イタリア北部を襲った豪雨災害の影響で、イモラサーキットで開催される予定だったF1第6戦エミリア・ロマーニャGPが中止された。
その一報を、イタリアに到着するとほぼ同時に知ることになったF1フォトグラファーの桜井淳雄氏が、細心の注意を払いながら取材してきたサーキット周辺の被害状況を現地レポートする。
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■プレス向け危機管理用WhatsApp
現地イタリア・イモラからの情報が入ったのは、日本時間5月15日の深夜だった。
2020年のコロナのパンデミック騒動を受けて(開幕戦のオーストラリアGPは直前に中止となり、その後のレースも次々と中止や無観客開催に追い込まれた)、不測の事態が起きたとき迅速に告知ができるよう、今年から運用が始まったFIA(国際自動車連盟)のF1プレス向けの危機管理用WhatsApp(日本でいうLINEみたいなもの)からだった。
最初このシステムに登録する際、「何を大げさな」と思っていたが、まさかこんなに早く使われることになるとは考えてもみなかった。メッセージにはこうあった。
〈降雨が続いており、隣接する川の水位が上昇している為、プロモーターと当局は全関係者に対してサーキットから離れるように要請します〉
確かにサーキットのすぐ脇に川はあるが、それほど大きな河川ではないし、今までの経験則からエミリア・ロマーニャGPが無くなることはないだろうという思いで、翌日午前中に日本を発った。
しかし、現地に向かう経由地で、続々と入ってくる情報に気持ちが暗くなってくる。
〈当局より、本日水曜日はすべての関係者はサーキットに来ないように勧告されました。ホテルにとどまり安全を確保するように〉
とWhatsAppにメッセージが配信され、関係者がインターネット上に公開した動画では、なんとあの川が、狂ったような茶色い濁流でしぶきを上げている......。
それでもF1を撮影して30年、約3年前の開幕戦オーストラリアGPの急遽中止は別として、コロナ渦でも各国でレースは開催され、台風が来ようが、大雨で長時間中断しようが、天候でF1が最終的に「中止」になったことなどない。
F1というショービジネスで、それはあり得ない......と考えていた。しかし、それも束の間、エミリア・ロマーニャGPの主催者とF1は、現地水曜日の早い時間に中止を決定したのだ。
■通信手段がすべて遮断
私がその知らせを受けたのは、ちょうどイタリア・ミラノに到着した頃で、次の週にはモナコGPの取材に移動する必要があったため日本に引き返すという選択肢はなく、ひとまず予約してあったホテルに向かうことにした。
普段であれば、目的地には高速道路を使って約3時間で到着するところが、高速は渋滞し、ゴムボートを積んだ緊急車両が側道を抜けていく。一般道に迂回してホテルを目指すが、現地に近づくにつれて冠水した道路や通行止めになっている道も多く、結局10時間近くかかってしまった。
その道中には、家路への道路を寸断されたクルマが右往左往し、広大な畑は降り続いた雨で「湖」と化している場所もあり、だんだんと事の重大さを思い知っていく。
やっとのことで到着すると、この週末は観戦客で満室のはずだったホテルには、イタリア全土から派遣された救命士や医師が宿泊者となっていた。女性の主人も、ここ2、3日対応に追われて、一睡もできていないという。周辺の地域では、5メートル冠水した場所もあると聞いた。
主人から「明日、スーパーマーケットが再開するから飲み物とかは買っておいたほうがいいですよ」と言われたので、翌朝買い出しに行ってみると、スーパーの入り口はすでに長蛇の列。そこで、クルマで2、30キロ走った場所にある別のスーパーに行くと、生鮮品はほとんど売り切れ状態だったが、食材や飲み物を普通に調達することができた。
だが、その日の深夜には、町一帯のインターネットや電話などすべての通信機能が遮断されてしまう。携帯電話も役に立たなくなってしまった。
■「中止でなくても仕事にならないよ」
金曜日にサーキットに向かうことにした。道を上手く選択すれば通常の時間で到着することができて、少し拍子抜けしたものだが、途中のガソリンスタンドでは通信機能が遮断されている影響でカード決済での給油ができず、なけなしの現金で支払う羽目なったのが痛かった。通信の遮断が、こんなにも生活に影響があるのかと実感した。
サーキットに到着すると、粛々と撤収作業が行なわれており、いつも見慣れた広告の看板やF1GPの風景がほとんど跡形もなく消えつつあった。
実は、私がイタリア・ミラノに降り立った日を含めてほとんど雨は降っておらず、各地の水害も日を追うごとに収束している状況で、地元の人たちも一部の被災地をのぞけば落ち着きを取り戻しているようだった。
門前町であるイモラ市内も水没しているエリアはなさそうで、あの激しい濁流に見舞われていたサーキット近くの川も、映像で見たのとは違って、水位は下がり流れは収まりつつあるように見えた。
たがサーキット周辺でばったり遭遇したアルゼンチンのTVディレクターの話によると、各国のF1用の放送機材が、サーキット内の冠水で水浸しになってしまったようで、「中止でなくても仕事にならないよ」と嘆いていた。
彼らも遠い国からやって来ているのでこの週末はどうしようもなく、手持ち無沙汰になった時間を利用して、クルマで行けそうな観光地を巡っているらしい。
都合30時間以上もかけて日本からやって来たフリーランスの私にとって、「中止」という言葉は無慈悲に近いものがあったが、グランプリ観戦に訪れる15万人以上の観客の安全、道路や通信インフラの寸断による障害や混乱、甚大な被害に遭っている周辺地域の配慮等を考えると、エミリア・ロマーニャGPの中止決定は英断だったと思う。
今シーズンのヨーロッパラウンドの始まりは3週連続の開催で、最初のイモラ(エミリア・ロマーニャGP)は中止となり、モナコGP、バルセロナGPと続く。私はレンタカーで、計2500キロ以上を走破する予定だ。
そして同じように、多くのF1関係者や熱心なF1ファンが大陸を大移動する。来週末のモナコGPも雨続きの予報で、大雨で2時間ほど中断した昨年の記憶が蘇るが、無事に開催されることを願いたい。