「PUの開発が凍結されているので、カスタマーのデメリットがたいぶ少なくなっている。それがマクラーレン躍進の背景にある」と話す浅木氏 「PUの開発が凍結されているので、カスタマーのデメリットがたいぶ少なくなっている。それがマクラーレン躍進の背景にある」と話す浅木氏

今シーズンのF1は前半戦の14戦を終えて優勝したドライバーが7人という、近年稀にみる接戦になっている。開幕直後は王者レッドブルとマックス・フェルスタッペンが圧倒的な強さを発揮したが、中盤に入ると、マクラーレンやメルセデスのマシン開発が進み、混戦模様になっている。

レッドブル失速の要因は? そしてチャンピオン争いの行方はどうなる? 現在のホンダのパワーユニット(PU)の生みの親である元ホンダ技術者の浅木泰昭(あさき・やすあき)氏に前後編の2回にわたって話を聞いた!

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■レッドブルの開発速度が想定外に鈍った要因

――前半戦を振り返り、もっとも印象的な出来事は何ですか?

浅木 レッドブルの開発スピードがここまで鈍ると予想していませんでした。これまでレッドブルのマシン開発を手掛けてきた最高技術責任者のエイドリアン・ニューウェイの存在の大きさを改めて感じています。

――レッドブルとフェルスタッペンは今シーズン、開幕から5戦で4勝とライバルを圧倒していました。ところが今年5月にニューウェイのレッドブル離脱が発表され、F1の開発現場から離れると、ライバルのマクラーレンやメルセデスが一気に迫ってきた印象を受けます。

浅木 現在の状況をさかのぼってみると、ニューウェイが開発の最前線から離脱したことによってレッドブルのマシン開発がうまく進まなくなったという仮説はあながち間違いではないと思います。開幕当初の力関係を見ると、マクラーレンやメルセデスが伸びたといっても、レッドブルの開発が相当停滞しないと追いつくことはできないほどの大きなアドバンテージがありました。でもシーズンの中盤にはそのアドバンテージをすべて食い尽くしてしまった。

おそらくレッドブルの首脳陣はナメていたんだと思います。ニューウェイのような技術部門のリーダーがひとりいなくなったとしても、チームの中にはまだ優秀な技術者はいっぱい残っているので大丈夫だろうと考えていたのでしょう。物事がうまくいっているときはリーダーの重要性を感じなくなってしまうものです。アイツは何もしていないじゃんと。私もホンダ時代にパワーユニットの開発責任者を務めていたときは似たようなものでしたから(笑)。

でもリーダーというのは、危機を察知していろいろな可能性を考えて動いているんです。大ゴケしないように代わりのアイデアを常に用意しているので、表面的には何事もないように進んでいるように見えるのです。いくら周囲に優秀な人間がいても、やっぱり強力なリーダーがいないとF1のトップでは競争力を維持できないと私は思います。ただニューウェイがいたとしても同じ状態になった可能性はあります。私はレッドブルが今シーズン、開発が停滞することは多少予測していました。

■予想できたレッドブルの失速

――それはなぜですか?

浅木 2022年の秋にレッドブルの創設者ディートリヒ・マテシッツが亡くなって、組織内でクリスチャン・ホーナー代表とモータースポーツアドバイザーのヘルムート・マルコとの間で権力闘争が起きた。そういう組織は、いずれガタガタになると予想していました。ただ想定よりも崩れるタイミングが早かったので驚いています。

私が知っているレッドブルはとても働きやすいように見える組織だったんです。厳しさはありましたが、チーム内はギスギスしていないですし、みんな和気あいあいという雰囲気で仕事に取り組んでいました。ほかのチームから引き抜きの話があったとしても、レッドブルでのびのびと仕事をするほうがいい。そんな風にスタッフの多くが感じているように見えました。

それがマテシッツが亡くなった後に変わってしまい、ニューウェイだけでなく、最近はスポーティングディレクターのジョナサン・ウィートリーの退団も発表されました。彼らのようなリーダークラスだけではありません。レッドブルを離れたスタッフは数多くいます。

チーム内で権力闘争をやり始めたらどんな悪影響が出るのか、ホーナー代表はちょっと甘く見ていたと思います。あるいは権力を取るためにはゴタゴタもやむなしと考えていたかもしれませんが、騒動に嫌気が差してチームを去る人がいますし、残った人間だってモチベーションを保つのは難しい。だから想定外で開発スピードが落ちてしまったのではないか、というのが私の見方です。

■マクラーレン躍進の背景にあるもの

――レッドブルが停滞する中で、シーズン中盤以降、優勝争いを演じているのはマクラーレンとメルセデスです。

浅木 マクラーレンは着実にマシンを進化させているという印象です。メルセデスも序盤はもたもたしていましたが、中盤戦に入ってレッドブルを上回ってきたというのが現状だと思います。レッドブルを追いかける2チームの中ではマクラーレンのマシンのほうが良さそうに見えます。

フェラーリにも期待していたのですが......。レッドブルがもたもたしているのでチャンスだったのに一緒にもたもたしてどうするんだと(笑)。チャンスをまったく生かし切れていないのが気になりますね。

――マクラーレンの躍進の理由をどう分析していますか?

浅木 やっぱりレギュレーションで2022年から25年までのPU開発が基本的に凍結していることが大きいと思います。PUの開発ができる状況であれば、ワークスのメルセデスがカスタマーのマクラーレンに負けることは普通に考えるとあり得ません。

大躍進を見せたマクラーレン。シーズン後半も、優勝争いにからんでくるのは間違いない 大躍進を見せたマクラーレン。シーズン後半も、優勝争いにからんでくるのは間違いない

例えば、何か設計変更をすれば、カスタマーにその情報が届くのにどうしてもタイムラグが生じます。そのPUの設計変更に対応するためにカスタマーがあたふたしていると、おのずと車体の開発にも遅れが出てしまう。もっと極端な話を言えば、ワークスはカスタマーが嫌がる設計変更をすることもできるんです。

でも現在はPUの開発が凍結されているので、カスタマーのデメリットがたいぶ少なくなっています。それがマクラーレン躍進の背景にあると思います。

■現在のF1はPUメーカーにとって持続可能ではない

――PUの開発に関しては、アルピーヌ(ルノー)の動向が大きな話題になっています。F1は2026年から新しいPUのレギュレーションが導入されますが、アルピーヌが新規格のPUの自社開発を断念し、ほかのメーカーからPUの供給を受けるといわれています。

浅木 アルピーヌがそういう決断をしようとしている理由について、私は痛いほどわかります。競争力のあるPUを開発・製造しようとしたら、膨大な施設と人材、予算が必要となるのですが、これまでのF1は、フェラーリを除いて自動車メーカー大手が自腹でPUを開発して供給するのが当然だと考えられてきました。だからPUを開発する自動車メーカーは予算の確保に苦しみ、撤退と参入を繰り返すのです。

F1は2030年に二酸化炭素の排出量を事実上ゼロにする、カーボンニュートラル化を目指すと発表していますが、その目標を達成するためには大手自動車メーカーの高い技術力が必要不可欠です。にもかかわらず、F1の世界ではいまだに「PUはマシンのパーツの一部」という考え方が続いています。

だからPUメーカーには分配金(賞金)が一切支払われません。その一方で、各チームにはランキングに応じてF1の運営会社から総額10億ドル(1500億円)を超えるといわれる分配金が支払われています。F1はPUの参入メーカーを増やしたいようですが、PUを開発・供給する自動車メーカーに分配金のシステムを設けない限り、ルノーのように開発をやめてしまったり、いずれはF1から撤退するメーカーも出てくると思います。

――現在のF1はPUを開発する自動車メーカーにとって持続可能ではないということですね。

浅木 その通りです。今年のアルピーヌは成績が低迷していますが、他社のPUに比べて大きく遅れをとっているというほどではありません。PUでコンマ1秒か2秒ほどだと思います。ただ26年以降の新しいPU開発には技術的な難しさがあります。

新しいPUのレギュレーションでは100%カーボンニュートラル燃料にすることが義務付けられます。またMGU‐H(熱エネルギー回生システム)は廃止され、代わりに電動モーターの出力の割合が現在の20%から50%に大幅に引き上げられることになりました。高性能のバッテリーは、電気の出し入れの制御が非常に難しい。エンジンもカーボンニュートラル燃料の導入だけでなく、圧縮比の上限が18から16へと下げられるなどさまざまな変更がありますので、どのメーカーにとっても開発は一筋縄ではいきません。

アルピーヌは、エンジンと電動部分の両方の開発がうまくいっていない可能性があります。もっと予算が必要になり、会社の上層部に掛け合ってみたけれども、「それだったらPUの自社開発をやめて他社から供給してもらえ、マクラーレンを見てみろ」という話になっているかもしれません。

でもPUメーカーにも分配金があって、大きな持ち出しがなければ、撤退や自社開発をやめようという判断にもならないんです。そこはF1が変わらなければならないところだと思います。PUメーカーのあり方を今後どう位置付けるのか。その問題にマクラーレンの躍進は一石を投じているように私には見えます。

後編はこちらから

●浅木泰昭(あさき・やすあき) 
1958年生まれ、広島県出身。1981年、本田技術研究所に入社。第2期ホンダF1、初代オデッセイ、アコード、N-BOXなどの開発に携わる。2017年から第4期ホンダF1に復帰し、2021年までパワーユニット開発の陣頭指揮を執る。第4期活動の最終年となった2021年シーズン、ホンダは30年ぶりのタイトルを獲得する。2023年春、ホンダを定年退職。現在は動画配信サービス「DAZN」でF1解説を務める。著書に『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(集英社インターナショナル)がある。

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