ぜんち共済の榎本重秋社長

障がい者とその家族のために、個人賠償、入院、死亡などを幅広くカバーする保険を取り扱うぜんち共済。社員17人という小規模な会社だが、障がい者に特化した日本唯一の保険会社で現在、契約数は4万3千件を超えている。

だが、ここまでに至る道のりは茨(いばら)の道だった。

保険事業者として登録してもらうための金融庁との折衝は1年以上に及び、同時に榎本重秋社長が会社の設立資金の金策で全国を奔走するもうまくいかず、その間、職場では社員同士の関係が悪化、みるみる険悪な雰囲気に包まれていったという。

休みナシで働いてもすべてがうまくいかない日々に、ふと「電車に飛び込もうかな」との思いが頭によぎるほど追い込まれていた榎本社長。だが、それを踏みとどまらせてくれたのは、脳裏に浮かんだ障がい者やその家族の顔だったという。

その後、新たな出資者が現れ、起業に必要な資金を確保すると事態は好転。2008年2月に保険業者としての登録が下り、2ヵ月後には『ぜんちのあんしん保険』の販売を開始した。そして、榎本社長も中小企業の経営者が集って研さんをする神奈川県中小企業家同友会や、社会保険労務士の小林秀司氏が主催する人本経営実践講座の「人を大切にする経営」を学んだことで考えを一新、「社員を大切にしよう」と誓う。(前回記事参照

その後の会社作りで特に重視したのが、社員ひとりひとりときちんとコミュニケーションをとることだったという。その結果――。

現在、ぜんち共済には17人の社員がいる。その多くは20代から30代だ。保険金支払いの可否を判断する査定統轄部の安齋正明課長(38歳)は2013年に入社した。

長年、FXを扱う投資会社に在籍し、残業に次ぐ残業に加え、社命をこなすだけの毎日を過ごしていた。だが、当時の安齋さんにすれば、それは「当たり前」。一身上の都合で退職した頃、妻が42歳で妊娠。高齢出産では障がいのある子どもの出生率が高まると聞いていたため、障がい児についてインターネットで調べた。そこで行き当たったのが、ぜんち共済の求人募集。保険業務は未経験だったが、「素晴らしいことをしている」と業務内容に賛同し、すぐに応募したという。

ぜんち共済の入社試験は適性検査と面接だけ。面接で重視するのは求職者が会社の経営理念に賛同しているかどうか。そして、お互いが「一緒に働きたい」と思うかどうかだ。果たして、入社して「正解でした」と安齋さんは振り返る。

その最大の理由は「風通しの良さ」にあるという。「前の会社では自分の意見なんて言ったことがありません。上からの指示で動いていただけでした。でもここでは自分の提案が遠慮なく言えるし、通る。それが仕事に反映されるから手応えがあるんです」

社員が「社長から大切にされている」

査定統轄部の安齋正明課長

ぜんち共済では、年度初めに経営指針を作成する際に、各部が部の事業計画と社員個人の目標を明記する「目標管理シート」を提出する。安齋さんは「保険金支払い業務の一部を外注しているが、今後はすべて当社でやる」ことを目標に掲げた。目標管理シートに書かれた目標については、上半期で見直し、下半期で総括をしてその後の方向性を決めるという。

また、これに限らず日常の業務で気づいたことは上司や社長に提言することも奨励されている。

今、安齋さんが気になっているのは書類の多さだ。これが事務作業を煩雑にすることがある。その対策のひとつとして「加入申し込みをウェブで受け付けましょう」と提案したところ、それが通ったという。

さらに、榎本社長が社外にいたり、会議中などで社員と話せない場合でも、用事や提案を随時やりとりする「トークノート」という社内SNSが構築されている。

例えば、「亀チャン、明日引っ越しなんだって! みんなで何かお祝い贈る? 安藤さんと相談してみて!」「了解しました!」「会議中にありがとう!」といった簡単なやりとりが、スマホ画面を通して社長と社員とで日常的に交わされているのだ。

こうした職場の風通しの良さが評価され、ぜんち共済は2017年に「第3回ホワイト企業大賞 風通し経営賞」を受賞している。

もうひとつ、安齋さんが「入社してよかった」と思う理由は「社員が大切にされている」と実感できること。一例として、この会社は残業が少ない。

17人しかいない会社だから、自分の担当業務だけではなくウェブ戦略を担うこともあれば、現場に出て障がい者の家族と話し合うこともある。だが意外にも、残業が発生するのは書類作成で忙しくなる年度初めや新商品の発売時期に限られるという。

実際、榎本社長は「残業がない会社」を目指している。具体的には、人材を採用し、業務の一部を外部委託するなどして社員の負担を極力減らすことに努める。

「やはり、仕事も大切にしてほしいけど、家族との時間も大切にしてほしいんです。だから子供の入学式や卒業式など、家族の重大イベントの日は私から率先して休みますし、社員も休んでいます」(榎本社長)

今では離職率も低いが、リストラもしないと決めている。営業統轄部主任を務める田平恵美子さんも「社長が社員を大切にしている」と感じたエピソードがある。

「以前、ある営業担当の社員が母親の介護のために実家のある兵庫県に戻らなければならず、退職もやむを得ないという思いで社長に相談しました。でも、社長はそうはしなかった。当時、西日本地域の営業力が弱かったこともあり、『兵庫を拠点とした西日本担当として営業活動をしてはどうか』と提案したんです。その社員も社長の提案を受け入れ、現在も当社の営業として働いています」

採用面接で突然「お酒は飲めますか?」

社内での意思疎通に活用しているスマホのコミュニケーションツール「トークノート」の画面

他にも社員を大切にする仕掛けが用意されている。

社員ひとりひとりに「誰を大切に思っているか」を毎年書いてもらって、その人の誕生日に社長や社員からのメッセージを添えて花を届けること。さらに、結婚記念日など社員が大切と思う記念日には休暇を付与し、配偶者の出産に立ち会える「配偶者出産休暇」も設けている。

そして、榎本社長がもっとも望んでいるのは、社員同士が仲良く毎日を過ごすことだ。今シリーズの冒頭にも触れたが、5年前に安齋さんが採用面接を受けた時、突然、「お酒は飲めますか?」と榎本社長に質問された。

「あの質問は今でも忘れません(笑)。まさか面接で『お酒飲めますか』なんて想定外です。一応、『はい』と答えましたが、入社して知ったのは本当にみんな酒が強い。あの質問は、“一緒に楽しく過ごそうよ”ということだったんです」

実際、社員が思う存分、お酒を飲む機会はいくつかあるが、年に一度のビッグイベントとなっているのが、榎本社長の創業時からの念願で3年前に実現した1泊2日の社員旅行だ。費用はすべて会社持ち。この社内行事で榎本社長にとっては忘れられない瞬間がある。

「とにかく飲みまくるんですが、その中で女性社員が男性社員にヘッドロックして場が盛り上がりました。それを見た瞬間、『ああ、一体感のある社風になった』と思ったんです」(榎本社長)

かつては社内の不和に苦しんだ社長が今、本当に面白いメンバーが集まってくれたと感謝したのだ。

だが、筆者には素朴な疑問があった。ぜんち共済が“社外”の障がい者にはやさしくても、同じ仲間として迎えているのか、つまり障がい者雇用をしているのかどうか…。

それを尋ねてみると、「しています」(榎本社長)

ぜんち共済では障がい者の施設からの施設外就労や、特別支援学校の生徒が実習生として数日間働くことを受け入れ、そこから契約社員として1年単位で働いてもらうこともあるという。

もっとも、2年前に初めて発達障がいの青年を契約社員として雇用する時には「パニックになられたら大丈夫かな」との不安が社員の中にもあった。実際、その青年は他の社員と目を合わせようとせず、ほとんどコミュニケーションができなかったという。だが、仕事が彼を変えた。

「彼にはスキャニングの仕事を任せていたんです。ウチは年間で5千件もの保険事案を扱い、領収証や診断書、事故現場の写真など膨大な書類が発生するので、それを電子化する仕事が必要です。彼については、皆でフォローもしました。すると、仕事を続けるうちに自信がついてきたんですね。

そのうちに目を合わせてくれるようになりました。積極的になりました。そういった成長が嬉しくて、忘年会では彼にミニボーナスを支給しました。契約期間終了時には『コンピュータの仕事がしたい』と表明して当社を卒業したのですが、自分で送別会の会場を探したいと言って見つけてきたんですよ。送別会は盛り上がり、みんなで送り出しました」(榎本社長)

“社員幸福度No.1企業”を目指します

そして今も、軽度の知的障がいがある男性が今年2月から契約社員として働いている。榎本社長が嬉しいのは、社員が障がい者を特別扱いするのではなく、同じ仲間として普通に接していることだ。

「施設の中だけで暮らしていたら、障がい者は職員からは大切にされるけど、『自分が必要とされている』実感が持てないと思います。でもここでは、皆と同じ仲間として社会の役に立つ仕事を担うことで、人間としての自尊心が持てると思う。そこが大きいですね」

榎本社長は、たびたび障がい児の母親から就職相談を受けているが、「将来的には障がい者雇用を増やす」と決めている。…ただ、ぜんち共済にも課題はある。

国内における障がい者数は人口の約7%に当たる約860万人。つまり、ぜんち共済の契約者数約4万3千人はほんの一部だ。なぜ、実際の障がい者の数と契約者数にここまでの差が出るのか。

「ひとつには、やはり当社の周知が進んでいないことです。福祉団体に所属している障がい者はおそらく当社のことを知っています。でも、団体に所属していない障がい者とその家族には知られていないかもしれないことが問題です。

この人たちは、何かの時には親が頭を下げて自腹で弁済しているはずで、実は今日も神奈川県の障がい者の家族から電話があって『施設の備品を壊してしまい、施設から出ていってくれと言われている。弁償できないか』との悩みの相談を受けました。そうなる前に、必要な人には私たちの保険を届けたいですね」(田平さん)

ぜんち共済が果たす役目は大きい。会社には常に障がい者やその家族から感謝の声が届くが、同社のホームページにも掲載されているその一部を紹介しておこう(原文ママ)。

「重い障がいの為、保険は入れないと思っていましたが、口コミで入らせて頂きほんとうにたすかりました。入院は付き添う側も体力・気力を使い、お金も何かと出ていきます。障がいを持つ子の親はいつも体調の変化に注意しながら不安をかかえています。保険は心の支えにもなっているのです」(栃木県在住 女性)

「息子の持病のてんかんの為、他の保険会社には加入を断られておりましたところ御社の保険を知り、本当に良かったと思います。今回はてんかん以外の入院・手術でお世話になりました。保険に入ってなかったら今頃どうなっていたかと思います」(京都府在住 女性)

田平さんや安齋さんら社員は皆、これらの声に支えられているという。榎本社長がこう締めくくる。

「人間は、誰か人のお役に立っていることで幸せを感じることができます。私が目指すのはまず社員が幸せになることです。社員を大切にしてこそ、お客様に優しい会社になれるし、そのお客様から必要とされている存在となることでまた幸せを感じることができる。

当社は100年先も社会の発展に大きく貢献するため、誇りと働きがいのある“社員幸福度No.1企業”を目指します」

(取材・文/樫田秀樹)