今や世界30ヵ国で販売されているポッキー。売り上げ個数は年間5億個(国内2億個)を超える、まさに日本が誇る世界的ロングセラーだ。
そんなポッキーが誕生した背景には、当時、業績の低迷にあえいでいた江崎グリコの危機感があった。
「1950年代末から60年代初頭にかけ、当社は新開発→不発→利益減を繰り返し、100点近い新作を送り出しながらもヒットからは遠ざかっていました。そこで、創業社長である江崎利一から『他社の強力な商品とまともに競争してはならない。差別的優位性を持った製品を開発すること』『今までの機械では作れないもの、製造部の技術者を困らせるようなものを考えよう!』という檄(げき)が飛びました。そこには、当社の伝統が関係しています」
そう語るのは、ポッキーブランドマネージャーの伊藤征樹さん。“技術者を困らせる”とはどういうことか?
創業時の商品「グリコ」やヒット作「ビスコ」など、グリコでは新製品の開発に当たり、工場で使う機械から社内で設計開発するのが常だった。特に「グリコ」のハート形を実現した機械は、「無理だ」「大量生産できない」の声に抗(あらが)い、江崎利一社長自らが開発したという。つまり、「画期的な新製品の開発=製造機械の設計開発」という考えが、グリコの文化なのだという。
「一品10年(ライフサイクル)、10億円(年間売り上げ)の基幹製品を作り出そうという改革の成果として、63年にスティック状スナック菓子『プリッツ』を発売。これが子供たちを中心にヒットしました。すると、社内で『プリッツにチョコレートをかけたら』との声が多く出て、スナックチョコとして製品化に動き出します」
当初のアイデアはプリッツ全体にチョコをかけ、銀紙で包むというもの。しかし、それでは他社のチョコスナックと大して変わらず、また持つとチョコが溶けて手が汚れるという問題が残った。
「そこで、チョコを全体にかけるのではなく、串カツのソースように、軸(社内では棒の部分をこう呼ぶ)のおよそ8分目までチョコをかけ、持ち手があるといいのではないかというアイデアが出て、試作品を製作。全体にチョコをかけたほうが、製造は簡単だという反対意見も出ましたが、こうして『持つとこあるよ』のポッキーの原型が誕生したのです」
1966年1月、本社のある大阪府で、「チョコテック」という商品名でテスト販売を開始。ちなみに、このときのチョココーティングは、すべて手作業。まさに串カツをソースに浸すようにして作ったという。
ヒットの秘密は“売れる音”?
「売れ行きは好調で、製造機械も完成。同年10月に再び広島県全域でテスト販売を行ない、このとき商品名が『ポッキー』になりました。商標の問題でチョコテックが使えず、“ポッキン、ポッキン”という食べるときの音から着想してポッキーに決定しました。
実はグリコには、パピプペポの破裂音を入れると息の長いヒット商品になるというジンクスがあり、売れる音とされています。例えば、プリッツ、パピコ、パナップ、カプリコ、ペロティ、そしてポッキーです」
革命であった「持つとこ」は約2cmと決まり、子供のおやつに適量な1箱40本で、定価は60円。京阪神での販売を経て、2年後に全国展開されると、子供たちが楽しそうにポッキーを食べるCMの効果もあり、目標の3倍以上の売り上げを誇る商品に成長した。
(取材・文/佐口賢作)
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