2012年秋、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで、ひとつの講義が産声を上げた。授業名は「ブランディングデザイン」。教員の名は水野学。ドコモの広告や中川政七商店のトータルプロデュースに携わったかと思えば、「くまモン」のキャラクターデザインも担当する、異色の経歴の人物だ。
この講義はすぐに話題になり、60名の定員に対し500名以上の応募が殺到。開講から4年たった今も、多くの若者たちを惹きつけている。そんな人気講義の内容が今年5月に満を持して『「売る」から、「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義』として書籍化。ビジネスマンから大きな反響を呼んでいる。
デザイナーとして多くの企業をコンサルティングしてきた彼は、停滞する日本経済をどのように見ているのだろうか? インタビューは講義をするに至った経緯から始まった。
水野 当時、慶應で教授をされていた方から、年に数回の特別授業としてお招きいただいたんです。それで、授業を2、3年やらせていただいたタイミングで、「通常授業を持ってみませんか?」とお声がけいただきました。デザイナーは体力を使う仕事ではないので、続けようと思えばいつまでも現役でいられる職種だと思うんです。でも、自分の仕事をするだけでなく、“教えるほうに回る”という考え方もあるなと思い、お受けしました。
慶應の学生なんて絶対、僕より勉強ができるので、一度は「僕で大丈夫ですか?」って聞いたんですけど(笑)、「福澤諭吉先生から受け継がれている慶應の精神に『半学半教』というものがあります。だから、半分教えて、半分学ぶという感覚なら受けられるんじゃないですか?」って先輩教授の方が言ってくださって。気が楽になりました。
―講義する上で心がけたことはありましたか?
水野 デザインを一般の大学生に教えるのって、すごく大変なんです。どう大変かというと、デザインというものが一種の超能力のような、先天性の才能だという思い込みがあるから。なので、とにかくそのタガを外してあげようと思っています。最初の授業で「デザインに対しての恐怖心や気後れを減らしてあげる」ということを必ず言っていますね。
―なぜ今、「ブランディングデザイン」なんでしょうか?
水野 よく経営の要素として「ヒト・モノ・カネ」という3つの組み合わせが定番でいわれますが、4つ目って時代とともに変遷していると思うんです。それが少し前までは「情報」といわれていた気がするし、その少し前までは「技術」といわれていた。
次の時代は、ひょっとして「ブランディング」じゃないかと思っているんです、僕は。それで、ブランディングって一体なんだろうと考えた時に、僕の職業の方面から見ると、「見え方(アウトプット)のコントロール」のことであると。デザインが大きく占めるその部分を経営者、もしくは将来的に経営の近くで仕事をするような学生に教えるのは面白いんじゃないかと思ったんです。
僕の教え子に事業をしている子がいて、ある時、言ってくれたんです。「水野さんの授業を聞いて経営に目覚めました。僕の事業がうまくいっているのは先生のおかげです」って。授業を受けた次の年のことで、その時はもう単位が関わる話じゃないから、話半分に聞いてもお役に立てたのかなあと思ってるんですけどね(笑)。
褒められたいというより、感謝されたい
―大学で講義をする傍ら、水野さんはコンサルタントとして、様々な企業と仕事をされています。デザインという視点から、日本企業をどう見られていますか?
水野 ヨーロッパに比べると、日本企業のほうがデザインに対する意識があまり高くないように感じます。例えば、自動車メーカーのマークを比べてみると面白いですよ。欧米、特にヨーロッパの車は、ほぼシンボルマークを持っている。ベンツは「3本の光の筋」、プジョーは「横向きのライオン」というように。
一方、日本の車はロゴマーク(文字)もしくは頭文字をデザインしたものがほとんど。もしかして日本車が世界的にブランド化していかない理由がそこにあるのかなあと。日本人はアルファベットで書かれているからカッコよく感じるかもしれないけど、それって漢字一文字で書いてあるようなものですよね。もちろん英語と日本語では、表音文字と表意文字という違いがあるので単純に置き換えられませんが、もう少し違うマークもあるのかなという気がします。
―デザインが社会に与える影響という意味では、「くまモン」は熊本地震以降、被災者たちの心のよりどころになっていました。
水野 いや、もう全然想像できなかったですね。くまモンさんのご尽力、ご尽熊の(笑)、たまものだと思います。「自分が作ったキャラクターが必要とされるのはどんな気分なんですか?」とよく聞かれるのですが、僕はくまモンで一番すごかったのは、権利を開放した熊本県の人たちだと思うんです。そこに、仕組みづくりという意味でのデザインの本質があると考えています。
―仕事への旺盛なモチベーションはどこにあるんでしょう?
水野 仕事のモチベーションには「褒(ほ)められたい」と「感謝されたい」がある気がするんです。そんなの気にせず、「自分が美しくある」っていうのが一番の理想だろうけど、そんな人はなかなかいないし、少なくとも僕は違う(笑)。僕は、褒められたいというより、感謝されたいんです。そのほうが、相手のためになっているような気がするから。
実は、生まれた家がスナックで、カラオケの英才教育を受けていたんです。うちの母、というかママに。二重の意味でママですね(笑)。「歌え」って言われるわけですよ、親戚が集まるとマイク持たされて。そこで僕が「恥ずかしい」って言っていたら、「何、勘違いしてんだよ。おまえが恥ずかしいかどうかはどうでもいいんだ。みんなが楽しいかを考えろ」っていうふうに言われて。大人になってみるとその教育が「めっちゃ母ちゃんありがとう」って(笑)。
そんなだから、会社のカラオケでも率先して歌います。モノマネもするし、ヲタ芸だってする。そういうのもアウトプットのひとつですよね。まあ、反応が返ってこない時は落ち込むんですけど。その時は酒を飲んでひとりでカラオケ行きますよ(笑)。
(取材・文/テクモトテク 撮影/山上徳幸)
●水野 学(みずの・まなぶ) 1972年生まれ、東京都出身。good design company代表。クリエイティブディレクター、クリエイティブコンサルタント。慶應義塾大学特別招聘准教授。ゼロからのブランドづくりをはじめ、ロゴ制作、商品企画、パッケージデザイン、インテリアデザイン、コンサルティングまでをトータルに手がける。主な仕事には、NTTドコモ「iD」、農林水産省CI、熊本県「くまモン」、東京ミッドタウン、中川政七商店、TENERITA、茅乃舎、宇多田ヒカル「SINGLE COLLECTION VOL.2」、首都高速道路「東京スマートドライバー」、台湾セブン-イレブン「7-SELECT」、ユニクロ「UT」など
■『「売る」から、「売れる」へ。水野学のブランディングデザイン講義』 誠文堂新光社 1600円+税 「くまモン」のデザイン、「中川政七商店」などのプロデュースで知られるクリエイティブディレクター、水野学氏。デザイナーの視点からビジネスを分析し、独自の「アウトプット論」を展開する。産業が「踊り場」に達した今の日本社会に必要なものはなんなのか? 大学生もビジネスマンも必読の一冊!