山本シンヤやまもと・しんや
自動車研究家。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。ワールド・カー・アワード選考委員。YouTubeチャンネル『自動車研究家 山本シンヤの「現地現物」』を運営。
今年9月、トヨタの旗艦モデル「センチュリー」に新型モデルが誕生して話題を呼んでいる。そこで、"生みの親"であるトヨタ自動車の豊田章男会長に自動車研究家の山本シンヤ氏が誕生の経緯などを聞いた。
トヨタブランドが誇る最高級車「センチュリー」。その歴史は1967年に始まった。初代センチュリーはトヨタグループの創始者・豊田佐吉氏の生誕100年を記念して発売されたモデルである。
日本の伝統や文化まで表現された重厚なボディ、フロントマスクにはセンチュリーの象徴である宇治平等院「鳳凰(ほうおう)」をモチーフにしたエンブレムがキラリ輝く。その当時としては先進性の非常に高いモデルだった。
そんなセンチュリーはご存じのように皇室、政治家、財界トップ、つまりニッポンのVIP御用達のショーファーカー(運転手付きのクルマ)として支持を集め、進化と熟成を重ねてきた。
センチュリーの2代目は、新開発の5LのV型12気筒エンジンを搭載して1997年に登場した。ちなみにV型12気筒エンジンの搭載はニッポン乗用車史上初の快挙であり、同時に最後の搭載車でもある(号泣)。要するに国産モデル最初で最後のV型12気筒エンジンを搭載したクルマが2代目センチュリーなのだ。
現行モデルとなる3代目は、2018年に誕生。5LのV8エンジンにモーターを組み合わせたハイブリッドシステムを採用。歴代モデルの伝統を守りつつも、最新モデルに求められる安全性能や環境性能、そして走行性能を非常に高いレベルで実現させている。
ちなみにトヨタの理念は、「すべての人に移動の自由を」というものだが、センチュリーにだけはそれが当てはまらない。トヨタ車の中で、"乗る人を選ぶ唯一無二の存在"がセンチュリーである。
そんなセンチュリーに、今年9月、新モデルが追加された。メディアはSUVモデルと呼ぶが、トヨタは「新世代に向けた新しいセンチュリー」という。この新センチュリーはプラグインハイブリッド車で、生産はトヨタの「田原工場」(愛知県田原市)で行なわれる。価格は問答無用の2500万円スタートだ。
そんな田原工場で新センチュリーの生産に弾みをつけるべく、「センチュリー総決起集会」というイベントが開催されると耳にした......総決起集会ってなんだ!?というわけで、筆者は現地に向かった!
すでに新センチュリーは10月下旬から生産を開始している。まず田原工場に新たに設けられた新センチュリー専用ラインを見学。なんと組み立てラインには、ベルトコンベヤーも無人搬送車もない。すべて人の手により行なう。
同工場では約1500人が働いているが、新センチュリーの組み立ては専用部品が多いのはもちろんのこと、塗装や磨きなど高度な技術が求められる工程が多い。そのため、特別な訓練を受けた42人の"匠(たくみ)"が新センチュリーを担当している。
そのため、1工程あたりの作業時間は何と5時間!(フツーのクルマは数十秒)。結果、月間生産台数はわずか30台となっている。
ただし、ここでもムダを徹底的になくし、生産性効率を上げるTPS(トヨタ生産方式)を活用し、超高品質の量産(通常のトヨタ車と比べると圧倒的に少ないが)に挑戦している点が興味深かった。
気になるセンチュリー総決起集会には、工場の従業員、仕入れ先の部品メーカー、販売店の代表ら約150人が集まり、歴史と伝統の詰まったセンチュリーの継承と進化を誓っていた。そして、150人の威勢の良いかけ声が工場内に何度も響き渡る。
「やるぞぉーっ!」
この日は特に寒い日だったが、工場内は熱気ムンムン。誰の目も熱く燃えていた。
この総決起集会に登壇したトヨタの豊田章男会長が、センチュリーについて口を開く。
「今から3年半前、新しいセンチュリーをつくってみないかという私の呼びかけから、開発はスタートしました」
実は新センチュリーの生みの親は豊田章男会長なのだが、一方でセンチュリーに対する揺るぎない感情もある。
「私の中でのセンチュリーは"名誉会長(豊田章一郎氏)のクルマ"という認識です」
初代センチュリーは今年2月に97歳で亡くなった豊田章一郎名誉会長が開発に大きく携わっていた。当時専務だった豊田章一郎氏と主査の中村健也氏が一緒につくり上げたのが、初代センチュリーと言っても過言ではない。
「名誉会長が生涯をかけて伝え続けたものは、常にお客さまを思う"心"。クルマづくりに終わりはないという"エンジニア魂"。そして、日本のモノづくりへの"自信と誇り"だったと思っています」
そんな名誉会長が大切にしたセンチュリーに対して、豊田氏の心の奥にはこんな気持ちがずっとあったという。
「自分が社長になっても、『センチュリーにだけは乗れないな』というのが、どこか頭の中にありましたね」
3代目センチュリーのフルモデルチェンジの際に、開発陣から話を聞かれたという。そのときの様子を豊田氏はこう述懐する。
「センチュリーは名誉会長のクルマだから通訳はしますよと。ただ、私に話を聞きたいのなら、『僕が乗っていいセンチュリーを提案してください』と。このときの『僕が乗れるセンチュリーって何?』という答えが、今回の新型モデルというわけです」
ちなみに豊田氏が社長時代、セダンに乗っている姿を筆者はほとんど見かけたことがない。つけ加えると、豊田氏は常にこう言っていた。
「ミニバンはショーファーカーになれる!」
以来、アルファードとヴェルファイアを愛用している。直近では黒の先代ヴェルファイア(実は新センチュリーにつながるアイデアが詰まった特別仕様車)に乗り込む姿を筆者は目撃している。
「僕は20年近くアルファード、ヴェルファイアに乗っていますが、最初の頃はホテルのエントランスに向かうと、『こっちではありませんよ』とスタッフにあしらわれたものです(笑)。しかし、今ではショーファーカーの仲間入りができている」
現在、アルファード、ヴェルファイアは政治家や企業のトップの御用達カーとなったが、正直、豊田氏が使い続けた結果、トップエグゼクティブが乗るクルマと認知された面もあるだろう。いずれにせよ、このミニバンの活用経験が新センチュリー誕生を支えているのは間違いない。
新センチュリーを豊田氏はどうとらえているのか?
「今回、新しいセンチュリーを出しましたが、すぐに認知されるほど甘いモノではないと思っています」
その上で、新センチュリーの戦略について、豊田氏はこう語る。
「センチュリーは日本が世界に誇れるブランドです。これからセンチュリーというブランドを世界に向けて発信していきます」
要するにニッポンの国宝カーともいえるセンチュリーを世界販売するという話だ。
これまでセダンのセンチュリーは一部地域に極めて少ない台数が輸出されていたが、基本的には国内専用車であった。新センチュリーを開発したトヨタの中嶋裕樹副社長兼ミッドサイズビークルカンパニープレジデントは言う。
「国内外を問わず、グローバルでフルオーダー対応できるようになっています」
生みの親である豊田氏は、新センチュリーにどんな未来を見ているのだろうか。
「センチュリーで(世界に)挑戦する人なんて誰もいません。最初は僕だって、『このクルマは(世界に)挑戦できない』と思っていました。それに少し前までは、『そういえばセンチュリーってあったねぇ』と(世間から)忘れ去られた存在になっていた」
少し間を置き、それから豊田氏は破顔一笑!
「これが今後、『新しいセンチュリー、いいよね!!』となってくれたら、うれしいですね」
筆者は豊田氏を長く取材しているが、彼はよくこんな言葉を口にする。
「クルマが登場するときは、ゴールではなくスタート」
つまり、今回の総決起集会は新センチュリーが世界に打って出る、ある種、歴史的スタートの瞬間だったのである。
自動車研究家。日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。ワールド・カー・アワード選考委員。YouTubeチャンネル『自動車研究家 山本シンヤの「現地現物」』を運営。