内容がガイドラインに沿っていなかったとしても、公道で行なうことは可能なのです。

昨年6月には、さらに踏み込んだガイドラインが策定され、遠隔で車両を監視することなどを条件にした無人自動運転車の公道実験が可能になりました。すでに国家戦略特区などの特区制度を活用する形で、この指針に基づいた実験が始まっています。

こうした動きは仮想通貨やフィンテックといった分野とも共通する話ですが、自動運転のような新しいテクノロジーは従来の法律の枠組みに収まりません。そこで『サンドボックス』といって法律の運用に一定の柔軟性を持たせ、まずは砂場遊びのように実験してみようというイノベーション優先の考え方が政府の成長戦略会議などでは示されています」(中山氏)

法整備の議論はどこまで進んでいるのか?

■現実的なニーズはラストワンマイル

では、こうして自動運転の実験環境が前のめりで整うなか、ウーバーのような事故や、将来市販される高度な自動運転車が事故を起こした場合、責任を負うのはメーカーと所有者のどちらになるのか? この点も、自動運転車をめぐる課題のひとつとされているが、法整備の議論はどこまで進んでいるのか?

中山氏によると、事故の損害賠償など「民事上」の責任については基本的に「所有者」にあるという方向で検討が進んでいるという。

「まずは、すべてのクルマが加入を義務づけられている自賠責(自動車損害賠償責任保険)を生かす形で、民事上の責任を所有者が負うことになり、それでカバーできない部分については任意保険を適用するという考え方です。ちなみに、自動運転の公道実験を対象にした保険はすでにいくつかの保険会社が販売しています。

もうひとつはPL法(製造物責任法)の適用で、事故の原因が自動運転車の欠陥にあったことが証明されれば、自動車メーカー、あるいは欠陥のあった部品のメーカーが賠償責任を負う可能性はあるでしょう」

さらに中山氏が続ける。

「『刑事責任』については、まだあまり議論が進んでいないのが現状です。自動運転中の事故について、ドライバーに刑事責任を負わせることは考えにくいと思いますし、メーカーに負わせるにしても『明らかな欠陥があることを知りながら放置していた』といった事実でもない限り、企業やその経営者、開発担当者の刑事責任を問うことは難しいかもしれません。

いずれにせよ、自動運転車の実用化に向けた法整備がこれからの重要な課題であることは間違いありません。私たちも『模擬裁判』などを通じて、さまざまな角度から問題点を検証しているところです」

こうした課題とは別に、「そもそも近い将来、自動運転車は本当に普及するのか?」「そして社会は自動運転車を必要としているのか?」という疑問も湧いてくる。

普及という点で、大きな壁なのが「コスト」だろう。レベル3以上の自動運転車には、一基数百万円から1千万円ほどする「LiDAR(ライダー)」など、非常に高価な装置が不可欠で、それに代わるような安価な方法は見つかっていないのが現実だ。

もちろん、高度な自動運転車が大量生産されるようになればハイテク装置の価格も、ある程度は下がることが期待される。とはいえ、今の技術の延長線上で市販化を目指す限り、目の玉が飛び出るほど高価なクルマになるのは避けられそうにない。

そこで近年、自動運転車の現実的なニーズとして注目されているのが「ラストワンマイル」(目的地までの最後の一区間)だといわれている。自動車ジャーナリストで、SIP自動走行システム推進委員会の構成員でもある清水和夫氏が語る。

「自動運転を安全面だけで見てしまうと、出口のない議論になっていきやすいと思うんです。今、日本において自動運転技術の活用が期待されているのは、地方が抱える大きな課題のひとつである『モビリティの確保』です。

高齢化が進んでいる地域では、運転ができなくなった、あるいはクルマを持っていないお年寄りたちが移動手段を失っています。ほかにも、地方自治体の財源不足や人手不足で公共交通を維持することができなくなったり、観光資源があっても交通の便が悪いなど抱える事情はさまざまですが、それらが地方を衰退させる要因になっています。

そうした地域に、無人で走る完全自動運転のバスやタクシーなどを走らせて、ラストワンマイルの移動手段として活用するのです。こうして移動の自由が確保できれば、地域における活性化につながり、その波が社会全体に広がることも期待できる。すでに、こうした活用を前提とした自動運転の実証実験は日本各地で行なわれています。

また、高度な自動運転が実用化されればクルマは個人で所有するのではなく、複数の人で共有する『シェアリング』が中心の社会へと大きく変わる可能性もある。その意味で自動運転の技術は、将来的に『クルマと人間と社会の関係性そのものを大きく変える』かもしれません」

◆後編⇒ウーバー死亡事故の実例から自動運転をどう受け入れるか? クルマ社会の『カオス』状態は続く!

(取材・文/川喜田 研 取材協力/平岡敏洋[名古屋大学] 写真/時事通信社)