初代 1966年10月発表。カローラは、ラテン語で「花の冠」という意味。当時人気だったクラウンの「王の冠」、コロナの「光の冠」に続く、人気車にという願いが込められていた

「創刊48周年の若者雑誌」という存在の矛盾(笑)を抱える「週刊プレイボーイ」が、さらなる歴史を築いていくため、同じ「1966年生まれ」に聞いた愛され続けるための智恵とは――?

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世界で最も多く販売されているクルマのブランドは、ワーゲンでもミニクーパーでもない。トヨタのカローラだ。

これまで150以上の国と地域で販売され、生産累計台数はなんと4000万台を超える。国連加盟国が193だから、カローラは文字どおり、地球上のあらゆる国で走っているクルマということになる。

そんなカローラの初代が登場したのは、クーラー、カラーテレビ、カーの「3C」が新・三種の神器として豊かさの象徴とされた1966年11月のこと。

「当時の開発主査、長谷川龍雄が開発コンセプトに掲げたのは『80点主義+α』。クルマの性能のどの部分においても80点以上の合格点を取るのはもちろんですが、お客さまの心をとらえる、ずば抜けた“+α”の魅力を加えるのです。当時のカローラの“+α”は『走る楽しさ=スポーティ性』でした」(トヨタ自動車広報の有田啓介さん。以下同)

その結果、初代カローラには日本初やトヨタ初の技術や仕様、設備などが多く搭載された。

「例えば、シフトレバーは当時主流だったコラムシフトから、スポーティなヨーロッパスタイルのフロアシフトに。また、中型車でも標準装備ではなかった夜間後退時の視界確保に必要なバックアップランプ(後退灯)も“ファミリーカーにこそ必要な装備”と考え、全車標準装備としました」 

カローラの哲学とは

11代目 2012年5月発表

「新型カローラで東北を、日本を元気にしよう」と中部、九州に続き、宮城工場での生産を開始。日本が誇る大衆車は震災からの復興を後押しするのだ

カローラに対するトヨタの本気度は、当時の生産体制にも表れていた。

人々は核家族化し、郊外に住み、マイカーを移動手段として使うことが普通になり、日本に爆発的なモータリゼーションの隆盛が起きるーそんな予測もあって、高岡(愛知県豊田市)に1㎞四方にも及ぶ専用工場を建設。トヨタ全体の月間生産台数がまだ約5万台だった当時に、カローラを月間3万台生産すると発表したのだから、メディアや記者たちが仰天したのも当然だった。

大衆車が軒並み1000㏄だったなかで、カローラは1100㏄の小型エンジンを搭載。“プラス100㏄の余裕”と、43万2000円という廉価をアピールし、発売から3年で国内販売台数ナンバーワンになりました。以来、4、5年ごとにモデルチェンジを行ない、現在は“大人4人が安心・安全・快適に長距離を移動できるミニマムサイズのクルマ〟という原点に回帰した11代目のカローラ・アクシオ、カローラ・フィールダーが販売されています」

48年の歴史の中で36回の国内販売台数ナンバーワンを達成している国民車は、今も健在。2014年上半期の乗用車販売の売り上げランキングの4位だ(日本自動車販売協会連合会調べ)。ちなみに、このランキングのトップ30の中で、高度成長期と車名が変わっていないのはカローラと15位のクラウンだけである。

「ここまでのロングセラーとなったのは、『常に時代を先回りして考える』というカローラの哲学のもとに『進化』し続けてきた成果だと考えています」

最後に、こんなありがたいメッセージをいただいた。

「創刊48周年、おめでとうございます! この先も、50年60年と年輪を重ね、より魅力的になれるようにお互い努力しましょう!」(カローラ・48歳)

(取材・文/佐口賢作)

■週刊プレイボーイ43号「大特集 週プレと“同い年”の人気者に『愛され続けるための知恵』を学びに行く」より