「14年にトヨタが勝っていたら、彼らはル・マンの本当の奥深さ、難しさを知らないまま、てんぐになっていたかもしれない」と語る世良耕太氏 「14年にトヨタが勝っていたら、彼らはル・マンの本当の奥深さ、難しさを知らないまま、てんぐになっていたかもしれない」と語る世良耕太氏

伝統の一戦に挑むこと実に20回、今年6月16日から17日にかけて行なわれた「ル・マン24時間レース」(フランス・サルトサーキット)で、トヨタが悲願の初制覇を成し遂げた。

2012年から始まったハイブリッドエンジンでのトヨタのル・マン参戦。そのプロジェクト発足から取材を続けてきた、モータースポーツジャーナリストの世良耕太(せら・こうた)氏が『トヨタ ル・マン24時間レース制覇までの4551日』(三栄書房)を刊行。トヨタが栄冠を手にするまでの舞台裏を聞いた。

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―トヨタ優勝から、わずか3週間余りでのスピード刊行。こちらもレーシングカー並みの速さですね。

世良 さすがに「今年は勝つだろう」と思っていたので、その前提で書き進めていました。

トヨタのハイブリッドによるル・マン挑戦のプロジェクト自体は12年前から追い続けていて、それを一冊の本にまとめようというアイデアは昨年頃からあったんです。というか実は、前回のル・マンでトヨタが勝つとばかり思っていたので、本当だったらすでに刊行されているはずでした(笑)。

ところが、昨年のル・マンでトヨタは勝てなかった。その結果、さらに1年分の「挑戦」の過程を盛り込まなきゃいけなくなり、昨年の段階より本が厚くなっちゃいました。万が一、今年も勝てなかったら発売はもう1年先延ばしで、さらにページ数が増えてしまうから、今年はトヨタが優勝してくれて正直「ホッ」としましたね。

―世良さんはモータースポーツの技術解説記事でも定評のある方ですし、本書はテクニカルな話が中心かと思ったら、想像以上に「人間」に寄ったストーリーでした。

世良 そうですね。この本の冒頭にも書いたのですが、僕がトヨタのレーシングハイブリッドでのプロジェクトを追いかけてみたいと思ったのも、きっかけは「人」だったんです。

2006年にトヨタが、ハイブリッドエンジンで十勝24時間レース(北海道にある十勝スピードウェイで開催されていた耐久レース)に参戦すると聞いたときは、もちろん技術的な興味もありましたが、その後の取材を通じて、このプロジェクトの牽引(けんいん)役に元TMG(トヨタ・モータースポーツ・Gmbh)社長の木下美明(よしあき)さん、そして現在、TMG社長を務める村田久武さんというふたりの技術者がいたことが、この本を書く大きな動機になりました。

木下さんはトヨタがF1に参戦していたときから知っていて、「自動車レースは戦争だ!」と言い切る根っからのレース好きですし、一方、大学山岳部出身の村田さんは「自分はレースになんかまったく興味なかった」と言いながら、ものすごく負けず嫌いで思ったことをなんでもズケズケと口にする性格。

それにふたりとも、かつてル・マンで悔しい思いをした経験があるから、トヨタがレースでハイブリッド技術を鍛えることが世の中のためトヨタのためになる......という表向きの理由はさておき、「ともかく、ル・マンに勝ってやるんだ!」という、人間くさい部分が丸見えで面白かった。

―世の中ではなんとなく、ホンダが「レーシングな会社」で、トヨタは「お役所みたいな会社」というイメージがあるけれど、実は......。

世良 そうそう、実際にレースの現場で取材していると、意外と現実はその「逆」だったりするんですよね。木下さんや村田さんは、いわばその代表だと思います。

―そんなトヨタですが、2012年にハイブリッドでのル・マン挑戦を始めて以来、初勝利まで長く苦しい戦いを強いられましたね。

世良 僕もこのプロジェクトを追いかけ始めた頃は、クライマックスがこんなに先になるとは思っていませんでした。正直、中嶋一貴選手が日本人初のポールポジションを獲得した14年には勝てるんじゃないかと思っていた。

でも、仮にこの年にトヨタが勝っていたら、彼らはル・マンの本当の奥深さ、難しさを知らないまま、てんぐになっていたかもしれません。

初優勝までの道のりは、トヨタが想像していた以上に長かったし、険しかったけれど、マシンの技術的なハード面だけじゃなく、レースチームの運営など、その過程でトヨタが学んだことのすべてが今年につながっているんだと思います。

特に技術的な側面でいうと、同じハイブリッドでもライバルのアウディやポルシェが市販車と関連の薄い技術で構成しているのに対して、「自分たちのハイブリッド技術をレースで鍛える」ことを目的に参戦しているトヨタは自社技術での開発にずっとこだわり続けていて、ル・マン参戦へのアプローチが大きく異なるんですね。

また、ハイブリッドにばかり目が行きがちですが、トヨタの場合、ここ数年はいわゆる「内燃機関(エンジン)」の部分でも劇的な進化を遂げていて、システム全体の熱効率(一定の燃料から動力エネルギーを取り出す効率)はプリウスの40%を超える44%を達成しています。

ル・マンで得た経験やノウハウは今後、社内に貴重な財産として蓄積されハイブリッド以外も含めたすべての市販車に応用が期待できるでしょう。

―そうやってようやくつかんだビッグタイトル、ル・マン24時間での勝利は、この先トヨタのモータースポーツ活動にとって、どんな意味を持つのでしょうか?

世良 やっぱり日本のメーカーがこうして「頂点」に立って、そこからの眺めを経験したことの意味は大きいと思います。

仮にあのまま「勝てず」にル・マンから撤退していたら、トヨタはライバルたちから永遠に「対等な競争相手」と見なされずに終わっていたでしょう。

今思えば、ワールドカップの「日本対ベルギー戦」みたいな感じですが、16年に「残り5分」で勝利を逃したとき、ポルシェやアウディといったライバルたちは、そこでトヨタを初めて「本物」と認めたはずです。

ただ、村田さんは「本当の意味で世界から尊敬される自動車メーカーになるには、ル・マンで何度も勝たないと意味がない」とも言っていました。ですから、来年のル・マンできっちり連勝することができれば、その先にまた別の景色が見えてくるのではないでしょうか。

●世良耕太(せら・こうた)
1967年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、出版社勤務。自動車雑誌、F1専門誌の編集部を経て独立し、モータリングライター&エディターとして活動。主な編著に『F1機械工学大全』『Motorsportsのテクノロジー』シリーズ、『ル・マン/WECのテクノロジー』(以上すべて三栄書房)、『図解 自動車エンジンの技術』(ナツメ社)がある

■『トヨタ ル・マン24時間レース 制覇までの4551日』
(三栄書房 1500円+税)
トヨタのル・マン挑戦をプロジェクト立ち上げから追い続けてきたジャーナリストが、ふたりのキーマンを軸に、十勝24時間レースへのレーシングハイブリッドでの参戦、2012年から参戦したル・マン24時間レースでのポルシェ、アウディとの熾烈な戦い、16年の「ゴール5分前のリタイア」、そして今年の初制覇までの舞台裏を明かす