ル・マン24時間耐久レースで5連覇中のトヨタ。100周年を迎える今大会は有力メーカーが復帰し、激アツバトルが予想されていたが、大会前に突如としてルール変更が!
いったい何が起きた? 現地に飛んだ自動車研究家の山本シンヤ氏が徹底取材した。
■王者トヨタを苦しめた37㎏増
世界三大自動車レースのひとつであり、フランス伝統の耐久レース「ル・マン24時間」。1923年にスタートしてから今大会で100周年を迎えた。レースは6月10、11日に行なわれ、フランス中西部ル・マン市にある、全長13.6㎞のサルト・サーキットには30万人もの観客が押し寄せた。
ル・マンに押し寄せたのは観客だけではない。今年は最高峰クラスには数多くの有力メーカーが復帰。2018年の初優勝以降5連覇中のトヨタのほかに、50年ぶりのル・マンとなるフェラーリ、6年ぶり復帰のポルシェ、そしてキャデラック、プジョーなどが参戦し、計16台の豪華バトルとなった。
世界中のファンらの注目は、王者トヨタと、10回目の勝利を目指すフェラーリのガチ対決。そこに"耐久王"の異名を持つポルシェがどう絡むか? ル・マン100周年記念大会の大きな目玉だったが......レース前に波乱というか、大どんでん返しが起きた。
レース直前の5月31日、ル・マン24時間レースを含むWEC(世界耐久選手権)を統括するFIA(国際自動車連盟)WEC COMMITTEEが、それまで「ル・マン24時間レース前には行なわない」としていたBoP(バランス・オブ・パフォーマンス)による性能調整を一方的に発表したのだ。
具体的には、ハイパーカーの最低重量の変更である。その理由をFIA WEC COMMITTEEは、「白熱したバトルのため」と説明した。重量の算出は過去のレースを踏まえたシミュレーションによるものだという。
この変更に関して王者トヨタは完全に寝耳に水。ルールに従い、コツコツとマシンの性能を磨き上げてきたら、直前でルールをひっくり返された。まさに冷や水を浴びせられた形だ。もちろん、トヨタはこの理不尽なBoPに対して申し入れを行なったが、レース当日まで決定が覆ることはなかった。
主催者サイドによると、計算上ではトヨタが1.2秒程度遅くなるということだったが、結果的にトヨタとフェラーリには予選で1.9秒もの差があり、この性能調整に疑問符がついたのも事実である。
SNSなどには大会直前のBoP変更に主催者サイドへの苦言やクレームが飛び交い、「100周年だからどうしても欧州のチームを優勝させたいのだろう」だとか「参加チームのスポンサーをしている人間が、FIA WEC COMMITTEEの会長をしているのが、そもそもおかしくないか?」という指摘も。
この事態にトヨタ自動車の豊田章男会長も、ドライバーの"モリゾウ"としてオウンドメディア『トヨタイムズ』で疑問の声を上げた。
「そこまでして他のチームを勝たせたいのか? と思ってしまった......」
一方で、「BoPはトヨタ以外のマシンにも課されている。その中でシッカリと仕事をこなして勝つのが筋じゃないか」という意見も散見された。理屈はわかる。しかし、それについては今回の変更が"すべてのチームに対して公平である"という大前提がないと成り立たない。
ちなみに今回の最低重量変更はトヨタが37㎏増、フェラーリが24㎏増、キャデラックが11㎏増、ポルシェが3㎏増、プジョーほかは増加ナシとなっている。
予選タイムや現場で走りをチェックした限りでは、フェラーリは重量増によるネガティブな部分は最小限に感じられた。一方、トヨタのマシンからは"白熱したバトルの演出"を受け入れた代償がモロに出ていた。これは厳しい言い方になってしまうが、トヨタよりフェラーリのほうが、より"懐の深い"クルマに仕上げることができていたともいえる。
トヨタは主要なライバルが撤退していた期間にル・マン5連覇を成し遂げた。そのため、「このメンツならトヨタは勝って当然だ!」というアンチの声を嫌というほど浴びてきた。
6連覇に挑む今年は、フェラーリやポルシェなどアンチも納得するライバルが参戦。王者トヨタは念願のガチンコ対決に向け、徹底的にマシンを磨き抜いてきた。だが、やはり37㎏増という重い足かせが最後まで響いてしまった。
レースの結果は、フェラーリが58年ぶり通算10勝目の総合優勝を獲得した。この記録はポルシェ(19回)、アウディ(13回)に次ぐものとなる。
6連覇を目指した王者トヨタは、圧倒的に不利な条件をものともせず、素晴らしい走りを見せつけた。残念ながら7号車はナイトセッション中の複数台が絡む接触に巻き込まれリタイアとなってしまったが、レース後半の総合優勝争いはトヨタの8号車とフェラーリの51号車の一騎打ちに!
抜きつ抜かれつのつばぜり合いを展開。トヨタは重いハンディを課されているにもかかわらず、最後まで食らいつく魂の走りを見せた。しかし、最終的にはスピードに勝るフェラーリに軍配が上がり、24時間走ってわずか1分21秒793差で2位。
3位は燃費と速さのバランスが秀でていたキャデラック、そして6年ぶりにル・マンに挑んだ"耐久王"のポルシェはトラブルの連続で総合16位に沈んだ。
■モリゾウが語る今年のル・マン
トヨタのチーム代表兼ドライバーである小林可夢偉(かむい)氏はレース後にこのように語った。
「このル・マン100周年記念大会はわれわれのレースではありませんでした。しかし、チームとしてできることはすべてやりましたし、クルマから最大限のパフォーマンスを引き出し、ドライバーもベストを尽くしてくれました」
そして、厳しい表情を浮かべながらも、最後にこんな言葉を口にして前を向いた。
「このル・マンでチームは今までにないほど団結、みんなで勝利を目指し、共にレースを楽しみました。この無念を晴らすためにも、もっと強くなって戻ってくる必要があります」
豊田会長はレースをどう見たのか? プレスリリースには佐藤恒治社長のコメントのあとに、いつもより短めのコメントを発表した。
「今年のル・マン24時間レースは"場外の戦い"が、みんなのアスリートとしての戦いを邪魔していました。このことが本当に悔やまれて、残念で、申し訳ない気持ちです」
このコメントに対してSNSなどには、「言いわけがましい」、「最後までBoPを根に持っている」などの意見も飛んでいたが、このコメントはトヨタの会長としてではなく、あくまでモリゾウとして発表したコメントだ。
要するに、佐藤社長はトヨタとしてのコメント、モリゾウはひとりのドライバー、そしてモータースポーツをこよなく愛するファンの代表としての発言だ。モリゾウ氏は、BoPに関する主催者サイドとのやり取りを筆者にこう明かした。
「私が(ル・マン24時間レースを主催する)ACO(フランス西部自動車クラブ)やFIA WEC COMMITTEEに言ったのは、われわれがやりたいのは(エンターテイメントではなく)スポーツ。
そのスポーツをやるために、アスリート(=ドライバー)を集めている。これはトヨタどうこうの話ではありません。私はモータースポーツ全体のためを思って発言をしました。しかし、彼らは私が聞きもしないのに、『これは政治じゃない』と言ってきました。
つまりはそういうことですよね。私の思いは『各チームのドライバー、エンジニア、メカニックに、これからの100年を見据える場でレースをしてもらいたかった』。これに尽きます」
一方、6連覇を逃したチームにモリゾウ氏はこんな言葉をかけている。
「チームのみんなは正々堂々と戦ってくれました。2位完走の結果は本当に素晴らしいです。みんな、ありがとう。この準優勝をみんなで自慢しましょう!」
トヨタはあらゆるモータースポーツカテゴリーに参戦している。現場を取材してきた筆者の目には、WECとモリゾウの相性はあまりよくないように思えた。筆者の勝手な推測になってしまうが、ゼロから立ち上げたWRC(世界ラリー選手権)のチームに対し、WECは旧F1(フォーミュラー1)由来のチーム。
そのため、F1撤退を決断した豊田氏にわだかまりや遺恨めいた感情が少なからず存在していたのではないか。そう予想していた筆者に対し、モリゾウ氏はこう語る。
「WECのチームは今も昔もプロフェッショナルですが、モリゾウが大事に、そして目指すチームの理想というのは、あくまで"家庭的でプロフェッショナル"という部分です。これまでWECチームはそこが足りなかった。
言葉を濁さずに言えば、トヨタの会長、社長は存在するけれど、モータースポーツを心から愛するファンの代表ともいえるモリゾウが存在しないチーム。
ただ、今回、久しぶりにル・マンに来て、(小林)可夢偉代表を筆頭に(中嶋)一貴(TGR‐E[トヨタガズーレーシングヨーロッパ]副会長)、そして加地(雅哉=GRカンパニーモータースポーツ技術室室長)など若いメンバーがドライバーファーストかつ、家庭的でプロフェッショナルなチームにするべく、一生懸命動いていた。
そしてチームもそのように変わり始めており、その情熱にモリゾウが動いたというのも事実ですね」
モリゾウ氏は、そこで一旦間を置き、それからこのように話を続けた。
「実は決勝前の決起集会で僕はチーム全員に対して、『ここには勝ちにきている、だからレースに集中して』『勝つか負けるかは運、でも自分たちには勝て』と言いました。そのアドバイスは間違いなくモリゾウとしての発言です。
確かに過去はいろいろありましたが、今はモリゾウと共通項が多いことを実感しました。短い滞在時間でしたが、ル・マンに来てあげて良かったと思っています」
誤解を恐れずに言えば、今回のル・マンでトヨタは優勝を逃してよかったと思う。もし、この状況下で優勝を手にしていたら、BoPの問題はうやむやになっていたはずだ。と同時に、トヨタのWECチームも、モリゾウが目指す家庭的でプロフェッショナルなチームにはならなかったはず。
トヨタにはより強く、そしてファンらに愛され続ける家庭的でプロフェッショナルなチームに仕上げ、来年ル・マンに戻って来てほしい。いや戻って来るに違いない。
■世界初公開された水素レーシングカー
ル・マン24時間レース会場で行なわれたACOのプレスカンファレンスで豊田会長は、水素レーシングカー「GR H2レーシングコンセプト」を世界初公開した。
これは、5月に開催されたスーパー耐久シリーズ第2戦・富士24時間レースにおいて、ル・マン24時間レースを主催するACOのピエール・フィヨン会長が、26年からル・マン24時間レースとWECへの水素エンジン車両の参戦を認め、それを受けての発表である。
豊田会長は、水素のメリットについて報道陣に対して説明を始めた。
「私たちはゼロエミッションでやっています。もちろん、水素の大きな利点のひとつは、それがとても軽いことにあります」
すると、豊田会長はおもむろに人さし指を上げると(フランスで「ただし」という意味を持つ)このように続けた。
「Less BoP(BoPもない)」
水素の軽さにかけて、ル・マン24時間レースのBoP問題を皮肉ったのだ。これは会見に参加していた世界中の報道陣にバカ受け、大きなニュースになった。つまり、誰もが今回のBoPに違和感を抱いていた証拠と言えるだろう。このスピーチについてモリゾウ氏は言う。
「実は直前までトヨタの会長としてのスピーチを考えており、パーソナルなことは言わない、モリゾウ軸のことは言わないと決めていました。
しかし、ル・マンに来て現場にいる(小林)可夢偉や(中嶋)一貴が僕と同じ、いやそれ以上に(BoPに)腹を立てていることがわかり、(記者会見の)直前に原稿を差し替えました。彼らの熱い思いが、僕を行動に移させたのだと思っています」
話を水素レーシングカーに戻そう。パワートレーンは水素エンジンとハイブリッドシステムを搭載する。気になるのは燃料である。2年間レースで鍛えてきた気体水素か? それとも今年から挑戦している液体水素なのか? 現場で高橋智也GRカンパニープレジデントに聞いてみた。
「液体水素は水素エンジンカローラに搭載してのレース参戦が始まったばかりです。知見という意味ではまだ足りていないのも事実で、個人的には難しいかなと思っています」
さらに高橋プレジテントは、ハイブリッド、つまりモーターと水素エンジンを組み合わせるメリットについてこう言う。
「水素エンジンが苦手な領域、例えば低速域をモーターで補える点では大きなメリットがあると思います」
すでに水素レーシングカーの"仲間づくり"も始まっているようで、この流れは世界的に広がっていきそうだ。
■パリ市内で活躍するミライのタクシー
加えて先月、「富士スピードウェイ」(静岡県小山町)で世界初となる液体水素エンジン車による24時間耐久レース完走を達成したGRカローラが、ル・マン24時間レースの決勝前のサルト・サーキットでデモランをブチカマした。
ちなみに欧州で水素エンジンのデモランをするのは、昨年のWRCベルギーに続く2回目(ただし、ベルギーはGRヤリスの試験車両だった)。
サーキットには水素エンジンの爆音が響き渡り、コースサイドに陣取る観客の度肝を抜いた。ちなみにドライバーはモリゾウ氏。トヨタの会長が乗ることで、水素の安全性も世界にアピールできたのではないか。
また、ル・マンのイベント会場にはH2ビレッジ(水素村)が設営され、水素を理解するコーナーや各社が研究を行なう水素を燃料とするレーシングカーの試作車などが展示されていた。
ここにはル・マンの直前に行なわれた富士24時間耐久レースで世界初公開されたFCEV(水素燃料電池車)の「ミライ スポーツコンセプト」なども展示(日本から超特急で空輸したそうな)。連日大盛況であった。実はフランスのパリ市内は新旧ミライのタクシーが数多く稼働している関係で、水素への注目が非常に高い。
ル・マンにとって次の100年はカーボンニュートラルを実現しながら、ファンらを魅了するのが使命となる。そんな中で、トヨタは自慢の水素 でその先鞭をつけたといえるだろう。来年もその模様をシッカリと追いかけたい。
●山本シンヤ(やまもと・しんや)
自動車研究家。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。ワールド・カー・アワード選考委員。YouTubeチャンネル『自動車研究家 山本シンヤの「現地現物」』を運営