佐野弘宗さの・ひろむね
自動車ライター。自動車専門誌の編集者を務めた後、独立。国内外の自動車エンジニアや商品企画担当者、メーカー幹部へのインタビュー経験の豊富さには定評があり、クルマそのものだけでなく、それをつくる人間にも焦点を当てるのがモットー。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
2月18日、東京・八丈島で開かれた日産「Dr.Kプロジェクト」。国家整備士資格を持つ、日産の自動車大学校の学生たちが島民たちのクルマの健康状態を無料でチェックするイベントだ。果たしてその様子は? 自動車整備士の卵たちの挑戦に肉薄した!
東京・八丈島。豊かな自然とおいしい海産物、果物が魅力的な離島だ。鉄道がないこの島の人たちの主な移動手段は圧倒的に自家用車で、アップダウンの激しい道や塩害などで傷みやすいクルマの整備や修理は、地場の修理工場が担う。
さる2月18日、そんな八丈島に「NISSAN」のロゴが刺繍されたツナギをりりしく着こなした若き18人が上陸した。彼ら・彼女らは、「Dr.Kプロジェクト」の名の下、島民たちのクルマを無料点検するために派遣された日産・自動車大学校の学生たちだ。
日産・自動車大学校(以下、日産校)は、主に自動車整備士を養成する専門学校だ。トヨタやホンダも同様の専門学校を運営しているが、全国5校を展開する日産校は、メーカー系最多の学校数を誇る。
そんな日産校の特色は、充実した人材育成プロジェクトだ。特に「日産メカニックチャレンジ」は業界でも有名で、日産校の学生と全国の日産販売会社のテクニカルスタッフが、「KONDO RACING」や「チームゼロワン」といった一流のレーシングチームの一員として、国内最高峰のスーパーGTやスーパー耐久シリーズを戦うのだという。
そこで学生たちは、マシンの整備だけでなく、メディア取材を仕切る広報活動なども含め、多様な仕事を通して必要なチームワークやコミュニケーション力を学ぶ。
「モータースポーツは人を育てる」。そんな日産校の思いに最初に賛同したのが、あの近藤真彦監督だった。彼が率いるKONDO RACINGとスタートさせたメカニックチャレンジは、すでに12年の歴史を数える。
八丈島で開かれた「Dr.Kプロジェクト」は、日産校の人材育成プロジェクトのひとつだ。参加学生は全員、日産校の「一級自動車工学科」で学ぶ3年生である。
日産校ではまず、2年間で国家資格二級整備士の資格を取得する(二級整備士までの2年間のコースもある)。4年間のコースとなる一級自動車工学科では、残り2年でさらに上の国家資格一級整備士の取得を目指す。つまり、八丈島に訪れた3年生は全員、二級整備士の資格をすでに持っているわけだ。
今回のプロジェクトでは、八丈町役場のイベントスペースに、町民に自身のクルマで乗りつけてもらって、日産校の学生たちが無料点検する。クルマのメーカーは不問だ。
当日は、朝からクルマがひっきりなし。そんな中で、実際の点検作業はもちろん、クルマの誘導から受け付け、不具合箇所の説明や、最後の見送りまで、基本的にすべてを学生たち自身が行なう。
点検に訪れるクルマには、離島特有の塩害で、サビが浮いた古めの軽自動車が多かった。どのクルマも一見すると元気そうに走っているが、タイヤが明らかに限界を迎えていたり、エンジンルームから異音が聞こえていたり、あるいは(合わない形状のナットを使っているせいで)ホイールナットが指で回せるほど緩んでいた、なんてケースもあった。
学生たちは(プロのメカニックとして働くことができる)二級整備士の資格を持っているが、学校の授業で使われる実習車は新しいものばかり。離島の足として長年ユーザーを支えてきたリアルなクルマに相対するのも、また実際のお客さんとのコミュニケーションも、基本的には今回が初めてだった。
そんな「生きた教材」を前に、時には同行した教員の手も借りながら、学生たちは全力で取り組む。最初はお客さんとの会話すらたどたどしかったが、最後には会話だけでなく、身のこなしまで頼もしくなっていた。そして、最後にお客さんに「ありがとう」と言われたときの笑顔は真にうれしそうだった。
今回、Dr.Kプロジェクトに参加した学生たちは、どんな来歴の持ち主で、どんな将来を描いているのだろうか。話を聞いてみた。
「昔からドライブ好きで、日産校に入りました。スーパーGTのメカニックチャレンジでスポンサーさまをおもてなしした体験が生きて、日産ディーラーのフロントに就職が決まりました」(愛知校・室屋有奎さん)
「以前はクルマに特別な興味はなかったんですが、叔父の勧めで、日産校のオープンキャンパスに参加して入学を決めました。エンジンの授業では、すでにエンジンが故障したクルマを扱うのですが、Dr.Kプロジェクトでは、故障の有無を点検するところから始まる現場勝負なので、すごく勉強になりました」(栃木校・粂川陽士さん)
ちなみに粂川さんは、すでに日産ディーラーの就職が内定している。
「GT-Rが大好きで、日産のクルマを学べる学校を選びました。卒業したら、地元の日産販売店で働きたいです。将来はマスターテクニシャンHITEQという社内資格を取得して、GT-Rを整備したいです」(京都校・坂口豪太さん)
前述したように、一級自動車工学科は4年制。卒業まで1年を残す3年生の時点で就職が決まっている学生が多いことに少し驚いた。なんと日産校は卒業生の就職率が100%。その背景のひとつにあるのは自動車整備士の深刻な人手不足の問題で、整備士は有効求人倍率が約4.5倍という「超売り手市場」だ。
ユーザーとコミュニケーションを取りながら、クルマの「治療」を行なう整備士はAIに代替できない仕事だろう。その意味で、日産校の学生たちはクルマ大国・日本のこれからを支える存在といえるのだ。
日産校の本廣好枝(もとひろ・よしえ)学長に「Dr.Kプロジェクト」の取り組みについて聞いた。
――「Dr.Kプロジェクト」の意義についてどうお考えですか?
本廣好枝学長(以下、本廣) 全国的に若手の(自動車)整備士が不足していて、若い人たちに整備士という仕事に魅力を感じてもらうことは、自動車メーカーにとって大切に仕事だと考えています。Dr.Kプロジェクトは、その一環です。
このプロジェクトは、うちのスタッフが自動車評論家の国沢光宏さんとお話ししていた時に出たアイデアがきっかけです。レースでのメカニックチャレンジのような活動だけでは社会的な広がりが少ない、整備士という仕事の魅力をもっと皆様にも知ってもらうべきという発想でした。
Dr.Kプロジェクトを八丈島で行なうことになったのも、八丈島に別宅をお持ちの国沢さんが、島の皆さんが乗っているクルマはあんまり状態が良くないから、なにか社会貢献できないか......という雑談の中から生まれました。
学生たちがメカニックとして一般のユーザーさんと向かい合うのは今日が初めて。すごく緊張していると思いますよ。
――今、日産校ではどんな学生たちが学んでいるんですか?
本廣 ひと昔前までは、工業高校などを卒業したクルマが好きというタイプが多かったのですが、今は半分以上の学生が普通科の卒業生です。入学時にはクルマの知識もなく、仕事の選択肢のひとつとして、美容学校や調理師学校と迷って日産校を選んでくれる学生も少なくありません。でも、在校中にどんどんクルマ好きになっていく子も多いんです。
ただ、学生数は芳しいとは言えません。10年くらい前までは定員いっぱい入学生がいたのですが、少子化で大学が"全入時代"になってからは、そもそも専門学校を選ぶ子が減少しています。
一方で、新型コロナの影響により来日が滞っていた反動もあって、この春は多くの留学生が入学しました。具体的には、ミャンマー、ネパール、スリランカ、バングラデシュなど、自動車産業がこれから発展するアジアの子供たちです。こうした留学生は卒業後もそのまま日本に残って、日本の自動車産業のために働いてくれる子が大半です。
――「Dr.Kプロジェクト」に参加した学生たちは、みんな二級整備士の資格を持っていて、すでに自動車整備の現場で仕事ができる技術があるように見えました。
本廣 そうですね。Dr.Kプロジェクトに参加した学生たちは一級整備士を目指しています。一級ならば、請け負える仕事の幅も広がりますし、さらに上位の資格である「自動車検査員」資格も二級に比べて短い期間で取得することができます。
――自動車学校を経ずに自動車整備の仕事に就職した場合、一級整備士になるには実務経験(7年以上)を含め8年以上かかると聞きました。その経験を濃縮して学べるというのは、自動車学校に通うことの明確なメリットですよね。
本廣 そうですね。自動車学校で学べば最短2年で二級を取得できます。日産校の二級整備士合格率は100%です。さらに4年制の「一級整備士工学科」であれば、最短4年で一級を取得することが可能です。
整備士という仕事には、いわゆる「3K(きつい、汚い、危険)」や「油まみれになる」という昔ながらのイメージがあるかもしれませんが、クルマも、そして工具や機械も進化して、今は大きく様変わりしています。
整備士はすごく社会の役に立っていて、感謝される仕事ということを、若い人たちにもっと知ってほしいです。
自動車ライター。自動車専門誌の編集者を務めた後、独立。国内外の自動車エンジニアや商品企画担当者、メーカー幹部へのインタビュー経験の豊富さには定評があり、クルマそのものだけでなく、それをつくる人間にも焦点を当てるのがモットー。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員