昨年6月に発売された日産の軽EV「サクラ」が売れに売れている。累計販売台数はすでに4万台を突破したという。自動車研究家の山本シンヤ氏がサクラのキーマンを直撃し、人気の秘密に迫った!!
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■参考車両で箱根に通い詰める
――本日は日産オートモーティブテクノロジー実験部門の責任者である永井 暁(ながい・あきら)さんにお話を伺います。永井さんは昨年6月に発売された日産の軽EV「サクラ」の性能開発と評価を担当された人物です。ちなみに現在までのサクラの累計受注台数は4万台以上を誇り、昨年末には軽自動車では初めて日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝きました。
永井 よろしくお願いいたします。
――乗るとわかりますが、サクラには日産のDNAがしっかり受け継がれている。そのDNAをサクラに注いだのが、永井さんですね?
永井 どうですかね(笑)。
――そこで、まずこれまでのお仕事から振り返っていきます。日産自動車に入社されたのはいつですか?
永井 1984年です。
――配属部署は?
永井 商品開発室です。商品開発室を希望して入社したのでとてもうれしかったですね。しかも室長はスカイラインの生みの親である桜井眞一郎さんでした。
――最初に携わったクルマはなんですか?
永井 1985年デビューの6代目B12型サニーですね。
――いわゆる〝トラッドサニー〟の愛称で親しまれ、一世を風靡(ふうび)したクルマですね。
永井 あの頃、私も若かったからギラギラしていまして、量産車初となるニスモバージョンも手がけました。
――サニーの3ドアハッチバックに設定された305Reニスモですね。
永井 フロントエアロバンパーにPIAA製フロントハロゲンフォグランプを組み込ませ、リアアンダースポイラーも装着し、ホワイトメーターや、本革巻きの3スポークステアリングホイールも採用しました。
とにかく、サニーを担当したときは「なんでもやっていいぞ」と会社に言われていたので、若さに任せてやり切りましたね。
――その後はどんなクルマをご担当されたんですか?
永井 ふたつのボディタイプが選択できた2代目エクサ、5代目S13型シルビア、6代目S14型シルビアなどを担当しました。
――商品開発室時代に仕事で大切にしていたことは?
永井 クルマに対するセンスや感性を磨くことを大事にしていました。実は商品開発室には参考車両がたくさんあるんですよ。
――参考車という名のライバル車ですね?
永井 ええ。それに乗るのが楽しくて、楽しくて。箱根に通い詰めました。しかも〝ライバル車の研究〟という名の大義名分があるので大手を振って行けたのもありがたかった(笑)。
――箱根というのはターンパイクですか?
永井 そうです。週に何度も通いまして、いろいろ勉強になりました。しかし、S14を担当している途中、90年に栃木県にある実験部へ。
――それは永井さん的にはショックな出来事でした?
永井 最初は都心から離れることは嫌だなと思いましたが、栃木初日にテストコースをクルマで走り込んだらこれが実に痛快で。栃木、いいなと(笑)。
――栃木の実験部ではどんなクルマの性能開発と評価を?
永井 8代目のR32型スカイライン、9代目R33型の基準車、7代目のS15型シルビア、初代ステージア。そして10代目となるR34型スカイラインは、ほぼGT-Rを見ましたね。
――フェアレディZは?
永井 5代目のZ33型、6代目のZ34型を担当し、R35型のGT-Rに携わることに。その後はリーフも少しだけ担当しましたね。
――要するに永井さんは日産の金看板とも言える、スポーツ系のクルマを基本的にはご担当されてきたと?
永井 結果としては、そうなっていますね。
★永井氏が携わった主なクルマたち
■スポーツカーから軽自動車の担当へ
――日産自慢のスポーツカーの性能開発と評価を担ってきた永井さんですが、ある日突然、軽自動車をご担当することになる。胸にはどんな思いが?
永井 心境は筆舌に尽くし難いと言えばいいでしょうか。「スポーツカーのスペシャリストになりたい」と希望していましたし、加えて、私はこれまで軽自動車に乗ったことがなかった。さらに言うと軽自動車にまったく関心がなかったんです。
――確認ですが、そのときは日産と、2011年6月に設立された軽自動車の企画とプロジェクトマネジメントを担う日産と三菱自動車の合弁会社「NMKV」の仕事を兼務されたということですか?
永井 そうです。
――実際、軽自動車に触れる生活がスタートしてみていかがでした?
永井 参考車に乗ってみて「驚き」のひと言でした。私のイメージは昔の軽自動車のままだったので、隔世の感を禁じえなかった。最近の軽自動車の性能向上は目覚ましいなと。だから、2019年に発売したデイズの開発を進めると、非常に面白いし奥深かった。
――もう少し言うと?
永井 ある意味、GT-RやフェアレディZは〝なんでもアリの世界〟に存在するクルマです。しかし、軽自動車はボディサイズ、最高出力、最高速、排気量など制約があり、それに沿った中での開発となります。
しかし、タイヤが4つついている以上はGT-Rも軽自動車のデイズも同じだなと。それならば、その制約の中でベストを尽くしてみようと。さらにつけ加えると、「それなら、軽自動車に興味がない自分が『欲しい!』と思える軽自動車をつくってしまおう」と考えたわけです。
――軽自動車に興味がなかった永井さんの意識が大きく変わったきっかけは?
永井 各社の素晴らしい軽自動車に乗れば乗るほど、最後発の日産だからこそ、存在感を発揮する必要があるのではないかと。その挑戦にロマンを感じたんですよね。
――やる気スイッチがオンになったと。では、軽自動車の開発では最後発の日産が存在感を発揮するために、開発時にこだわった点は?
永井 どのクルマもそうですが、安全は当然です。ただし、安全に移動するだけではつまらない。クルマを運転する喜びや楽しさやカラダの一部となるような気持ちよさを追求しました。
――つまり、日産が創業以来大切にしている〝ドライビングプレジャーの追求〟、そしてGT-Rの開発時に掲げていた〝究極のドライビングプレジャーの追求〟を軽自動車の開発でも行なったわけですね。
確かにデイズに乗ると、今まで永井さんがスポーツカーの開発で培ってきた日産秘伝のタレをグッと凝縮し、注いだのがよくわかる。いい意味で軽自動車感がなく、ワインディングや高速道路を走っても不安を覚えません。
永井 神奈川県厚木市に日産オートモーティブテクノロジーの本社があるんですが、私は栃木県の研究所からデイズに乗って行き来しています。往復400㎞ほどありますが、まったく移動は苦になりませんね。
■サクラの試作車は地球10周分ほど走りました
――ちなみに永井さん、現在の所属は?
永井 定年を迎え、日産は卒業しました。現在は日産が100%出資する日産オートモーティブテクノロジーとNMKVを兼務しています。実はあまり知られていませんが、日産からサクラを含めた軽自動車の車両開発業務を一括で委託されているのが、日産オートモーティブテクノロジーなのです。
――日産オートモーティブテクノロジーは、いわゆる車両開発業務を担うエンジニアリング会社という認識でよろしいですか?
永井 はい。クルマのほとんどの開発領域に携わっています。私は実験責任者を務めていますが、少数精鋭なので、意思疎通やレスポンスの面で困ることがない。乗り味の注文を出せば、現場の人間が即座に、そして的確に対応してくれる。
――R35型GT-Rも似たような少数精鋭の、言い方はアレですが、大部屋開発を行なっていましたよね?
永井 そうでした。
――サクラの開発はどうスタートしたんですか?
永井 そもそもデイズのプラットフォームを開発するときに、ハイトワゴンはデイズ、スーパーハイトワゴンはルークス、EVはサクラと決まっていたんですよ。
――ほお。デイズとサクラのプラットフォームの違いは?
永井 基本的にはデイズと共通ですが、サクラはモーター搭載に合わせてフロントのメンバーユニットを新設計し、バッテリー搭載による重量増のためのボディ下部を中心に補強をし、3リンクサスペンションなどを採用しました。また、バッテリーを床下に搭載する関係で、前後55:45の重量配分も実現しました。
――エクステリアもインテリアも軽自動車を超えるクオリティとデザインに仕上がっています。デイズとは完全に別物ですよね?
永井 はい。統合型インターフェイスディスプレー、2本スポークのステアリングなどを採用しました。サクラはデイズ/ルークスの兄弟車ではなく、日産のEVの入り口です。要はリーフやアリアへと導く役目を担っています。
――そんなEV専用モデルのサクラを開発する上で、まずどこから手をつけました?
永井 日産はEVのパイオニアなのでリーフで得た膨大な知見があります。しかし、開発したことがない量産軽EVのお客さまの実像が浮かばない。
ただ、そこは合弁会社NMKVのパートナーである三菱自動車さんが軽EVアイ・ミーブの知見を持っています。具体的にはアイ・ミーブユーザーがどのようにクルマを使っているかという情報を集めました。
――軽EVを購入する人たちの実像をあぶり出したと?
永井 現在と充電設備の数などの環境の違いはありますが、サクラの航続距離や使い方などを検討するにあたり、大変重要な目安になりました。
――サクラを開発する上で、三菱自動車のアイ・ミーブの知見も役立ったわけですか?
永井 はい。日産の累計販売台数60万台以上を誇るリーフで得た経験や知見と三菱自動車さんのアイ・ミーブのそれが融合するわけですから、軽EVを開発すること自体のハードルは高くなかった。
――なるほど。サクラの走りや乗り心地は軽自動車を超える高いレベルにあります。どう磨き上げたんでしょうか?
永井 サーキットはもちろんのこと、勾配の厳しい道、雪道など、ありとあらゆる道でテスト走行を繰り返しました。地球10周分ほど走り、延べにすると数百台の試作車を乗り潰しました。
――気の遠くなる作業です。
永井 やはりお客さまに安心して笑顔で乗り続けていただきたいからですね。少しでもおかしいと感じた部分は徹底的に洗い出す必要があるので。
――それにしても、これだけ完成度が高いと日本専用ではもったいない。アシュワニ・グプタCOO(最高執行責任者)も一部ジャーナリストにその可能性を示唆したようですが、サクラを海外で売る予定はありませんか?
永井 確かにそういう声は社内にあります。ただ、その一方で各市場の基準に適合させる課題があるのも事実です。
――各市場の基準はともかく、サクラの走りは日本専用? それともグローバル?
永井 そもそもサクラは日本専用という枠を設定して開発を行なっていません。ドイツのサーキット「ニュルブルクリンク」を走っても通用するように仕上げていますよ(ニッコリ)。
――エンジニアとしてサクラのアップデート案は頭の中にあるんでしょうか?
永井 コストなど現実的な問題を置いておけば、サクラに電動四駆を設定してみたいですね。ほかにもいろいろ頭の中にありますが......考え出すときりがない(笑)。
――日産に受け継がれる秘伝のタレという名のDNAをサクラに注いだのは、やはり永井さんだというのが、今回よくわかりました。
永井 ありがとうございます。
●山本シンヤ
自動車研究家。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。ワールド・カー・アワード選考委員。YouTubeチャンネル『自動車研究家 山本シンヤの「現地現物」』を運営