空飛ぶクルマと呼ばれ、世界各国で実用化に向けた激しい開発競争が繰り広げられているeVTOL(イーブイトール/電動垂直離着陸機)。
この秋、ホンダが開発に取り組んでいることを発表し、にわかに注目を集めるが、そもそもeVTOLはどんな乗り物で、いつ頃からわれわれの頭上を飛ぶのか? 将来の市場は30兆円規模ともいわれる新たなモビリティの可能性に迫る!
■eVTOLにはふたつのタイプがある
「ひと口に"空飛ぶクルマ"と言ってもいろんな種類があります。タイヤがついて地上を走り空も飛べる空陸両用車というのがありますが、今世界中で主に開発に取り組んでいるのは『eVTOL』です」と語るのは、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科付属研究所の中野冠(まさる)顧問(前教授)だ。
eVTOLは「electric Vertical Take Off and Landing」の略で、直訳すると電動垂直離着陸機となる。一般的には空飛ぶクルマと呼ばれているが、道路を走行する機能は持っていないことが多い。
日本では国土交通省が「電動、自動(操縦)、垂直離着陸」という3つのキーワードを掲げているが、世界的には明確に定義されていないという。実際、ホンダはガスタービンエンジンとバッテリーを組み合わせたハイブリッド型のeVTOLを開発しているし、現段階ではパイロットが乗ることを想定した機体も多い。
「eVTOLは、ドローンのように複数のプロペラを持った『マルチコプタータイプ』と、飛行機のように『固定翼を持ったタイプ』に大きく分けることができます」
さらに中野氏が解説する。
「マルチコプタータイプは遠くまで飛べませんし、時速100キロ程度が精いっぱいです。ただし機体はコンパクトで、構造もシンプル。製造がしやすく、一機あたり数千万円で購入できると思います。
一方で固定翼を持っていると、高速(時速200~300キロ)で長い距離を飛ぶことができます。ただ機体は大きく複雑になるので、航空工学の幅広い知識やノウハウが必要となる。機体価格が数千万円から数億円になるものもあるでしょう」
マルチコプタータイプは技術とコストの面でハードルが低く、世界各国でベンチャー企業が当初こぞって参入した。
固定翼タイプは技術的にも資金的にもハードルが高いため、9月末に開発計画を明らかにしたホンダ、トヨタが400億円以上を出資する米ジョビー・アビエーション、フィアットやプジョーをブランドに持つステランティスと提携する米アーチャー、韓国の現代(ヒュンダイ)自動車など、自動車メーカー本体や航空機メーカーが支援するベンチャーが開発するものが大半を占める。
■日本ベンチャーの野望
飛行機やヘリコプターとは別の空の移動手段が実現すればメリットは大きい。動力は電気やハイブリッドのため環境に優しく、構造がシンプルで機体価格や整備費用を抑えられる。その上、パイロットなしの自律運航が可能となれば移動の費用は安くなる。
海外では大都市の渋滞緩和が期待されているが、国内では東京や大阪などの都市部は公共交通機関が発達しているため、むしろ交通が不便な地方都市間の移動、離島や過疎地などで活用され、地域格差の解消への貢献が期待されている。さらに救命医療や観光レジャー、輸送など、さまざまな可能性が広がっている。
「僕は日本で生まれ暮らしているなかでストレスに感じていたことがありました。直線距離で100kmしかない場所に自動車で2~4時間もかけないとたどり着けないことです。
例えば東京から草津や箱根に行くときがそうですよね。小さい頃はヘリを改造した乗り物が登場し、世の中が変わるかもと期待していましたし、原付や自転車のような感覚で空を移動する乗り物があってもいいのになあとずっと思っていました」
そう語るのは創業3年目のスタートアップ企業、テトラ・アビエーションの中井佑(たすく)代表だ。彼はeVTOLに大きな可能性を感じ、東京大学工学部の博士課程在学中に起業を決断した。
日本とアメリカに開発拠点を置くテトラは2021年、eVTOLとして日本企業で初めてFAA(米国連邦航空局)の認可を取得し、アメリカで試験飛行を行なっている。
「僕たちは今、一番大きなマーケットのアメリカでシェアを取るために挑戦中です。ただ確実に市場が見込めそうなところは資金力のある大企業が最初に進出していきます。
それは大都市の中の空飛ぶタクシーであり、サンフランシスコやロサンゼルスといった大都市と大都市を結ぶ路線です。僕たちスタートアップは、そこには挑めません。
でも大企業が結んだ大都市間のネットワークの内側、例えば大都市から郊外や地方都市への移動はニーズがあっても移動手段がなく不便を感じる人が一定数いるはず。その不満を解消するモビリティが必要になりますし、最終的にはそこが大きな市場になると考えています」(中井代表)
テトラは7月末からアメリカで個人用のeVTOLの予約販売を開始し、すでに何件かの予約も入っているというが、世界各国が参入するeVTOLの開発競争は苛烈だ。
機体のコンセプトを発表している企業は世界で500社ほどあったが、すでに廃業した会社も多い。日本で残ったベンチャー企業はテトラとスカイドライブだけだ。その理由を、前出の中野氏は次のように話す。
「日本の大企業や投資家はベンチャーになかなかお金を出しません。eVTOLの場合、型式認証を取って機体を量産するまでにはだいたい800億円以上の資金が必要といわれています。
それだけの資金を集められると現在ほぼはっきりしているのはアメリカのジョビーとアーチャー、ドイツのリリウム、韓国の現代自動車の4社です。中国はDJIに代表されるドローンが強いですから、そのノウハウを生かすことができます。現状では中国、アメリカ、ドイツが開発競争をリードしているといえるでしょう」
そこにホンダがやっと参入を表明したわけだが、日本は先行する各国と比べて出遅れた感は否めない。
テトラの中井代表は話す。
「モノ作りに関しては日本の環境に満足しています。アメリカよりも製造業の連携や物流のシステムが整っていて、短いリードタイムで試作品を作れます。私たちはeVTOLを将来、日本の基幹産業にしたいと思っていますが、正直どうなるかわかりません。
しかし世界ではたくさんの人とお金がすごいスピードで流れています。大きなビジネスになるのかはわからないけど、可能性はあるからとにかくやってみようというカルチャーが日本では足りていないのかなと感じます。
あとはスピード感です。日本ではお金、人、材料などを集めようとしても時間がかかるのが当たり前という常識がはびこっているのが残念です」
前出の中野氏も危機感を抱いている。
「空飛ぶクルマを研究している大企業の社員と話したときに『うちは儲かるとわかってからじゃないと、本格的にやりませんから』と言われて驚きました。儲かるとわかってから動くのでは遅いんです。そうやって日本のメーカーは商機を逸してきました。
あと日本の大企業は自前主義が好きで、全部自前でやろうとします。空飛ぶクルマでは、機体の製造から離着陸場などのインフラ整備、チケット予約まで、幅広いビジネスが関係します。だから、どんどん時間がかかってしまう。欧米だと異業種と提携して一気にシェアを取ろうとします。こういう未知のものは先にやったもの勝ちです」
■日本のアドバンテージ、自動車技術の活用を!
空飛ぶクルマはすでに日本の空を飛び始めている。国内のベンチャー企業、スカイドライブは昨年8月に有人での飛行試験に成功。中国のイーハンの機体も今年6月、岡山県でテスト飛行を行なった。
そこで気になるのは安全性だ。「プロペラが壊れたり、バッテリーが切れて墜落したら......」。そんな不安が頭をよぎる人もいると思うが、複数のプロペラを持っているのでひとつふたつ壊れても直ちに墜落するわけではなく、バッテリーやモーターなどは日本が本格的な普及を目指す2030年までに進化し、バッテリーの課題の大半は将来解決できると中野氏は考えている。
「それよりも大きな課題は、乗客が利用したいときに利用できるのかという運航の信頼性です。eVTOLとヘリコプターに用途的な違いはほぼありませんが、eVTOLはヘリに比べて騒音が少なく、機体コストやメンテナンスの費用も安く、しかも離着陸場が小さくてもよい。
そしてヘリコプターが一般的な交通手段にならない最大の理由は夜や悪天候では飛べないことですが、この課題は空飛ぶクルマも一緒です」
その点、パイロット不要の自動運転eVTOLならば、夜や悪天候でも活用できる可能性は広がる。しかしそのためには技術開発だけでなく法整備が急務だ。
「飛行空域や離着陸場の基準などの法整備をして新たな管制システムを構築しない限り、eVTOLの大規模な普及は成り立ちません。新しい大きな産業セクターが期待できるので、各国がeVTOLに関するルール作りに動いています。
アメリカとヨーロッパが先行していますが、日本も大阪・関西万博での実用化を目指して国交省が取り組んでいます」(中野氏)
ホンダは「eVTOLは2040年には30兆円規模の市場に成長する」と見込んでいる。中野氏も「東南アジア、アメリカ、中国が先行して世界では将来巨大な市場になるでしょう。時間はかかりますが、最終的には自動車の10分の1ぐらいの販売数を持つ市場規模になると予想する調査報告もあります」と語る。
自動車で培ったバッテリーやモーターをはじめ、センサーや通信などの幅広い技術をeVTOLに応用できるのは日本にとっては大きなアドバンテージだ。eVTOLは空の移動を劇的に変えると同時に、これから先の日本経済を牽引(けんいん)する新たな産業になる可能性を大いに秘めている!