関税交渉に奇襲的に参戦したトランプ大統領と、テーブルを挟んで向き合う赤沢経済再生担当大臣 関税交渉に奇襲的に参戦したトランプ大統領と、テーブルを挟んで向き合う赤沢経済再生担当大臣
火ぶたが切られた日米自動車貿易バトルだが、実は長い激闘の歴史がある。両国の間でいったいどんな攻防が繰り広げられてきたのか。実はトランプが口にしているのは米国がずっと日本に言い続けてきたことだったりする。その中身とは!?

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■"MAGA帽子"を喜々としてかぶる大臣

ついに"トランプ関税砲"がぶっ放され、日米自動車貿易バトルの幕が開いた。4月16日(日本時間17日)、初手となる日米関税交渉はホワイトハウスで始まった。本来は閣僚協議の予定だったがトランプ米大統領が参戦! 大統領執務室で約50分間というロング会談が開催された。まさに異例の事態である。

日本という国を背負って交渉に臨んだ赤沢亮正(りょうせい)経済再生担当大臣は、"キモい"と評判の大阪・関西万博のキャラクター・ミャクミャクの貯金箱を手土産として渡す。一方のトランプからは大統領選で注目を集めたMAGA(マガ=米国を再び偉大にしよう)の赤い帽子が贈られた。

物議を醸したのはこの後だ。なんと赤沢大臣はMAGA帽子を喜び勇んでかぶり、挙句、会談後には「トランプ大統領が私に会ってくださったことは大変ありがたい。(自分は)格下も格下」などとへりくだる始末......。この赤沢大臣の不用意な言動に国民はもちろん、与野党にも懸念が広がった。

ちなみにトランプはこれまでとスタンスを一切変えず、「アメリカのクルマは日本で一台も走っていない」「アメ車を輸入せよ」と迫っていた。

日本は米国に言うべきことをちゃんと伝えているのだろうか。自動車ジャーナリストの桃田健史(けんじ)氏はこう言う。

「日本自動車工業会は、直近のトランプ関税や貿易摩擦について、日本が米国に対して多額の投資をしてきたことを強調しています。また、こうした事実を石破茂首相もトランプ大統領に伝えています」

■石油危機で日本車人気が過熱

トランプの"理不尽関税"に日本の大手メディアは蜂の巣をつついたように大騒ぎしているが、日米自動車貿易バトルの歴史は長い。

「当時、私は現地で何度も取材しましたが、いわゆる"ジャパンバッシング"のときのほうが、今のトランプ関税よりも厳しい印象があります。いずれにせよ、そういった逆境を日本の自動車メーカーは何度も乗り越えてきている」

こう話すのは自動車評論家の国沢光宏氏だ。日米自動車貿易バトルの起点は1970年代までさかのぼる。

「石油危機(オイルショック)をきっかけに、米国の消費者がクルマに燃費性能を求めるようになったんです。

そこで注目を集めたのが日本車です。アメ車に比べて何しろ燃費が良く、コンパクトで扱いやすく壊れない。しかも価格が安い。米国の消費者の間で、日本車人気に火がついたのは言うまでもありません」

当たり前の話だが、米国向けの日本車の輸出が激増すると、米大手自動車メーカー(ゼネラル・モーターズ、フォード・モーター、クライスラー)の販売は急減。リストラの嵐が吹き荒れた。

「80年代、米国の対日貿易赤字が急速に膨らんだ結果、日本に対する不満が米国内で爆発。仕事を奪われた労働者たちがハンマーで日本車を叩き壊す姿は、世界的なニュースになりましたよね」

写真は1980年の米ミシガン州。ゼネラル・モーターズの新車を試乗するか、工場を解雇された人が日本車を叩けた 写真は1980年の米ミシガン州。ゼネラル・モーターズの新車を試乗するか、工場を解雇された人が日本車を叩けた
日本の自動車産業は米国の自動車産業を抜き去り急成長を遂げた。だが、同時に米国は日本の自動車メーカーをロックオンし、圧力を強める。

「そこで、日本と日本の自動車メーカーは米国への自動車輸出の台数を自主規制することにしました。ただし、減らした数を補うため、日本勢は価格の高いクルマの輸出を増やします。そんな背景もあり誕生したのが、トヨタのレクサスや、日産のインフィニティなどの高級ブランドです」

その後も日米自動車貿易バトルは激しさを増し、米国は保護主義的な姿勢を打ち出す。88年には、貿易相手国に不公正な慣行などがあると見なした場合、米国が問答無用に対抗措置を発動できるスーパー301条を成立させた。そして、米国政府は日本との貿易交渉の席で、日本製の高級車に100%の関税をちらつかせたのだ。

では、このバトルを日本はどう乗り越えてきたのか。桃田氏が解説する。

「日米自動車貿易摩擦の解決策は大きく分けてふたつです。ひとつ目は、日本メーカーが米国向け販売車を米国内の生産へと段階的に切り替えたこと。ふたつ目は米国内の生産現場で米国人を雇用し、また、米国企業からの部品などの購入も進めてきたことです」

90年代にはゼネラル・モーターズのキャバリエをトヨタのクルマとして販売していた。もちろん、現在は売っていない 90年代にはゼネラル・モーターズのキャバリエをトヨタのクルマとして販売していた。もちろん、現在は売っていない
実は90年代の米国も現在のトランプ政権同様、「なぜ日本市場でアメ車が売れないのか!」と日本に迫っていた。そんな背景もあってか、96年にはゼネラル・モーターズのキャバリエをトヨタの販売店に置くウルトラCもあった。

「キャバリエは単にゼネラル・モーターズのシボレーブランドからトヨタにバッジを変えただけの急ごしらえでした。デザイン、動力性能など、商品性が日本市場にマッチしませんでした」

翌年にゼネラル・モーターズはサターンという名前のクルマを日本市場に投入する。

「サターンはデザイン、使い勝手などで奇をてらいすぎました。結果的にキャバリエもサターンも人気薄で、リセールバリュー(再販価格)が低く販売は終了。

これらのクルマは貿易摩擦を抜本的に見直すためというより、米国政府に対し、貿易摩擦の全体像を理解してもらうために事例をつくったに過ぎません」

00年に日本市場に投入されたシボレーMW。ゼネラル・モーターズとスズキの協業カー。残念ながら現在は存在しない 00年に日本市場に投入されたシボレーMW。ゼネラル・モーターズとスズキの協業カー。残念ながら現在は存在しない
自動車誌の元幹部は、過去に日本市場に存在した"日米合作の超レアカー"の存在を口にする。

「実はゼネラル・モーターズは提携先のスズキと組んで、2000年にシボレーMW(ベースはワゴンR+)、翌年にはクルーズ(ベースはスイフト)を日本で発売しました。

ただ、名前とバッジを変更しただけのクルマだったので、もちろん鳴かず飛ばず......。正直言って、米自動車メーカーには日本市場でクルマを売る気持ちはあっても、経営的な体力がないのでは」

■日本市場でアメ車が売れないワケ

JAIA(日本自動車輸入組合)によると、昨年、日本市場で販売された海外ブランドのクルマは22万7202台。販売のベストスリーは1位メルセデス・ベンツ(5万3195台)、2位BMW(3万5240台)、3位フォルクスワーゲン(2万2779台)と独大手自動車メーカーが独占。ちなみにアメ車はジープが9633台、EV専売メーカーのテスラは日本市場の販売台数を公表していないが、JAIAの統計から推測すると5500台ほどだ。

昨年の輸入車ブランドの国内新車販売ランキングで堂々の7位をマークしたジープ。老若男女の支持を集めている 昨年の輸入車ブランドの国内新車販売ランキングで堂々の7位をマークしたジープ。老若男女の支持を集めている
「米国は日本の安全基準などに注文をつけていますが、欧州車がこれだけ売れていると、その指摘は根拠に乏しく、いちゃもんでしかない」(自動車誌の元幹部)

では、日本でアメ車が売れるにはどうすればいいのか。国沢氏はこう指摘する。

「米国で長年ベストセラーになっている日本車はトヨタのカムリとホンダのアコード。しかし、日本市場ではそれほど大ヒット商品ではない。要するに米国と日本ではニーズが違うんです。そこを認識した上で、クルマ造りをしないと売れるわけがない」

とはいえ、日本市場でジープとテスラが好調なのはなぜか。桃田氏が語る。

「ジープといってもラングラーが人気を牽引(けんいん)しているだけです。日本人はジープをアメ車としてとらえておらず、ファッション性や走破性能でジープが欲しいとピンポイントで見ています。

テスラもアメ車ではありますが、日本人でテスラに対してアメ車だから買う、買わないという認識を持つ人はいないと思います」

欧米で販売が急落しているテスラ。日本市場では湯水のごとく注がれるEV補助金の影響もあり販売は好調なのだという 欧米で販売が急落しているテスラ。日本市場では湯水のごとく注がれるEV補助金の影響もあり販売は好調なのだという
最後に自動車誌の元幹部が日本市場でアメ車が売れない理由を語る。

「ドイツ車の多くは右ハンドルに対応していますが、アメ車は今もかたくなに左ハンドルが多い。そのため日本の駐車場では発券機から駐車券を取ることさえひと苦労です。

加えて日本市場で販売しているアメ車はボディが大きいクルマばかり。米国ならともかく、狭い日本の道路でアメ車を走らせるのは気を使う。

一方、日本市場で売れているドイツ勢は品ぞろえも豊富な上、日本の狭い道路に適したモデルが多いので購入候補に挙がる。今のアメ車は好事家向き」

石破政権はトランプ大統領を日本に招き、東京都内でニッポン市場で販売する全アメ車を試乗させるべきだ。