液体水素を燃料とするトヨタの水素エンジン車が24時間耐久レースで世界初の完走を達成して、話題を呼んでいる。現地で徹底取材した自動車研究家の山本シンヤ氏が濃厚解説する!
■ロケットと同じ燃料で24時間を完走!
山本 5月28日、トヨタ自動車は「富士スピードウェイ」(静岡県小山町)で液体水素を燃料とするエンジン車で、世界初となる24時間レースを完走しました。
――これまでもトヨタは水素エンジン車でレースを行なっていましたよね?
山本 2021年の富士24時間レースから約2年は気体水素を燃料に使っていましたが、今回の液体水素は世界初の試みです。ちなみに昨年の富士24時間レースの会場には、液体水素の概要や給水素システムを含めたモックアップが展示されていました。
――気体水素と液体水素では何がどう違うんスか?
山本 一番は体積ですね。液体水素の体積は気体水素の約800分の1なので、より多くの燃料の搭載が可能になる。これまで気体水素でレースに参戦していましたが、航続距離の問題で充填(じゅうてん)の回数が多かった。液体水素にすることで、それが解消されるかと。
――液体水素は1回の充填でどれぐらい走るんスか?
山本 富士スピードウェイをレーシングスピードで走らせると約15~20周と発表しています。また、水素の充填時間の速さはもちろんですが、複数台への連続充填も対応可能です。気体水素だと高圧にするので一定時間が必要となるんですよ。
――ちなみに液体水素が燃料のものってどこかで耳にした気がするんですが?
山本 ロケットです。国産の「H-Ⅱロケット」の燃料のひとつが液体水素なんです。
――ロ、ロケットと同じ燃料をブチ込んで24時間走ったわけですか?
山本 はい、そのとおりです。
――スゲェー! ほかに液体水素のメリットは?
山本 液体水素は水素の充填システムを小型化できるのも大きなメリットです。気体水素だと水素充填の際に高圧圧縮しなければならない。
そのため、複数台の水素タンクローリーのほかに、昇圧装置を設けたトラックも必要でした。その設備面積は広大となるため、サーキットによっては場所の確保が難しいという課題があったんです......。
――つまり、気体水素でレースをしていると、ピットでの水素充填が不可能だったと?
山本 将来的にはわかりませんが、現状ではそうです。一方、今回の液体水素システムだと水素タンクローリーは1台でOK。昇圧装置も必要ないので設備面積は非常にコンパクト。その結果、ガソリン車と同じようにピットでの充填が可能になりました。
――液体水素のデメリットは一切ないんですか?
山本 液体水素のデメリットはマイナス253℃という極低温でないと液化しないので、その温度管理が大変です。燃料タンクはもちろん、充填装置も低温を保つ必要があるので、"魔法瓶"のような構造が求められます。
――確認ですが、この水素エンジンのプロジェクトは、トヨタだけで行なっている?
山本 いいえ、トヨタは水素社会の実現は「つくる・はこぶ・つかう」が大事だと語っており、複数のパートナー企業の力を借りています。ちなみに液体水素は川崎重工業が専用船でオーストラリアから極低温で運んでいます。
また、レース時の液体水素充填のシステムは岩谷産業と共同開発を行なっています。事前テストを取材しましたが、そのときと今回を比べると、液体水素充填システムはより小型化されていましたね。
――ズバリ、今回のレースは大成功だった?
山本 燃料ポンプの耐久性に関して懸念があったので、レース中にポンプを2度交換しています。レース中に長時間のピットインを心配した人もいたようですが、これは「計画停止」なので、トラブルではありません。ちなみにポンプの交換に要した時間は1回目が4時間弱、2回目が3時間と、即カイゼンしました。
――ただ、レースは最下位だったと。まだ水素エンジンに進化の余地はある?
山本 もちろんです。すでに液体水素システムの軽量化や小型化に加えて、京都大学、東京大学、早稲田大学との共同研究で、超電導技術を用いたモーター駆動による燃料ポンプの開発も進めるそうです。
ちなみにこの超電導技術は水素エンジンだけでなく、むしろFCEV(水素燃料電池自動車)にも大きな革新を生むヒントがあるそうですよ。
■リストラ候補だった水素エンジン
山本 実は今年3月の鈴鹿サーキット(三重県鈴鹿市)のレースで液体水素車を投入する予定でしたが、直前のテスト走行時にエンジンルームが発火。復旧が間に合わず、今回の富士スピードウェイでの挑戦になりました。
――火災の原因は?
山本 車両の振動による配管結合部の緩みが水素漏れを引き起こしたそうです。そこで配管の設計を変更しています。ちなみに液体水素化により車両重量が300㎏ほど重くなりましたが、火災の対策と並行し、約50㎏の軽量化も行なったそうです。
――ちなみにトヨタ自動車の佐藤恒治社長は今回の世界初の完走についてどんなコメントを?
山本 佐藤社長は、「想定していなかったことも起こっており、実際に走らせることが重要だ」と。今回のレースで手にした課題をシッカリ精査して次への開発に生かすようです。
――そもそもの話ですが、水素エンジンのプロジェクトがスタートしたのはいつ頃だったんですか?
山本 以前から先行開発は行なっていましたが、本格的に動き始めたのは20年のようです。当時、レクサスとGR(ガズーレーシング)のプレジデントだった佐藤氏が水素エンジンに目をつけました。
当時、トヨタのパワートレイン戦略の中でリストラ候補のひとつだったそうですが、エンジニアとしてクルマの原点である振動や音を残したままカーボンニュートラルを実現できる水素エンジンに対して、直感的に可能性を感じたんだと思います。
――ふむふむ。
山本 同年11月、佐藤氏は、トヨタグループ蒲郡研修所(愛知県蒲郡市海陽町)に水素エンジンの試験車を持ち込み、当時の社長でマスタードライバーの豊田章男氏に試乗してもらいました。実はその場に、たまたま帰国していたレーシングドライバーの小林可夢偉(かむい)選手の姿もありました。
――豊田氏のジャッジは?
山本 佐藤氏いわく、社内には「水素エンジンは先が見えない」という雰囲気があったそうですが、試乗を終えた豊田氏は笑顔で、「先が見えないんだったらやってみよう。やってみればきっと何かが見える」と告げ、ゴーサインを出したそうです。
――小林選手も試乗をした?
山本 もちろん。小林選手は、「ちゃんと音がある。言われなければ違いがわからないくらいガソリンエンジンと同じ音がする。これには未来があるなと感じたのと同時に、これはモータースポーツに最適だ」と述懐しています。
――そして、21年4月にトヨタは、水素エンジン車両で24時間レースに参戦することを正式に発表しました。
山本 翌5月には、富士スピードウェイで開催された富士24時間レースに、水素エンジンを搭載したカローラスポーツで初参戦しました。驚きのスピード感ではありますが、逆に言えば、粛々と先行開発を行なっていたんだなと。
――なるほど。ちなみに今回の大会では、ほかにも大きな発表があったとか?
山本 はい。サプライズ会見が行なわれ、自動車の世界三大レースのひとつであり、フランス伝統の耐久レース「ル・マン24時間」に、26年から水素エンジン車での出場が認められました。今後、さらに大きな流れになりそうです!
●山本シンヤ(やまもと・しんや)
自動車研究家。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。ワールド・カー・アワード選考委員。YouTubeチャンネル『自動車研究家 山本シンヤの「現地現物」』を運営