山本シンヤやまもと・しんや
自動車研究家。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。ワールド・カー・アワード選考委員。YouTubeチャンネル『自動車研究家 山本シンヤの「現地現物」』を運営。
WRC(世界ラリー選手権)の最終戦となる「フォーラムエイト・ラリージャパン2023」で、愛知県出身のトヨタのドライバー・勝田貴元選手が圧巻の走りを披露! トヨタのモータースポーツを長年取材する自動車研究家の山本シンヤ氏が本人を直撃した!
それは、まさに"鬼神"のような走りだった――。
WRC(世界ラリー選手権)トップカテゴリーに参戦する唯一の日本人ドライバー・トヨタの勝田貴元選手(GRヤリス・ラリー1)の話である。
11月16~19日の4日間、愛知、岐阜両県を舞台に、F1と並ぶ自動車競技の最高峰WRCの今シーズン最終戦となる日本大会「フォーラムエイト・ラリージャパン2023」が開催された。来場者数は4日間で実に53万9600人。
愛知県出身の勝田選手は、昨年、12年ぶりとなる日本開催ラウンド3位で表彰台に立った。しかし、残念ながら今年は総合5位と2年連続の表彰台は逃してしまった。
だが、結果だけで彼の走りは片づけられない。実は2日目のSS2(スペシャルステージ2)のクラッシュで、ほぼ最後尾となる33番手に沈んだ。普通の選手なら万事休すだが、ここから彼の快進撃が始まった。
今大会最多となる10回のステージトップタイムを叩き出したのだ。そして、この怒涛(どとう)の追い上げで総合5位を見事勝ち取った。
そんなラリージャパンから1週間後の11月25日、勝田選手は愛知県にある豊田スタジアムにいた。初心者向けの入門用ラリーシリーズ(全11戦)「トヨタ・ガズーレーシング・ラリーチャレンジ(通称=ラリチャレ)」でデモ走行を披露するためだ。
この大会は今年で23年目を迎える。黎明(れいめい)期はエントリー数が10台ちょっとという時期もあった。しかし、地道な努力が実を結び、参加台数は年々増加し、今では人気モータースポーツイベントへと成長した。
しかも、今回のラリチャレの最終戦はラリージャパンで使われた豊田スタジアム内のSSS(スーパースペシャルステージ)を走れる! それもあり、エントリーはシーズン最多となる約120台をマーク。ちなみに旗振り役のモリゾウこと、豊田章男氏(トヨタ自動車会長)は今回で39回目のラリチャレ参戦である。
このデモランの合間に勝田選手はインタビューに応じてくれた。実はラリージャパンの直後に体調を崩し、大事を取りインタビューはすべてキャンセルされていたのだ。まずは、ラリージャパンを終えた率直な感想から聞いた。
「気持ち的には1週間たった今もずっと悔しい気持ちがありモヤモヤしています。普段であれば割とすぐに気持ちを切り替え、『次!』という感覚になれるのですが、今回に関しては自分がかけていたものも大きくて......とにかく優勝争いがしたかった」
確かに彼はラリージャパン前に行なわれた数々のイベントで、常に次のような言葉を口にしていた。
「日本でいい結果を出したい。優勝争いがしたい」
日本人選手が世界で活躍すると、どのスポーツも盛り上がる。ましてや勝田選手は母国ニッポンで昨年3位に輝いている。その結果を踏まえれば、彼の気持ちが頂点に向くのは当然だろう。
ラリージャパン2日目。SS2の林道でコントロールを失い、クラッシュした勝田選手。そのときをこう振り返る。
「11㎞地点の右コーナー手前のブレーキングで四輪がフルロックし、真っすぐ突っ込んでしまった。自分でも一瞬何が起こったかわかりませんでした。ただ、あとで映像などを検証すると、その区間だけ舗装が異なり極端に水が浮いた状態だった。要するにハイドロプレーニング現象が起きていたんです」
ハイドロプレーニング現象とは、濡れた路面を高速走行した際、タイヤと路面との間に水膜ができること。結果、クルマは浮いた状態となり、コントロール不能に陥る。
「実は僕の後に出走したダニ・ソルド選手(ヒョンデ)とアドリアン・フルモー選手(フォード)も同じ場所でクラッシュしている。彼らは木をかすめて崖から落ちてしまいましたが、僕は運良く1本の木に当たってコース上にとどまれたんです」
このクラッシュでクルマのフロントは大きく破損し、エンジンを冷却するラジエーターがダメージを受けた。ラリーは指定場所以外ではメカニックはマシンに触れることができない。そのため、トラブルはドライバーとコ・ドライバー(助手席に座り、ドライバーに指示を出す人)で修理をしなければならない。
だから、勝田選手は用水路から水を汲(く)み必死に修理を行なったのだ。そして、その模様はWRCのライブ動画で世界中に配信された。
マシンは足回りもダメージを受け、真っすぐ走らなかったが、SS4がキャンセルになったのも功を奏し、タイムロスは2分弱。その後、EVモードを使いながらサービスパーク(ピットエリア)に向かうリエゾン区間(SSとSSの移動区間)で、勝田選手は驚きの光景を目にする。
「沿道に水の入った大きなタンクやボトルを持ったお客さんたちが、本当にびっくりするぐらい大勢いたんです。おそらく映像を見たんでしょうね。僕に手を振りながら、『水あるよ!』って。
レギュレーション上、水を受け取ることはできないんですが、でも、お客さんのそういう思いを受け取ったからこそ、僕は最後まで走り切れたし、その熱さに後押しされました。日本のファンには、感謝の言葉しかないですね」
勝田選手にとって、今回のラリージャパンはスゴく悔しい戦いだったと思う。しかし、筆者はこう考える。あのクラッシュこそが、ラリーに疎い日本の人たちにも、「ラリーとはこういうモノだ」ということをよりリアルに伝えたのではないかと。
そう勝田選手に伝えると、少しだけホッとした表情になり、彼の口からこんな言葉がこぼれ落ちた。
「そう言われてみると、そのとおりだなと思います。確かに『ステージ走行中のトラブルはドライバーとコ・ドライバーが修復する』『ラリーは生き残ることが大事』『サービスパークではメカが時間内に修復する』。
これらは話で聞いていても、実際に目にすることはまずないでしょう。僕のクラッシュがラリーを深く知る導線になったのなら、自分の中のモヤモヤが少し晴れます(笑)」
もちろん、彼の役割は導線だけではない。鬼神のようなあの走りを見たら、どうしたって今後の活躍に期待が膨らんでしまう。
「今回のラリージャパンで、スピードという部分に関しては、来年に向けて非常にポジティブな面を見せられたと思っています。もちろん、『もっとできたんじゃないか?』とか『違った展開にできたんじゃないか』などと、いろいろ思うところもたくさんあります。でも、もう来年に向けて進まないといけない」
勝田選手の心は、すでに来年1月25~28日に開催される開幕戦、伝統のラリー・モンテカルロ(モナコ)へ向かっている。
「来年の開幕戦モンテカルロでは、ラリージャパンのようなスピードで走ります」
実は11月20日、トヨタは来季のWRCの体制を発表している。勝田選手は2024年シーズンをレギュラードライバーとして全戦に臨む。2023年の王者であるカッレ・ロバンペラ選手がフルタイム参戦しないことから、チーム内ではエルフィン・エバンス選手に次ぐナンバー2の重要なポジションを担う。勝田選手は言う。
「今年は昨年よりランキングは下でしたが、パフォーマンス的には上がった部分がたくさんあったと思っています。自分の中では非常に苦戦......出したい結果とは異なる部分もありましたが、今後の自信につながる一年だったような気がしています。
そういう意味では、来シーズンは自分の力を証明する重要な年。表彰台に常に上れるようにしたいし、優勝するためにフルでアタックしますよ」
そしてラリチャレのデモランに向かう勝田選手は、笑顔でこうつけ加えた。
「シーズンを通して成長できるよう、これから集中してトレーニングをやっていきます」
飾らない言葉を口にし、つまずいてもすぐに立ち上がり、必死に前を向く。そんな勝田選手の姿は見る者をしびれさせ、熱くする。だからこそ、来年以降のWRCでの大成功を、期待せずにはいられない。
●勝田貴元(かつた・たかもと)
1993年3月17日生まれ、愛知県出身。祖父(勝田照夫)も父(勝田範彦)もラリードライバーというサラブレッド。12歳でカートデビュー。18歳でFCJ(フォーミュラチャレンジ・ジャパン)チャンピオン獲得。2015年にトヨタが立ち上げた若手ラリードライバー育成プログラム「TOYOTA GAZOO Racingラリーチャレンジプログラム」のオーディションを勝ち抜き、ラリードライバーに転向。現在に至る
自動車研究家。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。ワールド・カー・アワード選考委員。YouTubeチャンネル『自動車研究家 山本シンヤの「現地現物」』を運営。