今、飛ぶ鳥を落とす勢いで、業績を伸ばしているのがボルボ・カー・ジャパンだ。ということで、絶好調の理由を探るべく、自動車ジャーナリストの塩見サトシがボルボ・カー・ジャパン代表取締役社長・木村隆之氏を直撃。その秘密に迫りまくった!
■ボルボが日本で躍進を続けるワケ
──2018年の国内新車受注台数2万台突破、2年連続日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞。社長、ギンギンに成果出まくりじゃないですか!
木村 努力が評価や台数という具体的な形になって見えてきました。
──就任後にいくつかのディーラーにやめてもらったと聞きました。理由はいろいろあったとしてもせっかくボルボを売ってくれるディーラーをやめさせるとは穏やかじゃないですね。
木村 販売成績が何年も振るわなかったり顧客満足度が低かったりといった理由で、10以上のディーラーにやめていただきました。長期的に見るとお客さまのためにならないと判断したからです。
──外国人社長がドライに通告するならともかく、日本人同士、なかなか言いにくかったのでは?
木村 そりゃ毎度大変でした。「冷血人間だ」とも言われました。ただその多くはもっと早く退場していただくべきディーラーだったと思っています。
「外国人(社長にやめさせられる)ならともかく」とも言われましたが、逆に外国人社長にはできないことです(ボルボ日本法人は本国資本になってから約30年間外国人が社長を務め、木村社長は日本人初)。
本国から派遣されてくる外国人社長は通常3、4年いて成績を上げ、ステップアップして本国へ戻るのが目標です。ディーラー数を減らすと、販売台数も減ってしまう。彼らにディーラーの絞り込みはできません。
──なるほど。
木村 当然私にとってもディーラーは大事ですが、お客さまはもっと大事ですから。
──とにかく販売単価を上げることに努めたという取り組みも印象的です。単価を上げると販売台数は減りそうですが、社長は単価を上げて台数も伸ばしました。
木村 私が就任するまで、日本法人は自社製品を準プレミアムと位置づけていたんです。上質で頑丈だがメルセデス・ベンツ、BMW、アウディほど高くない独自のポジションにあると。
私は就任初日に「このばかげた考えをやめろ。ボルボをプレミアムに引き上げるんだ」と伝えました。二極分化が著しい日本市場で"真ん中"は生き残れません。レベルを引き上げれば、うちには唯一の北欧ブランドという独自性があり、生き残れる確信がありました。
──本題ですが、昨今話題の自動車業界の関心事について社長のお考えを教えてください。まずシェアリングサービスについて。現在の「車両を購入して利用するスタイル」から「一定期間の利用に対し支払うスタイルへ」と変わっていくと思いますか?
木村 思います。例えばわれわれの家賃は毎月定額で、ほかにもいろいろ毎月一定額を支払って生活しています。クルマだけが購入、車検時に負担がどんとのしかかります。これって実は暮らしにくいですよ。
特にアメリカではクレジットカードで買い物をしますが、その代金をすべて翌月に支払うのではなく、いくら使おうと定額を支払います。
──いわゆるリボ払いですね。
木村 はい。日本人は借金を嫌いますし、リボの金利をムダと考えますが、クルマにかかる費用も定額にして生活費に組み込んでしまったほうが生活設計しやすいと思いませんか?
自動化だ、電動化だと今後劇的にクルマが変化します。3年でクルマの常識が様変わりするとなると、きっと高確率で乗り換えたくなりますよね。そういう時代にはリースやサブスクリプションといった形のほうが身動きもしやすいでしょう。
"所有から利用へ"などと難しく考える必要はなく、定額支払いという考え方がいずれ日本のユーザーにも浸透するとにらんでいます。
──日本人は購入時の大きなコストは忘れがちで、維持のための月額コストを嫌います。
木村 変わると思います。なぜならここまでの低金利時代を賢く利用しない手はありません。大前提としてお客さまのチョイスですけどね。選択肢は用意すべきだと考え、弊社も「スマボ」(頭金なし、税金・登録諸費用を組み込んだ定額支払いサービス。3年後に車検代程度を支払えば乗り換え可能)という定額サービスを用意しています。
■電動化、自動化の近未来戦略
──次に電動化についても伺いますが、その前に御社は15年にディーゼルを日本に導入しましたが、わずか2年後の17年に「近い将来ディーゼル導入をやめる」と宣言しました。いくらなんでも方針転換が早すぎやしませんか?
木村 本社の早すぎる方針転換を受けてのことです(苦笑)。本社も将来のエコ・パワートレーン・ポートフォリオの中でディーゼルを当面の重要なソリューションとして考えていたはずですが、15年に発覚したドイツメーカーのディーゼルスキャンダルが、まだまだ役割を担っていたはずのディーゼルの将来を壊してしまったのです。
──ずっとではないにせよ、まだまだ使えるディーゼルに社会的な悪者という印象を植えつけてしまったと?
木村 そうです。その現実を受け止め、本社は将来のディーゼル廃止を決断し、日本もその方針に従ったのです。
──技術的にまだ存在理由があっても、印象の悪化は打破できませんか?
木村 今、日本市場で何が起こっているかというと、弊社のV40の認定中古車のリセールバリューの落ち幅は、ガソリンよりもディーゼルのほうが大きいのです。ディーゼルの将来の価値に対する市場の不安が中古車価格として表れているということです。
──えっ、じゃ私の愛車V40ディーゼルの価格も......それはともかく、販売台数増に寄与したディーゼルを遠くない将来廃止する理由はわかりました。
ただ社長はしばしばPHV(プラグインハイブリッド)を拡充することでディーゼルの穴を埋めるとおっしゃいますが、都市部で売れる輸入車の場合、集合住宅のユーザーも多く、自宅で充電できるユーザーばかりではないと思いますが、PHVはディーゼルの代わりになりえます?
木村 PHVだけで穴埋めするとは言っていません。48Vのマイルドハイブリッドを含めた電動車戦略で乗り切ろうと思っています。
──続いては自動化について。先日BMWジャパンが「ハンズオフ機能付きの渋滞時運転支援機能を今夏にも実用化」と発表しました。ここのところ法解釈の絡みもあって各社レベル2の入り口で横並びしていたADAS(先進運転支援装備)競争が、再び激化することも予想されます。自動化については?
木村 ボルボはレベル3をやらないと明言しています。昨年のUberによる自動運転車試験中の死亡事故からもわかるように、ボルボの技術者は何か問題が起こってからドライバーに責任を戻すレベル3は限られた環境下でしか機能しないと考えています。
今回のBMWさんの発表もレベル2の範囲内でのハンズオフですよね。しばらくはレベル2の範囲内での競争が続くのでしょう。ボルボもその競争には参加します。と同時に......。
──同時に?
木村 死亡事故ゼロ時代が到来するまでの独自の取り組みとして、ドライバーの権限を一部制限する仕組みを取り入れます。
具体的には20年以降に販売する車両の最高速度を180キロに制限するほか、20年代初頭に発売する車両からドライバーを監視するカメラを搭載し、飲酒・薬物運転とみられる動きや注意散漫な動きを検知したら速度を制限したり、停止させたりする機能を盛り込みます。
──高い金を出してボルボを買ったオーナーにクルマが「今日はもう運転をやめなさい」と指令すると?
木村 これが唯一の正しいやり方だというつもりはありませんが、死亡事故を減らすために今のままではいられないという決意表明です。これを見てもボルボが深いところではレベル3を信用していないことがわかります。
■オールドボルボもビジネスになる
──ボルボ・カー・ジャパンの新車受注台数は22年ぶりに2万台を突破し、5年連続の前年超えです。社長の今後の目標はどこにありますか?
木村 顧客満足度を高めたい。それに尽きます。
──顧客満足度が高いほうがよいということはわかるのですが、顧客満足度ってどう測っているのですか?
木村 顧客ロイヤルティです。つまり、ボルボオーナーのうちどれだけの方がボルボを再購入していただいたかで顧客満足度を測っています。私が就任してから10ポイント以上上がりましたが、もっと上げたい。値引きで販売台数を増やしても利益は望めませんが、ロイヤルティを高めれば必ず利益が上がります。
またロイヤルティが高いと新車がない時期も乗り切ることができるのです。ですからこれまでもこれからも重要視する指標は台数ではなく顧客満足度です。
──最後に、本日社長は黄色いボルボP1800で颯爽(さっそう)と現れました。ああいうクラシックなボルボの取り扱いをインポーターとして始められたとか。その意図は?
木村 時計の歴史を見てください。セイコーがクオーツ時計を出したとき、あまりに正確なので機械式時計メーカーはすべて潰れると言われましたが、実際には何百万円、何千万円もするような機械式時計が売れに売れています。
電動化にせよ、自動化にせよ、クルマも高機能化が極まるとつまらなくなる。クルマは時計と違って人の命に直結していますから電動化、自動化の流れを止めることはできませんが、人々の興味も同じように移行するわけではありません。だから古いボルボもビジネスになると考えました。
本社が古いボルボのパーツ供給を続けているという大前提があるからこそ可能な取り組みでもあるんですけどね。
●ボルボ・カー・ジャパン代表取締役社長・木村隆之(きむら・たかゆき)
1965年生まれ、大阪府出身。大阪大学工学部卒業。1987年、トヨタ自動車入社。2003年、米ノースカロライナ大学でMBA(経営学修士)習得。日本でのレクサス事業立ち上げに参画。ファーストリテイリングを経て、08年に日産自動車入社。インドネシア日産、タイ日産社長などを経て退社。14年7月から現職
●自動車ジャーナリスト・塩見サトシ(しおみ・さとし)
1972年生まれ、岡山県出身。関西学院大学文学部卒業。1995年に山陽新聞社入社。『ベストカー』編集部を経て、04年に二玄社『NAVI』編集部に入社。09年『NAVI』編集長に就任。11年に独立。執筆媒体多数。ラジオやイベントの司会なども手がける。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員