渡辺陽一郎わたなべ・よういちろう
カーライフジャーナリスト。自動車専門誌『月刊くるま選び』(アポロ出版)の編集長を10年務めた"クルマ購入の神様"&"令和のご意見番"。執筆媒体多数。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
世界イチ過酷と言われる自動車耐久レースの「ダカール・ラリー(通称パリダカ)」で1997年に日本人初の総合優勝を果たしたラリードライバーの篠塚建次郎さんが3月18日に亡くなった。篠塚さんが成し遂げた偉業のひとつをカーライフジャーナリストの渡辺陽一郎氏が解説する。
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渡辺 自動車レースの「パリ・ダカール・ラリー(通称パリダカ)」や、「WRC(世界ラリー選手権)」で日本人ラリードライバーとして初優勝を果たした篠塚建次郎さんが、療養中の長野県の病院で亡くなりました。75歳でした。
――篠塚さんには日本を代表する〝ミスターパリダカ〟ってイメージが強く残っています。
渡辺 篠塚さんは大学卒業後、1971年に三菱自動車に入社し、社員ドライバーとして1986年から世界イチ過酷な自動車耐久レースと呼ばれる「パリダカ」に参戦しました。
――篠塚さんは三菱の社員だったんですね。
渡辺 営業マンやメカニックをしていたんですが、やはりラリードライバーとしての才能はダントツでピカイチ。それが証拠に、パリダカ参戦翌年となる87年には総合3位をマークしてしまう。
――スゴっ!
渡辺 そして、参戦12年目となる1997年に一番上となる日本人初の総合優勝を果たしました。
――篠塚さんが駆る三菱パジェロはカッコよかったす!
渡辺 パジェロは82年に国内デビューした悪路向けのSUVですが、実は発売当初は、人気がいまいちパッとしなかった(苦笑)。
渡辺 ところが、篠塚さんのパリダカの大活躍で人気に火がついた。
――当時は国内の自動車メーカーからこの手のクルマがけっこう出ていましたよね?
渡辺 正確に言うと、81年にいすゞのビッグホーンが先陣を切り、続いてパジェロ、トヨタのハイラックスサーフ、日産のテラノなどが続いた感じですね。その中でパジェロは、内外装のデザインが洗練されていて、運転感覚や乗り心地も乗用車感覚でした。その注目度が、篠塚さんの活躍をきっかけに急速に高まったのです。
欧州ではモータースポーツの活躍が車種やメーカーのイメージを高めることがありますが、篠塚さんとパリダカには、同様のことがあてはまりました。この流れを通じて、〝4WD&SUVの三菱〟が定着したわけです。
――つまり、今で言うSUV人気の礎を篠塚さんとパジェロが築いた?
渡辺 篠塚建次郎さんの功績のひとつですよね。ちなみに91年、92年のWRCコートジボワールでは三菱ギャランを駆って勝利を挙げましたが、彼が初めてパリダカを制した97年のマシンは、三菱パジェロでしたしね。篠塚さんがいなければ、当時の4WDブームはもちろん、今のSUV人気も、ここまで盛り上がらなかったかも知れません。
――三菱の反応は?
渡辺 三菱自動車は、「当社のクルマでも沢山の名シーンを残してくださった篠塚氏のご冥福を謹んでお祈り申し上げます」と追悼のコメントを発表しています。
――ちなみに渡辺さんは篠塚さんと面識って?
渡辺 もちろん、ありますよ。ただ、相手はスターですから。当時の私は自動車雑誌の一兵卒の若い編集者。たぶんご記憶にはなかったと思います。
――なるほど。
渡辺 いずれにせよ、「篠塚健次郎」と耳にすれば、三菱パジェロを駆る〝ミスターパリダカ〟の姿が浮かびます。カッコ良く、スター性もありました。彼が成し遂げた偉業は、三菱自動車にとって大きな財産だと思います。謹んでご冥福をお祈りいたします。
カーライフジャーナリスト。自動車専門誌『月刊くるま選び』(アポロ出版)の編集長を10年務めた"クルマ購入の神様"&"令和のご意見番"。執筆媒体多数。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員