日産・シーマ。シーマはスペイン語で「頂上」を意味する。ボンネットに立つエンブレムは、地中海沿岸原産のアカンサスの葉をモチーフにしている 日産・シーマ。シーマはスペイン語で「頂上」を意味する。ボンネットに立つエンブレムは、地中海沿岸原産のアカンサスの葉をモチーフにしている

日産が誇る最高級セダン「シーマ」の生産が今夏に終了することがわかった。初代は高価格にもかかわらず、大ヒットを記録し、"シーマ現象"を巻き起こした。初代はどんなクルマだったのか? 渡辺陽一郎(わたなべ・よういちろう)氏が魅力に迫った!!

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■初代シーマは走りのクセがスゴかった!

渡辺 日産の高級セダンであるシーマが販売を終えます。

――売れてなかったんスか?

渡辺 現行シーマは5代目で、フーガハイブリッドのロング版です。現行型の発売は2012年と古く、昨年の登録台数は月平均6台でした。

Y31型のセドリック/グロリアと共通の骨格だったが、シーマは3ナンバーボディで、見た目は完全に別物 Y31型のセドリック/グロリアと共通の骨格だったが、シーマは3ナンバーボディで、見た目は完全に別物

――シーマといえば、やはり初代が思い出されます。

渡辺 1988年に発売された初代シーマのインパクトは強烈でした。全長は4890mm、全幅は1770mmで、当時としては珍しい3ナンバー専用のセダンでした。

エンジンはV型6気筒3リットルと3リットルターボを用意。当時の自動車税は改正前だったので3リットルは年間8万1500円でした。ちなみに現在の3リットルの自動車税は年間5万円です。

上級モデルは電子制御エアサスペンションを装備。テールを沈めて流れるように加速した 上級モデルは電子制御エアサスペンションを装備。テールを沈めて流れるように加速した

ステアリングホイールには、ラジオ、エアコン、自動車電話などの操作スイッチがズラリと並んだ ステアリングホイールには、ラジオ、エアコン、自動車電話などの操作スイッチがズラリと並んだ

――初代シーマの価格は?

渡辺 当時の3ナンバー車には、卸売価格に23%の物品税が課せられていました。その物品税を含めた最上級グレードの価格は510万円でしたね。

――そんな超高級車が月にどのくらい売れたんスか?

渡辺 1988年1月に発売され、3月には約6500台を登録しました。当時の車名はセドリックシーマ、グロリアシーマでしたが、この台数にはセドリックとグロリアは含まれていません。シーマだけで約6500台を売りました。

高額な価格と税金を考えると「絶好調!」と呼べる売れ行きで、〝シーマ現象〟という言葉も誕生しました。ちなみにこのシーマ現象という言葉は、1988年の「新語・流行語大賞」の流行語部門で銅賞に選ばれています。

日産・セドリック/グロリア。洗練されたフォルムで大ヒットしたY31型のセドリック/グロリア。ベースの仕上がりの良さがあったからこそ、初代シーマは輝いた 日産・セドリック/グロリア。洗練されたフォルムで大ヒットしたY31型のセドリック/グロリア。ベースの仕上がりの良さがあったからこそ、初代シーマは輝いた

――なぜ初代シーマの車名には、セドリックとグロリアの名前が?

渡辺 当時、販売店から日産に「セドリック/グロリアとプレジデントの中間に位置する高級車がほしい」という要望があり、知名度の高さを考慮し、セドリック/グロリアの車名を頭につけたわけです。

初代シーマの車両自体も、1987年に登場したY31型セドリック/グロリアをベースに開発されています。スポーティなグランツーリスモが有名になった世代のセドリック/グロリアですね。

――それまでのセドリック/グロリアはどんなクルマだったんスか?

渡辺 正直、トヨタ・クラウンの後追い商品でした。それがY31型の開発が最終段階を迎えたときに、「これではダメだ!」という話になり、発売が迫っていたにもかかわらず、思い切って外観をガラリと変えた。

グレード名も一般的なGTではなく、グランツーリスモにし、新鮮味を打ち出しました。それらが功を奏して大ヒット商品になった。この革新的なY31型セドリック/グロリアが存在したからこそ、初代シーマは先進的なクルマになれたわけです。

日産・レパード。初代シーマに新開発のエンジンを奪われた2代目レパードの後期型。残念ながら新車販売は低迷したが、中古市場で花が咲き、今も大人気 日産・レパード。初代シーマに新開発のエンジンを奪われた2代目レパードの後期型。残念ながら新車販売は低迷したが、中古市場で花が咲き、今も大人気

――初代シーマはエンジンも話題でした。

渡辺 初代シーマに搭載された3リットルターボエンジンは、2代目レパードの後期型に搭載する目的で開発されていたんですよ。当時のレパードは販売面でトヨタのソアラに勝てず、新開発の3リットルターボで差を埋めようと考えていた。

ところが、シーマの開発者の巧みな社内への根回しもあり、新開発の3リットルターボを横取りしてレパードよりも先に搭載したんです。当時、初代シーマの開発者は、「レパードの開発部門からは、ずいぶん文句を言われたよ」と頭をかきながら振り返っていました。

――3リットルターボの走り味は?

渡辺 最高出力は255馬力で、当時の国産乗用車では最強でした。実用回転域の駆動力も高く、加速は迫力満点。加速時にはセミトレーリングアームの足回りを備えた後輪側が下がり、前輪側は持ち上がって、ボートが疾走する姿に似ていると話題を呼びました。

――走りは完璧だった?

渡辺 いいえ、走行安定性は良くありませんでした。特にエアサスペンションを装着するタイプⅡリミテッドは、峠道ではボディが大きく傾き、前輪が外側へ滑って旋回を拡大させようとする。そこで慌ててアクセルペダルを戻すと、次は一気に後輪が横滑りするんです。

――要するに走りのクセがスゴかったわけスね?

渡辺 ええ。パワフルなエンジンと、乗り心地を重視した足回りの組み合わせですからね。正直、走りのバランスは悪かった。ただし、パワーで押し切る豪快な運転感覚は、当時のバブル景気を反映しているようにも思えましたね。

――初代シーマの総括を!

渡辺 シーマはフルモデルチェンジのたびに勢いを弱めていきましたが、パワフルで粗削りな初代は、日本における日産のブランドイメージそのものでした。シーマの終了は日産にとって、ひとつの時代が終わったことを示しているなと。夢を見させてくれた初代シーマには心から「ありがとう」と言いたいですね。

●渡辺陽一郎(わたなべ・よういちろう) 
カーライフジャーナリスト。1989年に自動車購入ガイド誌『月刊くるま選び』(アポロ出版)の編集長に。1997年に同社取締役を兼任。著書に『運転事故の定石』(講談社)など。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

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