「クリスピー・クリーム・ドーナツ」第一号店の現在。オープン後は平日の夕方でも奥の橋にまで続く長蛇の列が続いていた

連日の行列がTVや雑誌で取り上げられていた、アメリカ発のドーナツチェーン「クリスピー・クリーム・ドーナツ」(以下、「クリスピー」)。そんな空前の大ヒットとなったドーナツ店が次々と閉店しているというニュースが話題となった。

奇(く)しくも現在、コンビニ各店がドーナツ市場に参入しブームとなっているが、そもそもなぜあそこまで「クリスピー」が日本でヒットしたのか、日本上陸した当時の衝撃を振り返りつつ、その理由を探ってみた。

「クリスピー」が日本に進出したのは2006年12月、一号店は新宿サザンテラス店。まだドーナツといえば「ミスタードーナツ」というイメージだった当時の市場をスイーツジャーナリストの平岩理緒さんはこう話す。

「2004年にアメリカから上陸した『ドーナツプラント』の影響もあると思いますが、2006年というのは、奈良県発祥の移動販売からスタートした『フロレスタ』が実店舗をオープンし始めたり、移動式カフェだった『ハリッツ』の店舗が誕生したりと話題のドーナツ店が次々とオープンし始めた年でした」

「クリスピー」がやってくる頃には、すでに少しずつドーナツ市場も盛り上がっていたと。その土壌ができ始めたところに黒船来襲のごとく、日本に衝撃デビュー。実際、上陸時の熱気は凄まじかった。元『日経トレンディ』編集長で現在、商品ジャーナリストの北村森さんが当時の盛り上がりを懐かしむ。

「うちも注目していて、日本に来るとわかった時点で、先にオープンしていた韓国へ購入しに行きました。初日のオープン前の行例は250人。平日でも1~2時間待ちで、他県からわざわざ購入者が来たりと、ゴールデンウィークは最長で3時間50分待ちでした」

連日の行列はピックアップされ、人気は大爆発! まさに「クリスピー」がドーナツブーム誕生を決定づけたといえる。前出の平岩さんは「二号店の有楽町イトシア店がオープンした時も、まだまだ人気は衰えず行列は続いていた」と話す。まさに「クリスピー」パワー絶頂期だ。

オープン時だけ話題になる店も少なくない中、人気が長く続いた理由はふたつあるという。まず、ひとつは意外にもリーマンショックだ。「クリスピー」上陸から1年9ヵ月後の2008年に勃発し、「スイーツ業界もその影響を受けた」と平岩さんは言う。

「それまでのスイーツ業界は黒トリュフを使ったり、チョコレートが一個何千円もしたりと高級スイーツが話題となっていました。このバブリーなスイーツブームがリーマンショックを境にリーズナブルなものに急激に傾いたんです。“素朴系”とか“おやつ系”、場合によっては“粉もの系”といわれるスイーツブームにドーナツは上手くハマりました」

クリスピーの知名度を全国拡大させた要因とは

リーマンショックの反動で、次なる素朴系ブームにちゃっかり乗ってしまったドーナツ。それに加え、「クリスピー」はさらなる追い風を得た。ふたつめの理由を北村さんがこう話す。

「『クリスピー』は元々、多店舗展開を宣言していましたが、最大64店舗も増やせたのは“エリア初出店ブーム”に乗ったからだと思います。この10年間はショッピングモールなどの商業施設の競争が激しく、商業施設側もお客が行きたいと思えるようなキャッチーな店舗を入れたかった。そこに『クリスピー』が上手くマッチしたんです」

平岩さんも同じく「ある商業施設がオープンする時の目玉になったり、百貨店のリニューアルの注目店舗になったりと話題性のあるところに次々とオープン。『クリスピー』の知名度も一気に全国に広がっていきました」と頷く。

そんな後押しで一過性の話題に終わらず、全国拡大していった「クリスピー」が日本に与えた大きな影響とは? またこのまま凋落していくのか?

■明日配信予定の後編では、「クリスピー」が現在のスイーツ業界に残した影響と今後についてさらに検証!

●平岩理緒スイーツジャーナリスト。スイーツ情報サイト「幸せのケーキ共和国」主宰。TVやラジオ、雑誌、ウェブなどでスイーツ情報を発信。セミナー講師やイベント司会、企業の商品開発コンサルティングまで幅広くこなす

●北村森商品ジャーナリスト。サイバー大学客員教授(ITマーケティング論)。株式会社ものめぐり代表取締役社長。『日経トレンディ』発行人兼編集長を経て、2008年に独立。原稿執筆、TV、ラジオ番組への出演を続けるとともに地域おこしのアドバイザー業務にも携わる。

(取材/坂田圭永・鯨井隆正 文・坂田圭永)